10月21日に姑の一周忌の法要があった。
私は残念ながら出席できなかった。
本来ならば、這ってでも行かなくてはならぬ大恩のある姑の法事であるが
今回は初めて義弟に全て任せ、日取り決定から最後まで仕切って貰った。
そのため欠席の後ろめたさは少し軽減された。
夫の兄弟とその従兄弟、と言ってもごく親しく付き合いがある従兄弟のみで
こじんまりとしたものであったが、そのうち私を含めて、欠席が三名。
全員当日体調不良。 皆歳をとったと感じる。
当日、夫によって
気になっっていた「形見分け」も済み、ようやく私の肩の荷も下りた。
姑の持つ宝石類は普段の浪費に比べれば、少ない方だと思うが、
嘗て、私が見、知っていた宝石類は、遺品から消えていたのもあった。
多分、既に友人知人に差し上げたのだと思う。
そういうところは多分にある人で、気が向けばなんでもあげちゃう。
私が 「それ素敵ね~」 などと、うっかり言おうものなら
「じゃあげる~♪」 「いらない」 「いや貰って」の押し問答は永遠に続く。
私が金品にあまり興味がない人間と知ってから、それは無くなったけれど。
姑が亡くなった後、親戚の人に
「おばちゃんのあのダイヤどうした?」 と 聞かれたこともあった。
「あのダイヤと」は、めったにお目にかかれぬ程の大粒のものだが
何せ祖母が持っていた大昔のものなので、色もカットもあまりよくない。
形見分けで、
その、大粒ダイヤの指輪は、義妹に。
「わぁ~!大きなダイヤ!」と言っていたそうだ。
小さいダイヤをメレダイヤが取り囲んだ指輪を、 従兄弟の奥様に。
日常にしていた時計は、その日は欠席していた姑の義姉のM伯母様さまに。
(姑とは複雑な関係、しかし一緒に過ごしてきた時間は誰よりも長く親密
姑の喧嘩相手、私が尊敬している方)
彼女やはり欠席なので小さいダイヤを貰ってもらった↑の従兄弟の奥様に託す。
その奥様はM伯母様の嫁であり、縁戚関係でもある。
ちょっと変わったデザインの翡翠の指輪は夫の従兄妹へ。
本来は姑の従妹の娘だが、夫たちは面倒なので、お互い「イトコ」で通して居る。
「コレ、おばちゃんが良くやっていたの知ってる!サイズもピッタリ」
そう言い早速指に嵌め、喜んでくれたそうであった。
幸い、腕時計以外は皆、キチンとしたケース入りだった。
その腕時計は姑の誕生日に私たちがプレゼントしたもので
鎖が素敵だったのでそれを選んだのだけど、
姑は外したりするのが面倒だと言い、直ぐ伸縮の利くものに変えてしまった(苦笑
しかしいつも腕に着け愛用していてくれた。
皆さん会食が終わるまで指にはめていてくれたそうである。
形見分けをしなくてはならない人は、他にもいるのだけれど、
この一年間、事ある毎に考え、考えた結果のものだ。
ネックレス類は姑が手術した病院の、とても良くして頂いた看護師さん達へ、
転院した時にお礼に差し上げたので、殆ど残ってない。
昨夜、翡翠の指輪 の「イトコ」からメールで
この翡翠は○○お祖母ちゃん(姑の母、)が帯留めにしていたのを
おばちゃんが指輪にしたのよ。 素敵な帯留めだったから覚えている。
昨日はこの指輪したまま寝たんだけど、、、
おばちゃんや色々昔の事。。。思い出しちゃった。 いろんなことあったね~。
こんなの貰っちゃっていいの??
考えたら△△さんとか、順序から言ったら・・・私でいいのかな~?
等々。
心配に及ばず。考えあぐねた結果だから気持ちよく受け取っていただければ、姑も喜ぶ。
そう伝えた。
形見分けは難しい。 順序や義理、で行けばキリがなく、
姑が生きていれば、多分こうするだろう。 今回は、そう思っての形見分けだ。
何よりも嬉しかったのが、義妹が気持ちよく受け取ってくれた事。
原因はわからないが、義弟夫婦は我々を異常なまでに避け、
折々に逢った時も、取り付く島もなく、溝の深さは尋常では無かった。
何とか溝を埋めるべき努力はしてみても、ほろ苦さが残るばかりだったので
快く受け取ってもらえるかが心配だった。
また、法事の席で
その「イトコ」が腕時計や、ダイヤの指輪の逸話やらを
皆に話してくれた事が 良かった。
金額的な事や、親戚の序列など考えたら、違うのかもしれないけど
色々曰くを聞けば、多分、皆さん納得してくれたと思う。
ふぅ~、 これで私は枕を高くして寝られる。 (U_U)ホッ