2014年02月

(727)【光圀伝】冲方丁

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平成24年8月31日初版発行
角川書店
単行本
751ページ
1900円

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なぜ「あの男」を自らの手で殺めることになったのか―。
老齢の光圀は、水戸・西山荘の書斎で、
誰にも語ることのなかったその経緯を書き綴ることを決意する。
父・頼房に想像を絶する「試練」を与えられた幼少期。
血気盛んな“傾奇者”として暴れ回る中で、宮本武蔵と邂逅する青年期。
やがて学問、詩歌の魅力に取り憑かれ、水戸藩主となった若き“虎”は「大日本史」編纂という
空前絶後の大事業に乗り出す―。
生き切る、とはこういうことだ。誰も見たこともない「水戸黄門」伝、開幕
 
 家康の子、水戸初代藩主となった光圀の父は、生涯正妻を持たなかった。
 光圀は、庶子で3男坊。
 病弱だった兄を差し置いて水戸藩の世子(次期藩主)として生きなければならないのは辛い。
 儒教的に「義」に反する。これは「不義」か。
 この「義」か「不義」か、と云う問題が本書の底に常にある。
 
 
冒頭、水戸光圀によって水戸家の大老が処刑される。
大老は若くして光圀によって見出された秀才であり、
史書編纂事業に従事することを望んでいた。

光圀が水戸家三代目の参謀と期待した人物だった。
光圀公は手記の中でこの処罰が正しかったかを何度も自問する。
 
登場人物の中で「林読耕斎」が光る。
 
水戸光圀がこれほど激く生きた人物だとは思わなかった
幼少の頃の父が課す「お試し」が壮絶!
 
750ページと云うぶ厚さを感じず、ページをめくるのが楽しかった。
待ち人数3桁もダテでは無かった。
 
「黄門」とは官職の中納言の事らしい。

(726)【ゆうじょこう】村田喜代子

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2013年4月25日
新潮社
単行本
317ページ
1800円
 
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「BOOK」データベースより)
幼くして熊本の廓に売られてきたイチ。
廓の学校『女紅場』に通いながら、
一人前の娼妓となっていくイチが眼の当たりにする女たちの悲哀。
赤ん坊を産んだ紫太夫。廓から逃亡したナズナ。
しかし明治の改革は廓にも及び、ついに娼妓たちがストライキを引き起こす
…硫黄島から熊本の廓に売られてきた海女の娘イチが見た女たちのさまざまな生を描く。
廓の学校『女紅場』に通いながら、一人前の娼妓となっていくイチが
ストライキに成功して花魁を初め娼妓たちが楼から解放されるまでを描く。
 
女郎屋に売り飛ばされた女たちの話なので、暗いモノと思うが、
前向きで明るく、強いく、読んでいて陰湿さを感じない
それなりの哀しみ、辛さは有るのだけどね。
 
芯の強いイチが、娼妓の学校で字を習い、
たどたどしく方言まるだしの言葉で記していく日記がいい。
 
父親が来ると云うのでなけなしの小遣いでみやげを買っておくのだが
父親はイチには、会わずに帰った。
わざわざ来た目的は追い借金だった(借金の追加)
 
「子を喰いつぶす親は親でない。捨てるべきもの」、と悟るイチは強い。
 
     たたみの 上では しにませぬ あたいは なみの上で しにまする。
 
 
福沢諭吉が、結構酷いことを云っている。
諭吉の「女子への公平な愛」というものは、身分ある家の婦女子だけに注がれているらしい。
これは知らなかった。驚いた。
『芸妓の事は固(もと)より人外(じんがい)として姑(しばら)く之を擱(お)き
 たとえ妾や芸妓が良家の夫人になっても、
 これらは人間以外の醜物だから淑女貴婦人は交わるべきでなく、
 やむを得ず接する場合は、軽蔑の情を現さず
 窃(ひそか)に其無教育破廉恥を憐れむこそ慈悲の道なれ』

これが、『天は人の上に人を造らず』と説いた人の言葉??? 
 
 
後半で描かれる遊女たちのストライキ、は実際に東雲楼で起きた事件をもとにしており
50人の女郎たちが待遇改善を求めて団結、妨害にも果敢に立ち向かい、廓から脱出する。
これが後の全国各地に広がった廃娼運動のきっかけとなったらしい。
 

(725)【やまびこ学校】無着成恭

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1956年3月15日発行
1982年7月10日増刷改訂版第6刷発行
百合出版
 
ソフトカバー
309ページ (うち解説、あとがき41ページ)
 
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「BOOK」データベースより
ほんものの教育をしたいという願いから、社会科を手がかりにして、
生活綴方の指導をおこなった山形県山元村中学校の教師、無着成恭(1927‐)が、
その成果をまとめた詩・作文集(1951年刊)。
いまなお読む者の心を強く打たずにはおかない克明でひたむきな生活記録。
戦後の教育に大きな影響を与えた。
本書は、青銅社初版、角川文庫で、1992年に 発行第35刷、
百合出版で、1993年に 発行第30刷、
その他、岩波書店に、1995年にも増刷されており、隠れたベストセラーである。
 
 
 
「無着成恭」と言っても、今その名を知る人は少なくなったと思うし、
わたしのPCでも「むちゃくせいきょう」と入れても変換出来ない。
 
「TBSラジオ「全国こども電話相談室」のレギュラーの回答者の一人で、
東北弁丸出しで、「それはねあのね・・・」懐かしさを覚える人も居るだろう。
 
「あとがき」で無着は、子供たちの作文が本になるまでの経緯を書いているが
紆余曲折が有り、
「こんな本を出したら、私たちが赤恥をさらすだけだ。」
「私たちは本にする為に綴り方を書いてきたのではない」
「おれだけはのはのっけ無いでくれ、こんな綴り方を書くもんでねえ。と怒られた」
 
   正式名称は、「山びこ学校―山形県山元村中学校生徒の生活記録」。
 
昭和20年代に書かれた作文だが、
現在の中学生と比べれば、かなり稚拙であるが
山形県山元村(当時)は貧しい山村で、その生活が赤裸々に書かれており
子供たちの生活まるまるが、見事に描かれ容易に想像できる。
 
しかし、当時の山元村の 中学生が、家業である農業や林業を支え、一家の働き手であって
生活がその肩にかかり、兄弟姉妹にとって親代わりの相談相手でもあった。


学校で学びたくとも登校出来ない貧しい現実、
子沢山時代は現在では考えられないほど辛酸で有り、日々食べるのが精いっぱいでもあった
運動靴ひとつさえ満足に買えなかったのである。
 
 
 
 
そんな中で、無着先生が指導した生徒のひとりが
クラス文集「母の死とその後・江口江一」で、文部大臣賞を受賞する。
 
一部抜粋。(方言が判りにくいので標準語に直した)
 
父親は江一が六歳の時に亡くなり、母も病没、其の35日を迎える前日に書かれたもので
「明日はいよいよフタオ(弟)と別れなければなりません。
 フタオはお母さんが死んでから僕の言う事を良く聞いて、
 弟はあんなに小さいのに(小3)やんだとも言わず薪背負いの手伝いなどをしてくれました。
 だから村木沢のお母さんの実家に行っても一人前になるまで
 歯を食いしばって頑張るだろうと思っています。
 
 ツエ子も明日35日に山形の叔父さんが連れてゆくように、親族会議で決まっていたのですが
 お母さんが死んでからすぅっと今も百日咳で寝ているので、治ってから連れてゆくことになりました。
 
 それも間もなくでしょう。
 そうすればぼくの家は今年74になる飯炊き位しかできなくなったおばあちゃんと
 中学2年の僕と二人きりになってしまう事になるのです。・・・」
 
 
このあと、彼が生活の為の仕事をすると、学校に来られなくなるのが判り
仕事の計画票を疲らせるのだが、それを見ると、結局学校に来られる日は殆ど無い
今の彼をどうしたらよいか、、、皆で手分けして、目の前にたまった仕事をかたずけ、
その後もできる限り皆で手分けして手伝う。と云う事になろ、皆も頷く。 
                  (どこの家も貧しいので時間を割くのは大変なのだが)
先生が「ただ、ばたつかないようにな、ここには何人、これが終わったらこれ、といった具合に
      計画だけは立てておけなあ。」
と云われた時は思わず涙がぽろっと膝の所へ落ちてしまいました。
 
 
 
何かの折、山元村の子供たちは「二宮金次郎の像」 を見て笑い飛ばした
「あればっかりのタキギを背負ったんじゃ、いくらでも本が読めらあ」
少年たちは「頭を遙かに越える高さから、足のふくらはぎくらいにまで達するたきぎ」を背負うのが
日常だった。
 
 
今井正監督「やまびこ学校」が映画になった時、無着は
「地元の恥をさらした」と云う事で村から追放されてしまった。
 
 
其の後上京。
駒澤大学仏教学部に編入し、卒業。
明星学園の教師になる。
学園を退職し、寺の住職になる。(元々が寺の子息だった)
 
 
「やまびこ学校」の子供が成人し「25歳になりました」と云う本を出している
 
この著者、「佐藤藤三郎」を、無着は
「額にしわ寄せてじりじりと相手を説き伏せねば止まない眼は、しっかり見開いてる。」と評してる。
 
図書館に有れば借りてみよう。
 

(724)【小澤征爾さんと、音楽について話をする】 小沢×村上春樹

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小澤征爾×村上春樹
2011年11月39日
新潮社
ソフトカバー
375ページ
1600円

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指揮者はタクトを振るように語り、小説家は心の響きを聴くように書きとめる――。
「俺これまで、こういう話をきちんとしたことなかったねえ」。
ベートーヴェン・ピアノ協奏曲第三番、復活のカーネギー・ホール、
六〇年代の軌跡、そして次代の演奏家達へ。
「良き音楽」を求め耳を澄ませる小説家に、マエストロは率直に自らの言葉を語った――。
東京・ハワイ・スイスで、村上春樹が問い、書き起こした、一年に及ぶロング・インタビュー。
小沢征爾の「僕の音楽武者修行」を読み、面白かったので借りてみたが、対談相手が・・・(ノ∀`)
 
村上春樹さん、お堅いお人なのねぇ・・・・
                           イメージ 2ふぁ~ぁ
 

(723)【さよならコタツ】中島京子

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2005年5月19日第1刷発行
マガジンハウス
単行本
221ページ

1400円
 
 
 
 
 
 
15年ぶりに、しかも誕生日に、部屋に恋人未満の男を招くことになった36歳の由紀子。
有休を取り、ベッドの到着を待ち、料理を作って待つが、肝心の山田伸夫が…来ない!
表題作ほか、
【ハッピー・アニバーサリー】
父親が娘のアパートを訪ねてきた、その夜――、
娘のとんでもない秘密を知ってしまい、思わず、心の中で「かあさん!」と叫んでしまった。
      お父さんが来ていると云うのに―― 控えたら~><;
 
【さようなら、コタツ】
コタツを捨てセミダブルのベッドを入れ、気合を入れて料理を作り、彼を待つ36歳の誕生日。
待つ、待つ、彼を待つ・・・・
      36歳、と云うのが何とも、、、主人公の焦り?
      でも、彼を待つ為の「準備」が、乙女心を思わせる。せつないナァ~。
 
【インタビュー】、【陶器の靴の片割れ】、【ダイエットクィーン】、【八十畳】、
【私は彼らのやさしい声を聞く】  など短編集
強いて挙げれば【八十畳】が良かったかな?
 
短編はあまり好きではなく、短編集と知っていたら借りなかった。
 

(725)【家、家にあらず】松井今朝子

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2005年4月30日第1刷発行
集英社
単行本
325ページ
1900円

図書館で借りる
 
 
 
 
 
「BOOK」データベースより)
江戸北町奉行同心・笹岡伊織の娘瑞江は、
おば様と呼んでいる御年寄職・浦尾の勧めで、大名砥部家奥御殿に奉公へ。
否応なく、陰湿ないじめや、長局内の勢力争いに巻き込まれていく。
折しも、砥部家に勤める女が役者と起こした心中事件を、伊織が探索することになり…。
閉ざされた“女の城”で瑞江が遭遇する不可解な事件の数々。
家と血の絆を巡る長編時代ミステリー。
 
中盤までは奥御殿での確執や陰湿ないじめなど、
 
後半からは屋敷で起きた殺人事件から、
下屋敷で行われる宴で要となる人物達が絡み絡んでクライマックスへ。
 
御殿勤めを勧めた、どこか冷たく怖い「おば様」の御殿での活躍、
その中で、おば様と自分の距離を感じてゆく中
クライマックスでは、主人公の成長した姿、
「おば様」との関係のなぞ解きへ、と進む最後は大盛り上がり!
 
途中、何だか中途半端だな~、と思いながら読んでいたが
そうか~、こう持ってきたかったんだ
 
この時代の「女」の生き方、血族、血縁とは?のお話?
 
 
タイトルの、「家、家にあらず」は、世阿弥の
  「家、家にあらず。継ぐをもて家とす。  人、人にあらず。知るをもて人とす」 からだそうです。

バリ島・ダイバー行方不明

 
インドネシア・バリ島沖で14日、ダイビング中の日本人女性7人が行方不明になった事故で、
現地の複数のダイビング関係者は、
                    「急に天候が変わり、台風のようだった」  と証言した。

朝は風もなく、穏やかな天気だったけど、11時半頃から激しい雷と雨になり、風も強くなり、
まるで台風のようで、雨で視界が悪くなったため、船がダイバーを見失ったのではないか・・・
 
 現地の人は恐ろしい程の視力が有る
 
 南国のスコールはすさまじいが、
 経験を積んだ船長ならば、かなり天候の悪い中でも目標物を見失ったりはしないだろうし
 ポイント周辺に浮上すれば、必ず見つけてくれると思うんだけど・・・・
 
 うねりが高いと、波と波の間の船や人間など、直ぐそばに居ても全く見えない。
 
 
 ただの「天候が急激に悪化して船がダイバーを拾えなかった。」と云う単純な事故だとは思えない
 
  そしてダイブ数50本以上のベテランダイバー、と言っていたが
      50本くらいいで、「ベテランで経験豊富」と言えるかどうか、疑問。
 
 
  今回の事故は、インストラクター2人共々行方不明だという・・・・
 
  夫は、「全員?・・・海賊にでも浚われたんじゃないか?」と・・・(まさか!ねぇ)
 
 
ず~っと以前、次はどこへ(潜りに)行こうか、と云う話になった時、
私が、「バリに行きたい」、と行った時、「あそこは今、危険な匂いがするからダメ」、と却下された
 
「危険な匂い」と云うのは陸の上での話だったんだけどね、
 
                     結局それっきり「バリ行き」は立ち消えた。
 
 
  今回の事故は、私が思うに・・・、「ダウンカレント」 に遭ったのではないだろうか?
 
   ダウンカレント」とは、解りやすく言うと、 
海の中に竜巻の様な渦が出来、猛烈な勢いで海底に引き込まれる、状況。
 
 これから逃れる方法として教わった一つは、上へ上へともがいて浮上するより
   出来れば水平に思いっきりフィンキックし、渦の外側に逃れる事。
 
 しかし、多くの人は気がついた時点で既に思った以上の深度に引込まれ、パニックって
 ただただ浮上しようともがくらしい。
 
 また、ダウンカレントから逃れようとエアを一気に入れ急浮上出来たとしても「減圧症」が怖い。
 
 そして「リップカレント」 も怖い。
   これは弓型地形で発生する沖での流れで、水中どこでも発生する可能性があるが
   この激しい流の幅は、10m程度なので、やはり、流れと直角に逃げれば回避できるそうだ。
 
 幸い私は、話には聞きいたものの、まだ遭遇した事はない。
 
 それでも、あわや「水難事故」に成りかねなかった 忘れられない「ダイビング」がある。
 
 もう10年?いや、もっと前?だったと思うが――、
 
 
フィージー、ワーイック沖で潜った時、ポイントに行くまで、天気は良いがうねりが高かった
 ダイバーは、ドイツ人カップルと私たち夫婦、それに現地ガイド・・・の5人、
 とても小柄な現地人の船長は、その波の谷間を器用に衝撃の少ないよう縫って進む
 彼の操縦の腕の確かさに、夫と「凄腕だね~」と話したものだった。
 
潜り始めは明るかった海中も、浮上する頃は暗くなっていて、
 浮上してみれば、ちょっとの先も見えない豪雨 (゚□゚;)!
 
ドリフトダイブ (流れに乗り、船は先廻りし、浮上ポイントで待っている) だったので、
 打ち合わせたポイントに船が待っている筈・・・・
 
物凄い豪雨、おまけに波が高く、全く先が見えない
 に揉まれ、お互い見失いそうになるので、五人しっかり手を繋ぐ
 ドイツ人、日本人、現地人、と言葉は全く通じないが、誰ともなく、手をしっかり繋ぎ合った。
 
5分・・・10分・・・15分・・・船は見えない
 
今から考えると、ゾっとするが、フロートも誰も持っていなかった。
 例えフロートを持っていたとしても、遠くからは見えないし、あの雨では多分、「ピン!」とは立つまい
  しかし、立てないよりはいいけど・・・・
 
ドイツ人の彼女の方がパニックを起こし泣き叫ぶ、、、外人女性のパニックって凄い迫力!
 体力消耗するから・・・と言ったって解らないし(苦笑)
 ドイツ人彼女、暴れながら彼に抱きつくが、波に揉まれ離されてしまい、
 危険なので5人で手を繋ぎ合い、輪になり、解らない言葉で励まし合った。
 
夫が雨の音に負けまいと、大声で、「波の間に間にいのちの花が~♪」と兄弟船を歌い出す
 ドイツ人彼がドイツ語で歌い出す、インストラクターも現地語(多分)で歌い出す・・・
 声を張り上げて歌っても 強い雨音にかき消されてしまう。
 「おお~!グローバルじゃん!」なんて叫びながら、内心は・・・
 
「この雨と高波じゃ、見つけてくれないだろうな、ひょっとしたら遭難?」と嫌な思いが頭をかすめた
 
あの時は多分、皆が同じ事を思ったと思う。
 
何分位待ったろう? 身体も冷え切り、歌い疲れた頃、ひょっこり目の前に船が現れた。 
            「あぁ、助かった」と思った。
 
本当に「ひょっこり現れた」と云う感じ、全く先が見えないのだ。 
 
あの豪雨と高波の中を、よく、豆粒みたいな私たちを探してくれたと思う。
 
多分波にもまれ、約束のポイントからはかなり離れていたのではなかろうか?
 
 
夫がホテルの現地人に聞いたところ、
 アイツら(現地の人)たまげる程視力が良くて、そりゃ、「ジャングルの獣並み」 らしいそうだ
                           そのおかげで助かったのだと思った。
 
 
また、石垣島のポイント、「マンタスクランブル」へ行った時、
 天候が荒れているし、うねりも高い中、その女性船長は「決行」した。
 
大丈夫かな~?と思ったけど、私はまだ初心者みたいなもので、
 船長の「海上は荒れているけど潜ってしまえば心配無い」と云う言葉に
                                                                               「そんなもんなんだ。。」、と思った。
 
ポイントに付くまでに、船には屋根が付いているものの、
             吹き込んだ雨で潜らぬうちに全員ずぶぬれになった。
 
ポイントに到着、、、、この時の彼女(船長)の言葉、忘れもしない、
            「来ちゃったよ!、エヘヘヘ・・・」
 
装備をするのも、エントリー(海に入る)するのに船べりまで行くのも大変!
 船べりに立って、飛び込まなくてはならないのだけど、あまりの揺れに立てない――、
 バックロールでエントリーした人もいたけど、座らないうちにバランスを崩し落ちた・・・
「早く飛び込め~!」、、、、鉄柱に縋るようにしながら、形にこだわらず、何とか全員ドッボ~ン!
 
うねりは有るが流れは無いので、クリオネ状態で海中集合し、
 ポイントまではそれ程苦労する事もなく、全員揃って無事に到着
 
              マンタも驚くほど現れた。。。。が、
 
いつもはダイバーでいっぱいのポイントなのに、人影が無い。  
               後で知った事だが――、
 この日の海況では「船を出すのは危険」、と云う事で、殆どのショップは欠航したらしかった。

そんな中、思ったより楽にマンタポイントで楽しめ、帰りもクリオネの真似をしながら船へ・・・・
・・・・しかし!タラップが逃げ、思うようにつかまれず、
 船が強いうねりに暴れ、ようやく掴んだ手も、振り切られてしまう

 ダイバー同士のタンクはぶつかるわ、船のタラップに振られるわ、
 自分の体が思うに任せず、船のタラップの前で右往左往、、、
 強いうねり遊ばれ、思うように動けず、折角掴んだ手も振り切られてしまう
 インストラクターが助けてくれようとするものの、彼女までが波に振り切られてしまう

 インストラクターは船長も兼ねていたので、船上から手を差し伸べてくれる人もいない
 
タンク同士がすごい勢いでぶつかり、手を挟まれたり、タンクで顔を殴られたり・・・
這うようにして船上に戻れたものの、、
タンクを下ろすのも忘れ、装備のまま、フィンも外せず、へたり込み、全員放心状態。
 
                       帰りの船上では皆無言、
 
ショップに帰り、シャワーを浴びた手や脛は、痣だらけだった
うねりが有る時はエントリーよりエキジットの方が数倍苦労する事を痛感した初体験だった。
 
                      この後、二度と このショップは利用しなかった。
 

また、フィージーで、 念願のベンガラグーンでのダイビングを終え、
浮上する時、「海面より5m下で3分間の安全停止」と云うのが有るが、
 
あまりの流れの速さに、インストラクター以下全員が、アンカーロープにつかまり、
綺麗に「鯉のぼり状態」になった時も有った。
 
            このように、後々思い出してゾッっとするような「事故と紙一重」の事が何度かあった。
 
 
まだ初心者の頃、初心者ばかり3人で潜り、途中で一人が行方不明になった
 
インストラクタ―が、其のダイバーを探しに行く為、「ここで待機」の指示、
水深13mくらいの岩につかまり、彼らを待った時の心細さ・・・・残圧計を何度見た事か――、
 
結局、其のダイビングは目的のポイントにも行けず、「待つ」だけで終わった。
 
インストラクターは3人位の行動を把握出来なければその資格はない。インストラクターにも色々あり、殆ど後ろを振り返らない人もいる
心配じゃないのかな~?、と思う事も多々ある。
 

長い間にはまだまだ様々な事が有り、
                     嘗ての、様々な出来事を思い出すと、よく無事で・・・と思う。
 
 
ダイビングはリスクの多いスポーツだが
 
「ドリフトダイビング」そのものが、今、巷で騒いでいるほど危険なものではないが、
豪雨でうねりの強い状況でのドリフトは船がダイバーを見失い易い事は確かにあるが
責任感のある船長ならば、ダイバーを拾わずに引き上げる事はしないしと思うし
今は船にも必ず携帯を持ちこみ、陸と連絡を取り合っている
 
問題が起きれば助っ人を頼むと思うんだけど・・・・
関連記事を読むと、この船長、頼りないことこの上ない。
 
 
今回の、「バリでダイバー7人が行方不明」、ニュースは、他人ごとでは無い
     ご家族の方々はさぞ心配なことだろう      日も早く彼女達が発見される事を祈る。


分水嶺・三角点・マンホール・棚田・・・

 
     【分水嶺】  日本中を旅して 興味を持ったもの  のひとつ、 
 
日本の代表的な分水嶺は中央分水界(嶺)。
降った雨が日本海に流れこむか、太平洋に流れこむかの境である。
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日本の背骨のよう分水嶺は、またの名を 「大分水嶺」 と呼び、
その支線であるオホーツク海や瀬戸内海やインド洋へと水の流れを分ける分水嶺を含めると、
                                             全長は6000㎞に及ぶ。
 
 
分水嶺を始めに意識して見たのは、
 国道156号線に面した岐阜県ひるがの公園に有った分水嶺。
 
これは偶然通りがかり、見られたものだが、普通偶然には滅多にお目にかからない。
  
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右側の流れは、北上川を経て116Kmを下り、宮城県石巻市の太平洋へと進み
左側の流れは、小国川、最上川を経て102Kmを下り、山形県酒田市の日本海へと注ぐ
 
                       分水嶺にはロマンがある。
 
 そしてもう一つ  【三角点】
 
三角点とは、三角測量を行う時に地表に埋定された基準点のことを三角点といい、
経度・緯度の基準になるのが「三角点標石」で、高さの基準になるのが「水準点標石」である。
 
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それまでも、「三角点」には興味が有ったけど、それに拍車をかけたのが
新田次郎 の 小説、「剣岳・ 点の記 」を読み、改めてこの小さな四角い石に注目するようになった
 
それからは三角点に出会うと、必ず写真に納めるのだけれど
 地面に埋もれそうなのも有れば、彫り込んである文字も消えて読めないようなものも有る。
 
かともうと、江東区の富岡八幡宮境内にある角点は、磨き上げられた立派な石で保護されている。
 
通常、見晴らしの良い場所に設置されるため、高山の山頂付近に設置されている場合が多いが
場所によっては、東大の構内など、公的建造物敷地内の異設置されている場合も有る。
 
なお、三角点の置かれた位置は、山頂とは限らない。
 
いつか、旅先で、みやげ物店の裏のから、眼下を通る電車を見、ヒョイと足元を見たら
                        そこに「境界線」の様な三角点があり、驚いた事も有った。
 
            調べれば調べるほど面白い三角点。
 
            一等三角点の有る山を踏破する、マニアの登山者もいるらしい。
  
 そして 【棚田】
 
棚田は、時期を選ぶから難しいが、棚田を訊ねる旅をしてから久しい。
 
最初に見て「棚田好き」、になったのが、長野県にある「姥捨・田毎の月」の棚田で
冠着山 (おばすて伝説のモデルとなった姨捨山) から続く斜面に、不揃いな形の田んぼが並び、
月夜にはそれぞれの田毎に名月が浮かび上がることから「田毎の月」として、
芭蕉や一茶など、多くの俳人の句の題材にもなった、「名月の里」として知られている。
 
ここには何度か行ったけど、写真にはなりにくい所である
 
棚田に興味を持ち始めて色々な棚田を見たが、まだまだ見てみたい棚田がいっぱいあるが
 大体において、棚田に行く道は非常に狭く、車で行くには、車が替れないような細い山道を
クネクネと進まねばならない所が多く、なかなか思うに任せない。
 
六月、田んぼに水が引けた時、   田植えが始まり、チョロチョロと稲が風になびく時、
 
稲が青々と天を目指して育っている時、  初秋になり、黄金色の稲がたわわに実る時などなど、
 
この時期の旅は、実に楽しい。 桜の季節と匹敵する程心が弾む。
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           昨年九州に行った時に立ち寄った「浜野浦の棚田」 七月15日頃。
  
  【マンホール】
これも、かなり昔から面白いナァ、と思い、興味が有ったが、写真を撮り始めたのは、ここ2~3年
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 横浜のマンホールにも、色々有り、同じ図柄でも、「雨水吐」、「電気」、「汚水」等々、
                                       マンホールはデザインも色々有って歩くのが楽しい。
  
 【祭り】
                       σ(`ε´)江戸っ子でぃ!、お祭り大好きでぃ!
 
 なんて言っちゃったけど、お祭り好きになったのは「秋田竿灯祭り」を見に行ってから
 「ぴ~ひやら~ぴ~ひやらり~」の横笛の音が暫くは耳にこびりつき、口ずさんでいた。
 
 東北三大祭りは勿論、日本の祭りで興味のあるものの「追っかけ」になった。
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  昨年は「博多祇園山笠」を追いかけ、盛り上がりついでに、
 
      高地のよさこい、徳島の阿波踊りと、真夏の暑いなか、熱くなった。
 
        今年は、数年前に行った「岸和田のだんじり」にまた、行こうか、と云う話も出ている。

 
このように、興味のあるものは沢山あるけど、その時々、興味の照準は変わるし、
 
好奇心旺盛なわりに、身体と頭が追いつかない。。。。
 
ブログに項目はもうけたものの、昔「温泉」でも挫折しているし~(苦笑
                                                                ともかく、なにより 早く春よ来~い♪ 

             2014.07.26   志賀草津道路へ抜ける道 幾度となく通った道なのに気が付かなかった
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(724)【ハブテトル ハブテトラン】中島京子

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2008年21月22日第1刷発行
ポプラ社
単行本
249ページ
1400円
 
 
図書館で借りる
 
 
 
「BOOK」データベースより
「ハブテトル」とは備後弁で「すねている」という意味。
母の故郷・広島県松永の小学校に、2学期だけ通うことになった小学5年生の大輔。
破天荒な大人や友達と暮らすうち、大輔は「あること」に決着をつけようと、
自転車で瀬戸大橋を渡ることにする。
青少年向けなのかな?
 
不登校になった少年が広島のおじいちゃんの家に預けられ、そこから土地の学校に通う
直ぐに友達が出来、土地の少年達の仲間にも入れた。
 
 
登場人物の中で大輔の相棒?とも言える「ハセガワさん」がダントツにいい
ハセガワさんとの出会いは「だゃ~すけ」と呼ばれた大輔の困惑。方言がサッパリわからない。
 
 
 
東京の学校で、共に学級委員をしていた「サノタマミ」は引っ越して今治に住む。
 
 
5年生の大輔は、サノタマミにどうしても話したい事が有り、彼女にに会いに
悪戦苦闘してしまなみ海道を自転車出ひた走る。
 
 
途中までは、おじいちゃんの友達のハセガワさんのオンボロ軽自動車に乗せてきてもらったんだけど
オンボロ軽は橋の途中でエンコしてしまった。
 
途中で逢った学生さんの自転車の後ろに乗せてもらい貸し自転車屋まで行き
自分に合った自転車を選び、サドルの調節までしてくれた親切な学生さんと別れ
これから、大輔の過酷な独り旅が始まる。
 
 
始めは勇気凛凛、勇んで出発したものの、思っていたより、今治は遠かった。
 
喉は渇くしお腹もすくし、お尻も痛くなる。。。。
 
途中「良い人」に助けられ、目的を遂げるが、今治の出会いが、いともアッサリ終るのが面白い。
 
 
――自動車で走りながら見る景色と自転車に乗って見る景色とでは違って――
   という大輔少年の感性が良い。
 
そのシーンが表紙のイラスト。
こんな可愛いチャリに乗ってる少年のイラストの表紙を見たら、たまらない、直ぐ読みたくなっちゃう!
 
 
大好きな「しまなみ海道」が出てきたので、思い出しながら楽しく読めた。
 
土地のお祭りとか観光名所や食べ物、などなどが楽しく、
特に喫茶店ルナの「プリントップ」は実際に有るらしい。
 
松永近くに行ったら、食べてみたい~♪

(723)【無花果の実のなるころに】西條 奈加

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2011年2月25日初版
東京創元社
ソフトカバー
250ページ
1500円
 
 

図書館で借りる
 
 
 
 
「BOOK」データベースより
父の転勤に同行せず、神楽坂の祖母と暮らすことを決めた中学二年生の望。
包丁も持てない祖母は面倒くさがりで、気が強くて、決して世話好きには見えない。
でも「お蔦さん、お蔦さん」と誰からも頼られるような、不思議な吸引力を持っている。
そんなお蔦さん目当てに人が集まってくるから望も何かと忙しくて…。
お蔦さんや学校のみんなに振り回されつつも少しずつ成長していく望の、
あたたかくて少しだけ波乱のある爽やかな日常。
表題作を含む六編収録の短編集。
苦手な短編集だった><:
 
「罪かぶりの夜」、「蝉の赤」、「無花果の実のなるころに」、「酸っぱい遺産」
「果てしのない嘘」「シナガワ戦争」。
 
主人公は、料理が上手い中学生の「望」(のぞむ)
彼は、神楽坂に住む元芸者の粋なおばあちゃん「お蔦さん」との二人暮らし。
 
       放り出す程つまらなくはないけど、欠伸が出るような内容。
                   大人がわざわざ時間を取って読む本では無い。。。(私的感想デス)
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kinako

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