2013年07月

白馬、志賀高原へ③

7月26日
石の湯ロッジ――草津志賀高原ルート(R292)――横手山――草津白根山――草津――座禅草公園――大津――R144――万座鹿沢口――浅間白根火山ルート――鬼押し出し――白糸の滝――旧三笠ホテル――R18――佐久IC上信越道――横川SA――藤岡ハイウエイオアシスららん――練馬――横浜自宅


 
     石の湯ロッジの駐車場  赤いパラソルの左には「足湯」がある。
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   志賀高原のホテル街から車で数分のところに有る 前山リフト近く。小学生の団体。
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 この日は夏休みに入ったせいか、志賀高原は小、中、高校生の団体が多かった。 
 私の年代でいう「林間学校」、なんてまだ有るのかなぁ?
 
  【横手山スカイレーター】は山の斜面に架かる動く歩道。
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 高低差35m、長さ200mを約5分で横手山中腹まで運んでくれ、リフトに乗り換えて山頂まで行く。
         スカイレーターは、上りと下り交互に運転しいる。
 
      【渋峠】   建物の真中が、群馬県と長野県の県境になる。
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    【渋峠リフト】 このリフト、いつ来ても人はまばら・・・この日も乗っている人はいなかった。
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                    オレンジ色に塗られている石は何?? イメージ 13
    
                           近くに「日本国道最高地点」 標高 1272m の石標がある。
 
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             志賀草津高原ルートのR292号は変化に富んだ景観で何度来ても飽きない。
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      みるみる間にガスが上がって来て、この数分後には数メートル先も見えなくなってしまった。
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 白根火山ロープウエィ  見えるかな?生河原と草津白根山を結ぶ、全長2.4kmのロープウェイ
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  ケーブルカーのボックスが豆粒みたいに小さく見える。 乗車時間約10分の長い距離だ。
 
 
  草津の街を通り湯畑の温泉街を通り、鬼押し出し方面へと抜ける。
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   何だか、周辺、工事をしていて、イマイチ雰囲気が無い。   やっぱり冬がいいなぁ、ここは。
 
 
    【白糸の滝】   ひんやりと気持ちがいい~♪   ここへ来たのは何十年ぶり?
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  この近くは通っているんだけど、駐車場付近の混雑を避けいつも迂回してしまうけど、
                                                                                                         この日は寄ってみた。
 
  義父がまだまだ元気で、私が毎週、土日横浜から茅ケ崎に通っていた頃、
                                                                               夫の両親と義弟と5人で来た事があった。
 
  この滝を前に、私を写してくれた写真が、どの写真より、私のお気に入りになった。
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  やはり軽井沢周辺に近づくと、必ず、夫の両親の話になる。  
 
  義父のありがたさ、懐の深さを今更ながら思う。 
  偏屈で気難しく無口な義父だったけど、向っ気の強い嫁をを良く理解してくれた優しい人だった。
 
  白糸の滝は、その時 来た以来、で懐かしかった。
 
     義父がいたら、多分こんな被写体、好きで撮ったろうなぁ。。。 ピンボケになっちゃったけど。
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  【旧三笠ホテル】 歴史的建造物。国の重要文化財。
             ホテル前方に見える愛宕山が奈良の三笠山に似ている事から名付けられた。
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   文化人財界人が多く宿泊したことから、「軽井沢の鹿鳴館」 とも呼ばれていた。
  
                 R18号沿いの手打ち蕎麦屋で、昼食。
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  最初見た時は少々驚いた。   男の人がピンクの「おぶい紐」で乳児を背負い、お運びをしている
 
                しかし、直ぐ目になれて、色々想像した。
 
 子供だって10Kg近く有るだろう。その子を背負い、店内を忙しく動き回り、座敷ではスクワット・・・・
 
 お母さんは? 夫は「次の、コレ(お腹が大きい)なんじゃ?」
 
 おじいちゃんとおばあちゃんは調理場で調理をしているのが見えたが奥さんらしき姿は見えない。
 
 私は「多分、ご養子さんじゃないかな~?息子だったら絶対させないと思うし、嫁にやらせるでしょ」
 
 夫「 いや、息子だからやらせてるんじゃないか?
                        女には子供おんぶしては、重労働でできないだろ?」
 
 私「もし、息子なら子供のころから親に仕込まれているから、調理やってるでしょ?
         
             嫁が事情が有って仕事に出られないなら、息子が調理場やって
 
                               おばあちゃんが子供おんぶするんじゃない?」
 
 夫 「いや、ばあさんには、座敷に上がったり降りたり、立ったり座ったり、無理だろ~」
 
 
             そんな話をしている間も、このお父ちゃん、良く働く、
 
             実に仕事さばきが良いのだ。 無駄がなく、目配りがきく。
 
             客が良く入るが、客席は彼一人である。
 
座敷テーブル席が6席(24人) 椅子席が5、6席くらいかな?
 
あと奥座敷もあるみたい。注文、提供、下げ膳、レジ。すべて一人でこなしている。にこやかに。。。
 
見るに見かねると、奥からおじいさん、と言ってもまだ若いが、、、出てきて料理の提供をしている。
 
従業員が少ない割に、蕎麦の出てくるのも早いし、帰った客席の片付けも早い。
 
お茶も、蕎麦湯も、欲しい、と思う時に、サーっと出る。 この、あ・うんの呼吸は見事だ。
 
頭のいい人なんだろうな。と思った。
 
                 そんな、どーでもいい話に帰りは花が咲いた (ノ∀`)
 
ん?蕎麦の味?可愛い赤ちゃんが気になって~、
 
(ノ∀`) ま、可もなく不可も無く。  蕎麦の量が多かった! 蕎麦湯が美味しゅうございました。
 
 
 
   横川PAに入ると、何やら赤色灯があわただしく回っている
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   なんだ!?なんだ?!火事と喧嘩は江戸の華! おいら江戸っ子でぃ (`ε´)b 
 
 
    ドクターヘリだ!   ここでまた、夫との 野次馬的想像話になる
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 私 「近くの山で遭難した人をここまで運んで来て、救急車に引き渡す、って事?」
 
 夫 「この間も八幡平でドクターヘリが空を旋回してて、下で救急車がヘリ追いかけてたもんな」
 
救急車の近くで、普通の格好をした女性と、子供を抱いた男性が隊員と何か話している。
 
 
 
  私 「道路が渋滞している場合なんかもヘリで、こういう中継地点で引渡したりしるのかネ」
 
  夫 「これ、救急車でここまで運んで来て、車じゃ間に合わないからヘリで運ぶんじゃないか?」
 
  私 「だって道路すいてたよ」
 
             先ほど話していた女性が隊員に促されてヘリに乗った。
 
     次に担架が出され救急車に横付け。青いビニールシートで患者を隠しヘリへ運んだ。
 
     この間20分位かかっていただろうか? 
 
     野次馬の子供は事情がわからずに、ヘリが飛び立つ、カウントダウンをしている
 
      なかなか飛ばない。患者死んじゃうよ~><;
 
      係の人が「ヘリが飛び立ちます、少し下がってください!」
         
 
      あ!やっと飛んだ!     ( 」´0`)」 お大事に!!
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                てな訳で、野次馬はここで、解散。   
 
     近くにいた、おばちゃんに話しかけられた 「どしたんです?」  σ(・"・; 「わかりません」
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              人が怪我や病気で苦しんでいるのに。。。
              ったく!野次馬って奴はしょうがないんだから (ㆆ_ㆆㆀ) モウシワケアリマセヌ
 
        
 藤岡ハイウエイオアシスにより、食材を調達。

 青空市で、雑多なものを格安で売っている。キッチン用品から大工道具、その他色々
 フライパンやハサミや、ラップや。。。。あらゆるものが格安!
 
 中年過ぎの主婦らしき人が色々手にとって 「安い!これ買って行きたい!」
 連れの旦那と思う男性             「バカ!こんなもん買って旅行に持ってくのかよ~!」
 
        私 (*^-^*)         「ホント!私こういうの大好き!買って行きたいわよね~」
 
            彼女       「腐るもんじゃないんだから買って行こうよ~」
 
 
  似たような会話が他でも聞こえて可笑しい。 
 
  ジリジリと、炎天下で無かったらもっと見たかったな~♪ こういうの、好きなのよ、女性は(笑    
 
  
 
  環八は渋滞。それでも帰宅は明るいうちに着いた。
 
  フライパンなんぞ、見てなけりゃ~もっと早く帰えれたかも~  ⌒(。A。)!!!  
 
      
         本日の走行距離  280km     総走行距離825km
 
  
  お目当ての青木湖の蛍も、 石の湯ロッジの蛍も見られたし
        幾ら見ていても飽きもしない満天の星空を 首が痛くなるまで見た。
 
  ゆったりとした旅だった。
 
                       今回 取りこぼした 「バードウォッチング」 は取っておこう!
 

白馬、志賀高原へ蛍狩り②

7月25日
白馬ハイランドホテル――R148――青鬼棚田・お善鬼の館――南小谷駅――小滝川ヒスイ峡――
糸魚川――R8――能生 かにや横丁――うみてらす名立(ランチ)――上越市――R292――
中野道の駅――志賀高原――  石の湯ロッジ 泊
 
白馬は数年続けて来ており、代表的な観光地は殆ど行っているので、今回は人の多い所は避けた。
 
水良し、空気よし、の白馬村は、松本から のどかな 安曇野の高原を通り、北へ昇ると
青木湖のあたりで高瀬川が姫川に変わる附近で分水嶺となり、日本海へと流れを変える
 
糸魚川まで約30kmのところに白馬村はある。 この日、新潟、糸魚川に抜けてみた。
 

 
 ホテルの駐車場前の庭。  昨年は、こんな「庭」らしくは無かったと思った。 このほうがいいわ♪
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糸魚川線の橋りょう。下には姫川が流れている。水量多し。手前がダムなのでドバドバと流れてくる。
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   ホテルで聞いた、近くの「青鬼の棚田」に寄ってみる。
   集落の入口の駐車場に車を置いてブラブラと田圃の真中の道を上って行く。
 
   青鬼神社への道・・・魅力的な、神社への「入り口」。。だが、その気になるとエライ事になる
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  鬱蒼とした杉林の中を、とぎれとぎれの階段を、200段以上登ると、ちんまりと神社があり、
  江戸時代中期に建てられた社殿が残っている。  そうです。
      
                  行ってません。聞いた話です。 (*^m^*)
 
      スズメではない、、、   あなたのお名前は?
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  【青鬼の棚田】 重要伝統建造物群保存地区に選定  遠く白馬集落が見え、
                   その向こうにかすかに見えるのが白馬連峰、雲がかかっている
 
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 青鬼集落は、美しい北アルプスを望む、標高約760mの山懐に抱かれ、
                  集落東側の水田の棚田は「日本の棚田百選」に認定されている。
 
 
  田圃の水は恐ろしく澄んでいる。 
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               オタマジャクシが半分カエルにカエルつつある (。_。*)
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 野イチゴがなっていたので 摘んで口にしようと思ったら、
                     夫が、 「 (゚Д゚) 止せ!」 野イチゴは食べた事がないという。
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 (*゚∀゚)b 「野イチゴ子供の頃食べた事無いの!? 
            子供の頃、滅多には無いけど、σ(゚O゚*) 見つけてたら摘んで食べたわよ~」
 
             夫は、断固として、「喰うな><;」 
 
 懐かしく、可愛いらしい赤い実、口に含んでみたかったけど
      「腹でも壊したらつまんない」ってあんまり心配するので、やめておいた。 o(≧▽≦。)キャハ
 
 
    丁度蕎麦の花が咲いている時期で、少し離れてみると、ビンボー草と見分けがつかない。 
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 大嫌いな、蛾のような蝶々?、蝶々のような蛾?。こういう所で見ると綺麗に見えるから不思議。
 
     戸数14戸のみの集落だが、さすが重要文化財、 綺麗に手入れされている家々。
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          上を見ると燕がずらりと電線に並んでいた。  足がかわゆい~。
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   ↓ズラリと並んでいるのは、サイダーの空き瓶です。   このおじさんに呼び止められました。
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 棚田を見た帰りだったけど、「パンフレット持ってっか?」   σ(・"・) 「いえ」 「なら持ってけ~。」
                                     来た時は戸が閉まっていて誰も居なかったのに。  9時開店なのか?
 
 
  【姫川第2ダム湖】   水蒸気が上がって綺麗~  写真だとわかりにくいナァ
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   どこへ行く道? と夫に問えば、 新潟~♪と答える。
             新潟に出る目的は? と聞いたら、爆笑して応えない。 何故爆笑?
                                                                            σ(-∀-) さして目的は無いと見た
 
 
  【ひすい峡】  今まで何度か途中まで来て断念している。理由はいろいろ。
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 土地の、タクシーやバスの運転手さんに聞くと、未知はかなり狭く、大型は通れない。という。 ネットで調べても、「道は狭い」。 
 
 今まで、未知の狭い道へ入り込んで、冷や冷やした事が何度ある事か!
           向こうから車が来たらどーしよ~。    それで、懲りているのだ。
                       この日も、近くに車を停めていた人に聞いてみた。
                                                 「狭いけど、大丈夫ですよ、道はいいです。」  Go ~!
  
 でもって、これが「ひすい峡」、の一番の見どころ、らしい。 細い道を進む事、15分位だったかな?
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  確かに、綺麗に舗装してあった。 道は予想していたほど狭くない。 ここまではね。
 
  この先は工事中で、工事をしている方に聞けば、抜けられるけど、「う~んと狭くなる」って!
  
           ここで、Uターン!  今来たこの道帰りゃんせ~♪
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あんなに「ヒスイ峡、ヒスイ峡、」って言ってて、ついに来た ネー(=・д)(д・=)ネー!
                                          いつかは来なくちゃ気が済まなかったから ネー(=・д)(д・=)ネー!
 
目の前の岩壁が、バカデカ過ぎてカメラに入らない。 
                                       ヒスイ峡と云うだけ有って岩の色が何と無く綺麗。 に思える
 
 
因みに、「ヒスイ峡」とは、
昭和31年に国の天然記念物に指定された小滝川硬玉産地は、
姫川の支流、小滝川に明星山の大岩壁が落ち込んだ川原一帯を指し、
ヒスイのふるさと糸魚川を象徴する日本随一のヒスイの産地、小滝川ヒスイ峡の名で多くの人に親しまれている。

この区域では岩石の採取はできないが、ここから流れ出たヒスイは姫川を下り、
市内の海岸に打ち上げられる。
このことからこの付近の海岸はヒスイ海岸とも呼ばれ、
愛好者がヒスイを求め、探し歩く姿が見られる。
また、全山石灰岩の山、明星山の大岩壁はロッククライミングのゲレンデ、
糸魚川真柏の産地としても有名で、その雄大な景色は一見の価値がある。
小滝川硬玉産地の「硬玉」とはヒスイのことで、微細な結晶が絡み合っているため
非常に壊れにくいという特徴を持っている。
宝石として人気の高いヒスイだが、一般的に宝石の原石というのは、
磨いて初めて輝きや美しさが出てくるもの。
しかし、当地のヒスイは川の清流によって自然に磨かれ、
原石のままでも十分に美しく存在感がある。
 
R8号線沿いの日本海。 日本海、と云うと、荒々しい、と云うイメージがあるがこの日は静か・・・
 
海岸にズラリと並ぶのは「番屋」(多分)  番屋と云うと「オンボロロ~」が多いが今は違うんだね~
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         【かにや横丁】  店のものを買うとその場で立ち食いさせてくれる。
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      前を通ると、赤シャツのオバチャン達のモーレツな客引きに逢う。 また楽しい^^;
 
 この時は、ここで5~6人の男女がカニ足を向いてもらって食べていた。
 
 私たちはもう少し奥のカニ専門店では無い、魚屋?で、ウニと岩ガキを食べた。
 
 ウニは、トゲトゲの殻を割ってもらい 岩ガキも殻を開けてもらった。 
                               予想通り、それは美味しいものではなかった。
 
 薬品(ホウサン?)の味もしなかったけど、、只「ウニである」というだけ。美味しくは無い。
 
 
 北海道でも食べた、寺泊でも、他でも食べた。 先ず、美味しいものは食べられない。  
 
 むか~し大船渡だったかな~、普通の食堂で食べた「ウニ丼」の味が忘れられない。
 
 甘くてとろけるように美味しかった! 薬品の味なんぞ一切しなかった。
 
 ああいうウニを食べてしまうと、今時の、幾ら高級な店でも薬品漬けにしたような不味いウニなんぞ
 
 食べられない。ウニ大好き!だからこその話。だから私は滅多にウニは食べない。
 
 
 夫は、この日もお 昼に「ウニ丼」を食べた。 勿論新潟の海の近くのこういうようなところでね。
 
 やめりゃぁいいものを。 やっぱり、旨くは無かった。    (*^m^*) 私は無難な海鮮丼!。
 
           【志賀高原】に入る
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 今晩の宿泊は、志賀高原の、ホテルの密集した所から少し奥に入った所に有る 【石の湯ロッジ】
 
 やはり昨年来て、気に行っているホテルだ。
 
 ホテルの前は白樺の林で、その中から、バイオリンを奏でる音が聞こえる
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  良く見ると白樺の奥で、女性が――。     なんだかロマンチックぅ~  絵になりますねぇ。
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  早く着いたので、ゆっくり温泉につかり、食事。
 
  この食事がね~、、、、去年もそうだったんだけど、形ばかりで美味しくないのよ~><;
      この日の主催は魚の蒸しもの???とカツレツだったけど、魚は一口食べ不味さで残し、
          カツレツは油っぽくて半分残した。
 
  救われるのは、コースの他に
        (和洋折衷だけど、良く見れば、和食。 それをナイフとフォークで食べさせる)
  カウンターに数種類の料理が品よく並べて有って、それを自由に取りに行っていいの♪
  
  そして、飲み物はジュース(2種類)コーヒー紅茶は勿論、日本茶も数種類置いて有って
  私の大好きな蕎麦茶もあり、自分で淹れて急須ごと持ってきていい。 何杯でも呑め、嬉しい。
 
  それに、殆どの従業員の気配りが効いて気持ち良く食事が出来る。(例外が1名いたけど)
  
 このホテル、実はケチ(↑▽↑)   コスパは決して良くなく、決して安いとは言えない料金。
 
 寒い所に有るホテルなのに、狭いトイレ、暖房便座では無く、シャワーもついてない
 
 びっくりしたのは、昨年は南側の部屋だったので感じなかったが、今回は道に面した部屋なのに
 
 レースのカーテンがついてないので、、ベッドでくつろいで読書などしようとしても、部屋が丸見え
                                                         厚いカーテンをひいて昼間っから、電気をつけなけらばならない。
 
 
 バスタオルや半纏は受付に行って借りなければ部屋には置いてない。
                                                                                などなど、倹約と云うよりケチ
 
 部屋に、お茶の用意はしてあるが、お菓子は全く置いてない。(ビジネスホテルより悪い)
 
 アルミの急須は使い古され過ぎて禿げており、汚い。部屋も倹約しすぎ?で広いんだけど 作りがおかしい。等など、色々不満はあるんだけどね、
                           立地条件と雰囲気がいいので今年も来てしまった。
 
 まぁ、「ロッジ」だからね、仕方ないけど、
               料金も、南側の眺望の素晴らしい部屋と、この日の部屋とほぼ一緒では不満!
                                 部屋を変えてもらおうと思ったら、満室ですって。 
 
 
 それでも温泉は、白樺の林の中では入っているような気分だし、
                                      裏のテラスに出れば、暗くなれば蛍がふわふわ舞う。
 
 そして表から近くの橋に行くと蛍の乱舞が見られ、グルリと庭を回る道には無数の蛍が飛でいる。
 
 空を見上げれば、満天の星!夕方まで雨だったのに! すっかり雲が切れている。
                                             天の川がハッキリ見えた。  
  
 ホテルの玄関からも、白樺の林に蛍がふわりふわりと舞うのが見られる。 
 
                雰囲気満点なのだ。
 
 ホテルの庭をそぞろ歩いて蛍の光に癒され、温泉でリラックスして、ぐっすり眠った。
 
 明日は帰る。   帰りはどのルートを通るのかな~~♪
 
                                          本日の走行距離  190km
 
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白馬、志賀高原へ蛍狩り①

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夏の恒例となった白馬村に今年も行ってきました。
 
天気予報も悪く多くを期待しない旅でしたが、どうしてどうして2泊3日の楽しい旅となりました。
 
7月24日
横浜自宅――関越道――碓井軽井沢IC――R18――中軽井沢――ピッキオネイチャーツアー
                         (破天荒があやしい為、次回に取っておくことにした)
――R146――羽根尾――R144――地蔵峠――松城駅跡――松城城跡――
長野IC近くの蕎麦屋で昼食――R19――小川村――R406――白馬――青木湖――
                                         白馬ハイランドホテル 泊

 この日の目的は、中軽井沢でバードウォッチングをすることだった。
 
 雨は降っていなかったものの、周囲の山には雲が低くかぶさり、今にも降り出しそうな空模様、
 雨を心配しながらのバードウォッチングは嫌なので取り止めにした。
 
       旧軽井沢を通るたび、話題は、私たちが結婚する前の事、
 夫がここ旧軽井沢に仕事で1週間ばかり泊まり込んだ時、毎晩私に電話かけてきた。
 
 そのころはまだ携帯も無く、同僚に気づかれない為、
  わざわざ周辺に一つしかない公衆電話から、寝る前に必ず電話をしてきた。
 
 豪雨の日もあり、そんな中、夜な夜な出掛ける夫を同僚はいぶかったと云う。
 
 当時、私と夫は同じ会社で働いており、出張から帰った同僚が軽井沢の話の中で、
 「○さんは夜な夜などこかへ出かけて行ったんだぜ、
            すごい土砂降りの雨でも合羽来て、それも毎晩なんだよ
                       かなり怪しいよな~、 廻りは何にもない暗闇なのに・・・」
 
       私は黙って笑って聞いていた。  数十年も前の話である。
 
 そして、義父母、と義祖母の話しになる。
 
 昔、軽井沢には、義祖母の別荘があり、義母は娘の頃、夏はよくここで過ごし、
 その話を楽しそうにしていたものである。
 
 義祖母の別荘は北軽井沢の「大学村」と呼ばれている地に有り、
 今もそこは、当時の面影をそのまま残しているようだ。
 
 夫は子供の頃、来た事があるらしいが記憶が定かではなく、どのあたりか今となっては解らない。
 
 義父は軽井沢には良い想い出が無いらしく、一切軽井沢の話はしなかった。
 
 義母は彼女の「良き時代」過ごしたところであり、折りに触れ話して聞かされた。
 
 義母の話が私の頭の中に刷り込まれており、旧軽井沢を通ると、何だか懐かしさを覚える。
 
 そんな事で、この日も旧軽井沢の静かな別荘地を通り、義父母の若かりし頃の話に花が咲いた。
 
        因みにその「大学村」は、縦2km、横1kmの面積で、
 
 舗装された4メートル道路が斜めに1本だけ走っており、あとは全部ダート道で、
                                       昭和3年開村当時のまま。
 
 大学村では、舗装も道路も家の建築も約三百軒の村民が合議制で決めており、
      家が建てこまないためとまた、お金持ちに土地を買い占められないために、
                               1軒が五百坪の土地になっている、と云う。
 
      群馬県吾妻郡嬬恋村
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     半出来温泉は、目の前に吾妻川が流れる野趣にあふれたかけ流しの温泉。
    
   名前こそ半出来という名称だが塩分を多く含んだ泉質で、その効能は多種にわたる、
     名前の由来は、土地が痩せていたため作物がよく育たず、 近隣の地域に比べ、同じ面積の
  土地で、同じ作物を作っても、半分しか収穫が無かったことから、半出来」と呼ばれたそう。
 
 
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お~!源流が見られるんだ!
 
(^▽^) こういうの大好き~♪
 
車を降りて下をのぞいてみたが
草が茂って源流は全く見えなかった。
 
こんな標識を立てておくなら
せめて見える程度に下草刈り位
してくれればいいのにぃ~。
 
 
 
 
 

      もう、ひと月も経てば、花びらも大きくなり、立派な ひまわりになるんだろうなぁ
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     【松城駅跡】   最初遠くから見た時、 お!雰囲気のある駅だ。と思ったが――、
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  駅舎はそれらしいが、昨年の4月に廃線になった 屋代線で、
              千曲市の屋代駅から須坂駅まで24,4kmの電車線だった。
 
                  まだ張り紙も古さを感じない。
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 100円の入場券を買わずに 駅に入ってみたが、線路は外され、何だか間が抜けた光景だった。
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   【松城城祉】  川中島の合戦は、この城を舞台に繰り広げられた。
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 戦国時代、武田信玄が上杉謙信の攻撃に備え、山本勘助に命じて築城。
 千曲川のほとりという自然の地形を生かした天然要塞である。
 江戸時代に真田信之が上田城から松代藩主として移った後は、
 真田氏10代が城主としてこの地を治め、10万石の城下町を形成した。
 平成16年に大規模な修復・復元工事が完了。
 
       廃線になった 屋代線は お城の前を通り、歩道の巾だけの線路が残っていた。
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         このあたりには、どこにでも、真田「六文銭」のマークがある
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       昼食をした長野市内の蕎麦屋では、名門女子大生が蕎麦打ち体験をしていた。       
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            σ(・ω・。)  蕎麦打ち、一度はやってみたいぞな~
 
        早めに白馬村に入ったので、夜しか行った事のない青木湖に行ってみる
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  青木湖は夜、湖上の蛍を見に来る所だ。  昨年初めて体験し感動、今年も、と云う処だが・・・
      う~~ん、、、イマイチ天気が  ねぇ><;  降ったり止んだり、だもんなぁ~
 
 
  3時少し前ににホテル入り。まだ部屋が空いてないとかで、ロビーで待つ。
 
  このホテル宿泊は3度目で、お気に入りのホテルで、不快な思いをした事は無いのだが、
    受付嬢は若いのに、鼻眼鏡の気の利かなそうな女性で、何と無く嫌なカンジ~
 
 
   ロビーのガラス窓に へばりついている 青カエルの子   お腹がぷくぷくしてる (^▽^)
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  間もなく別の女性が来て、
 
  「○○様おまたせしました。もう、ホテル内はご存じと思いますがご案内いたしますか?」
 
 人懐っこい笑顔を見せるこの女性、 案に、「あなたが再訪と云うのは知ってますよ」という事だ。   
 客室数70部屋弱のホテルで、長い廊下にはホテルの庭で積んだ花がそこここに飾ってある。
 
 
 ホテルの部屋から。 写真中央の尖がった山↓が「白馬槍ヶ岳」隣りが「杓子岳」隣りが「白馬岳」
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  ↑ 緑色が白馬ジャンプ競技場で、1998年に開催された長野オリンピックで利用された競技場で
    オールシーズン、スキージャンプが可能だ。
 
  初めて行った時に青の上に立ってみたが、あまりの高さに足がすくんだ。
         手前の赤い屋根は総合体育館で、デカイ!
 
 
  夕飯前にゆっくりとお風呂に入る。 勿論温泉!露天風呂もある。 
  残雪の白馬三山を眺めながら露天風呂での~んびり、、、、贅沢だわ~  (~~~)
 
 
夕食は、ビュッフェ、豪華さは無いし、さほど「旨い!」と云うものも無し、種類も少ない。これは毎度のこと、しかし、従業員のさりげない気遣いとサービスで気分良く食事できるのだ。
 
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 面白いのは、この「席取札」 (^▽^) 昨年は無かった。
 ハンカチを置いたり、部屋のキーを置いたり、
 
 また食べ終わり、座っている人がいなくても下げ膳を
 躊躇したり。
 
 客にとっても従業員にとっても便利な せきとり(^▽^)
 
また、以前なかったソフトクリームの機械が入って、自分でニュルリと出来るようになっていた。
 
このホテルは従業員会議で、色々な意見を出し合い、
自分が客だったら、、と思う事を議題に乗せ、協議するらしく、
ソフトクリームの機械は、従業員研修旅行に行って泊まったホテルに有り、是非ウチのホテルでも!
となっていたそうだが、この機械は意外に高価らしく、やっと導入したとか。
 
気が付く人が少なくて、だれも、ニュロリ~、とやっていなかったが、試しにチョッピリ、ニョロリ~♪
 
これが、その辺の「牧場のソフトクリーム」などとは比べ物にならないくらい美味しかった!もっと食べたかったけど、お腹一杯!残念~~><;
 
   食事中に、山にかかる雲や空の色が刻一刻と変わり、いくら見ていても飽きない
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 諦めていた青木湖の蛍も、天気が回復したので決行されることになり、
 車でホテルの玄関まで迎えに来てもらった。
 
 湖上の蛍は昨年より、数は少ないものの、湖に映る蛍がゆれていて幻想的だった。
 
 シ~ンとした湖上に、聞こえるのはボートが水を分けるかすかな音だけ、静寂の世界・・・
 あんなに曇っていた空に、星がひとつ、ふたつ、雲間から見えた。
 
 雲が無ければ満天の星で、星空ウォッチングもでき、今日は星座の説明も出来ず残念!だとか
 
 この日は私たちともう一組のカップルだけで、ボートもゆったりとして快適だった。
 
                                ↓ 白馬アドベンチャークラブホームページより
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    ホテルから青木湖まで、途中のホテルに立ち寄り、待ち時間も含め、30分位の間、
    迎えの車の若者と、 趣味と仕事の話、遊びの話、家庭の話、などなど話が弾んだ
          若者の新鮮な話に引き込まれて聞いた。  
 
    夢をあきらめ、と云うより、生き方を切り替えて、今の会社に入った、と云う話、納得できた。 
    仲間はまだ、オリンピックを目指したり、アマチュアで頑張っていると云う。
 
    スポーツでそこそこ名を挙げた者は頂点に向かって突っ走るが、いつまで突っ走るか、
    その切り替え時の話は、とても良く理解できた。 彼は早々と切り替えた。
 
    別れ際にくれた名刺は、まだ作って間もないといい、名刺箱に納まっていた。
 
    インターネットで調べたら、顔写真入りで彼のプロフィールが載っており、
    有る競技で学生時代から何度も優勝しており、プロになって全日本で優勝した直後に
    切り替えたらしい。 

        切り替え時期、どんな事にも共通し、見極めの難しい課題である。
    少しオオバーに言えば、人生を語った。
    切り替えた人生が彼にとって、ハッピーになるようにと願う。
 
    
    湖上で冷えた体をホテルに帰って温泉で温め、ぐっすり眠った。イメージ 18
 
          本日の走行距離353km    明日は志賀高原へ。

                                        

(516)【追悼の達人】嵐山光三郎

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1999年12月15日発行
新潮社
ソフトカバー
434ページ
1700円

図書館で借りる
 
 
 
 
 
 
BOOKデータベースより
死んでけなされた漱石。切腹を許されなかった鴎外。 追悼によって世に出た宮沢賢治。
臨終の田山花袋に「死ぬ気分はどんなものかね」と訊ねた島崎藤村。。。

死にまつわるエピソードは、小説家の生身の姿を鮮やかに浮き彫りにする。
文人たちは知人の死をどう捉え、どう表現したのか?
明治、大正、昭和の文士四十九人の死に寄せられた傑作追悼文や弔辞を通して、
近代文学の新たな一面を語る。
明治から昭和にかけ亡くなった49人を没年順に追悼文と共に紹介する。
 
本書は或る意味では、49人の書いた小説よりも遥かに面白い。
 
作家と作家の確執、師弟関係、裏切り、その家庭の事情等など、
まさに、「事実は小説より奇なり」である。
 
49人の死に方も様々、
老衰し、大往生有り、金を抱えながら誰にも知られず看取られず、の往生あり、
自死あり、同じ自死でも情死あり、壮絶な自刃あり、とさまざまである。
 
追悼だからと言って、当たらず障らずとは行かず、追悼で故人を批判するものもあった。
 
夏目漱石は英国留学帰りの当代一の作家だったが、嫉妬され、追悼で批判された。
 
嫌われ者と評された岩野泡鳴、岡本かの子、林芙美子、アル中だった若山牧水
 
臨終寸前の田山花袋の耳元で
「死んでいくときの気分はどういうものかね」と訊いたといわれる島崎藤村。
情死した有島太宰は蔑まれた。
 
かなり分厚い本だ。
 
追悼文ばかりでなく其々の作家にまつわるエピソードなど興味深い話が盛りだくさん。
 
全く知らない作家もいたが、
       これを読んで、その作家の作品を読んでみようか、と云う気にもならせる。
 
印象に残ったのは、「岡本かのこ
夫の一平は、かのこの死を6日間隠していた。急逝だった。
人に知らせる気になれず泣いてばかり暮らした。     かの子の遺言のとうり、土葬にした。
一平の追悼は切々たるものがあり読む者の胸に迫った。
 
しかし世間は、かのこは無知で傲慢で嫌われ者であり、ブヨブヨと太り、厚化粧をし、
ギンギラギンの衣装を着け、その容貌怪異が目立ち、10本の指に8つの指輪を付け、
のし歩く悪趣味はおぞましい化け物女として世間の目に映っていたのだ。
などなど、かのこと一平について、のこの章は、一編の小説を読むより遥かに面白かった。
特に一平が、かのこに結婚の申し込みをしに行った時の母親の言葉が爆笑ものである。
 
  「岡本さん、この子をお貰いになって、どうする気です。
       取り出せば、いい所のある子ですが、普通の考えだと、随分苦労しますよ。」
 
かの子は谷崎潤一郎に熱を上げ、一時追っかけまわしたそうである。
谷崎は勿論逃げ回り、「跡見女学校第一の醜婦」と言った。
彼女が亡くなった後に刊行された「老妓抄」の結末に書かれた歌が
    ―― 年々にわが悲しみは深くしていよいよ華やぐいのちなりけり ――
 
泉鏡花尾崎紅葉へ送った追悼文は「弔詩の、お手本として多くの人に模倣、踏襲された」
 
その、泉鏡花は偏屈で、人付き合いが悪かった、と云う風評が有ったものの、
志賀直哉、佐藤春夫、谷崎潤一郎、里見とんなどが、情のこもった追悼を書いている。
 
また、坪内逍遥の ―― 遊女を妻とした男。の章では、
                              「山田美妙」にも触れており、これも興味深い。
 
有島武郎 ―― 情死をどう追悼するか。で、  友人の足助素一の追悼が胸を討つ。
死人に口なし、出都合のよい事を弔辞で行った者に対して怒りをぶつけた。
 
有島は人妻の波多野秋子とともに、軽い沢で縊死した。
武郎は当代きっての人気作家で、理想高き45歳の男ざかりであった。
 
武郎が死に至った原因に、「石元静枝」の名が出てきたのには驚いた。 
後の「加藤シヅエ」である。
 
情死だったが、仲間の作家は彼をかばった者が多かった。
その理由は世間が彼に冷たかったからである。
「ひと房の葡萄」は教科書に乗っていたがこの事件の為に削除された。
 
岩野泡鳴 ―― ちょうど死にごろ
大正九年に岩野泡鳴という不良作家が死んだ。48歳だった。
 
彼が死んだ時、世間の殆どの連中が「ざまあみやがれ天罰だ」と溜飲を下げた。
どう追悼しようかと迷う人が多かった。 それ程彼は嫌われ者だった。
相手かまわず喧嘩を売り、グサリと刺す陰湿な攻撃に長けていた。
 
近松秋江は彼の死を、「良い死期かもしれぬ」と論評した。
 
その秋江は「島村抱月と同じ48歳で死に、漱石は50歳で死んだ。
 
森鴎外 ―― 切腹を許されなかった軍医
鴎外の作品は鴎外が亡くなってから売れた。それが日夏耿之介の追悼によって判った。
 
耿之介は、
鴎外の実証哲学と科学的な明晰を称えながらも、
紅葉、漱石、樗牛独歩ほど人気が出なかったのは、
俗人には近寄りがたい鴎外の人格にあったとする。
 
紅葉は小説好きに好まれ、独歩は素人に好かれ、漱石ファンはその双方にまたがっていたが、
「氏のみは、文士の為の文士であった」と弁明。
 
鴎外は論争好きで相手がどれほどの権威者であろうと、遠慮なく論戦を交えた。
高山樗牛を論争した時は樗牛に対する遠慮のない批判を樗牛の死後にも発表した。
故、いくら論争に勝っても世間的な人気を得るのは難しい。
 
高名鳴り響く割には本は売れない。
税務署が予想外の税金を請求してきた為、鷗外は抗議し、
それからは自ら印税収入額をハガキで提出した。
 
しかし、死の寸前、知人に筆記させた遺言状は、鷗外の文とは思えぬほど感情的。
 
彼はどこへ行くにも常に軍服と軍刀姿であった。
遺言は「いかなる官憲威力と言えども、ウンヌン、栄誉は絶対に取り止めよウンヌン」
60歳の悠然たる死であった。
にもかかわらず、死を目前にして、絶望ともいえる激しい遺言状を残した。
それ程官が嫌ならさっさと辞めちまえば良かったものを。

この遺言状は、生前の森鴎外らしからぬところ有り、矛盾に満ちていた。
 
芥川龍之介漱石の葬儀で受付をしていた時、
  「霜降りの外套に中折れ帽をかぶりし人、我が前へ名刺を差し出したり。
    その人の顔立派なる事、神彩有りというべきか、滅多にある顔ならず」  と追憶、

それが鷗外だったのだがその時の鷗外は陸軍を辞め顔色の日焼けも取れ一瞬気がつかなかった。
 
鴎外は色々な所に出てくるが、人間的な大きさを感じさせる。
著者は鴎外について「親分肌、というより兄貴分肌である」と書いている。
 
私は、鴎外の遺書の文面を、何度も目にしたが、見る角度により、こうも違うものかと感じる。
 
著者の、―― 鴎外は「孤絶して恐れず」という精神は荷風に継承されていったのである。――
                            この文章がとても印象的だった。
 
島村藤村――狡猾なエゴイストの死。
 
斎藤茂吉――あかあかと一本の道。
 
川端康成――末期の目。
 
昭和47年逗子マリーナの仕事部屋でガス自殺をした。遺書は無かった。
 彼は睡眠薬の常用者であった。
 
62歳に書いた「古都」は睡眠薬が書かせた。と本人が言っていた位だ。
川端の死には、色々な人に、色々な所で色々な意見を取りざたされている 
 
そして川端は先に逝った人への弔辞を多く読んでいる。
 
彼の弔辞は圧巻であった。  昭和23年、横光利一への弔辞は
 
――国破れてこのかた一入(ひとしお)木枯らしにさらされたる僕の骨は、
               君という支えさえ奪われて、寒天に砕けるようである」。と慟哭した。
 
川端の弔辞には死者への遠慮のない批判もある。
まっすぐに切りつける絶唱である。
川端にとって弔辞もまた文学であり、一言一句手を抜かずぬに精密ぬ書き込む。
 
親友であるから許される甘えは同情も無く死者へ問い詰めるように語りかけるのだ。
 
横光の2ヶ月後に、菊池寛が行った。 
川端は菊地の葬儀でも弔辞を捧げた。
川端の弔辞は的確で死者の性格を正しくとらえている。
 
弔辞は死者に向かって語りかけると同時に、
一般には葬儀に参加する生者に聞かせる言葉でもある。
 
    佐藤春夫への弔辞は 後世に残るのではないかと思う位の名文である。
 
 「斎場は分かれるにあらず。葬儀は別れる時にあらず・・・・
    ・・・・時は5月詩人の古里にたちばばなの花咲くならんか、ほととぎす心あらば鳴きと読もせ」。
 
佐藤春夫は詩人である。彼の死を思わせるような漢詩調の弔辞であった。
                     川端康成こそ「弔辞の達人」である。
あとがきに
この5年間というもの、私は作家への追悼文ばかりを読んで過ごしてきた。
8畳の仕事部屋は右も左も追悼文だらけである。
 近代文学館はじめ、神田書店他で収集した古雑誌とコピーの山である。
古雑誌にはダニがいて、そいつが腹や背をかむ。
追悼文の山は言葉の卒塔婆のようでだ。
書き終えてから崩れ落ちそうな古雑誌は虫干しにして部屋にはダニ退治薬を撒き、
コピーは焼いて埋葬するつもりだ。
これだけの素材を集め、書き上げた本は、文学史にもなると思う。
 
図書館で借りたものの、何回でも読みなおしたいと思う程、興味深く面白い本だった。
 
嵐山光三郎の本は前にも書いたが当たり外れがある
彼は、独特の文体でのエッセイで、椎名誠らとともに「昭和軽薄体」と呼ばれたくらいで
その印象が強く、最近になって、『悪党芭蕉』を読み、印象が変わった。
 
最近は彼の本ばかりを読んでいる。
本書は、「大当たり」であり、本書の中から、又、未知の作家に興味を抱き、枝葉に伸びている。
 
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 本は結構なスピードで読むものの、ブログに記録を付けるのが間に合わぬ。
 もっと自分なりの記録をみっちり残したいのだが、今回は我ながら雑。
 と言うのも、本書からの引用があまりにも多い (・"・;)
 
 多分、今後しばらくは、要点だけのメモ的なものになると思うが、何とか続けたいと思う。
 
 「継続は力なり」  !(* ̄0 ̄*)ノオー!イメージ 3
                                     
 

(515)【よろしく】嵐山光三郎

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2006年10月30日第1刷発行
集英社
単行本
312ページ
1900円

図書館で借りる
 
 
  
父・ノブちゃんが逝く。「よろしく」と書き遺して。
85歳を過ぎ、介護老人ホームに通うようになって、急激に老いていくノブちゃん。
その介護に体力を消耗する「ぼく」と、母・トシ子さん。
様々な事件と死を織り込みながら、父の人生を慈しむ長編。
著者は1942年生まれだから、62歳手前の話だと思う。
 親を介護し、看取った人ならば、誰しも同じような感慨を抱く物語で切実である。 
本来なら暗くなりがち「介護」ものだけど、著者独特の語り口でサラリと書いてあるところがいい。
 
最初の頃は家で普通に暮らしていたが、
父の認知が進むにつれ、母はギブアップ、著者夫婦も疲労困憊、施設に入院することになる。
 
息子である著者は、父親の見舞いに毎日欠かさず行き、母の要望に沿うべき努力邁進するが、
母も疲労困憊し、息子への要望もエスカレート、 
 息子は、苛立ってきて、今にも脳が爆発しそうになり、「僕だって介護してもらいたい!」。
 
父に苛立たれ、母に苛立たれ、その苛立ちが息子に全てかぶさってくるからたまらない
息子だって生身の人間だ、爆発もしよう。
 
老親の介護、特に父が倒れ、母が父の看病に必死になり、
そのはけ口を息子、特に身近な長男にぶっつける。
 
長男はたまったものではない。
母は看病一筋だが息子は仕事が有り、それで生計が立っているのだ。
5日前に酒を酌み交わした旧友が無くなった。 と、その夫人から震える声で連絡が有った。

仰天して涙も出ない。
色々な思いがグルグルと頭の中をめぐり、その晩は一睡もできなかった。

「ノブちゃん(父親)もきっとそうなんだな」、と気がついた。
 
友人が一人死ぬたびに、自分のある部分が死ぬのである。
二人死に三人四人と死んでゆき、
          最後に自分ひとりになった時、家族はその空白を埋める事は出来ない。
 
しかし、80歳を過ぎた老人は死の淵をうろついていても、
         その寸前で引き返してくる術(すべ)を心得ている。
 全く同感で、身も世も無く悲しんでいたかと思うと、
                                                      クルリと踵を返すような変わり身を見事にやってのける。
 
 一緒に嘆き悲しんでいた自分は取り残され、唖然茫然・・・   こんな経験が私にも多々あった。 

                      年寄りは無駄に長生きしてはいないのであり、したたかだ。
 
 
 果たしてこれ程、柳のようにしなやかで、強くしたたかに、自分もなれるのだろうか?                                       姑を見ていて、何度そう思った事か・・・・
 
 
「ノブチャン(父親)」が亡くなる前の事である。
       医者が驚くほどの回復で、「大した生命力だ」とほめられた。
 
その父親ノブちゃんが、些細なことをキッカケに不貞腐れ、怒鳴り、緊急用のブザーを押した。
 
              駆け付けた看護婦に、
「こいつら、二人で俺をからかっているんだ。 ここにいる息子はね、一番悪い奴なんだ。
             親不幸で不良なんだよ。言う事は利かないし、生意気だし、嘘を尽くし・・・」

               看護婦は困惑する。  
母は「なんでそんな事を言うの?」 と言えば、「お前は黙ってろ!」と声を荒げる。

怒り方が尋常ではなかった。 ベッドの下に落ちていた桜餅の葉を母に投げつけた。  
頭がおかしくなったのではなかろうか?

母がノブちゃんの額の汗を拭おうとすると、
「さわるな!」手をはねのけられ母は泣きそうになった。
          「もう死ぬぞ」目を閉じた。  
                看護婦は、ベッドのの乱れを直し、外れた点滴の針を直し出て行った。
母親は病室の隅でションボリし、「いいんだよこれで、」  ポツリと云う。
 
母が言うには
ノブちゃんの父親も最期はこうでした。
それまでは柔和で優しくて、みんなに愛されている人だったのに。
死ぬ3日前から、奥さんや子供を、ボロクソにけなしたから、皆びっくりした
聞くに堪えない程の罵詈雑言、どうしちゃったのかと思った。

そしたら彼の奥さんが
「死んでから皆を悲しませないために、わざと憎まれ口をきくんですって。
 いい人で死ねば、残された人はいつまでもつらいでしょう。
 だから、わざと悪くなって、残された人が、死んで良かった、と思うようにふるまうんです。
 病人ってそういう気の使い方をするのよ」。。。。。。。。。
  ノブちゃんは、ますます呆けてくる。  息子はその呆けに寄り添い付き合う。。。。
 
そして、いよいよ危篤になろうかと云う時に、二男である弟が来て、父親の貯金通帳の話になる。
 
弟はオヤジはいくら金を持っているんだ?と聞く
 
         その会話に思わず苦笑してしまった。どこかで聞いたような話だった。
 
弟はしつこく聞く。兄は知る限りのことを話す。
弟の住んでいる家はノブちゃんが退職金をはたいて埼玉に買った土地だった。
弟の心配は、 「兄貴が今、話した他に貯金が有れば凍結されてしまう」 事だった。
 
                    どこにも有りそうな会話である。
 
 
  私事だが   義父が亡くなった直後の事、  
  泣き腫らした目で、姑と義妹が素早く預金通帳に対応(凍結する前)したのには、全く驚いた。
  私など、思っても無い事であった。
 
  姑は、オロオロ嘆き悲しみながら、頭の中は悲しむ脳ミソと、
   そっちの計算をする脳ミソははキチンと別れていて、「素早い対応」をしていたのだ。
 
  そして、葬儀は長男である夫が姑の意見を主に聞き入れながら業者と進めた。
  これにも沢山の後日談があり、義妹との間に思わぬ隙間が生じてしまった。
 
 
扨、本書の話に戻り、 父親がいよいよ危ないとなると、「葬儀の話」になる。
 
  母に、「一応決めておいた方がいいよ。死んでからドタバタするからね。お金もかかるし」
   母は、「互助会に入っているので、大丈夫」という。 
 
  20年前5年間払い続け、満期になり、それで葬儀を全部できる。という契約だ。
  契約書を見ると満額で6万円だった。 契約書は母の言う通りの事が書いて有った。
 
  母は、 「70まで生きても80まで生きてもそういう人を含んでの積立です。
                                 これをやるのが互助会の契約です。」
 
確かにその通りなのだが、15年前の事だ。はたして・・・調べてみた。
                                   昔の互助会は潰れていた。 
 
「互助会を引き継いだ会社が積立額だけ差し引いた葬儀をする。」、と云う事だった。
 
この後父親の預金の事で母親とやり取りし、母親はいらだつ。「お金なんて一切ありません!」
これから数日後「ノブちゃん」は息を引き取るのだが      その前後がまた大変だ。
 
 
       一応「小説」のようになっているから、虚々実々の話では有るのだろうけど、
                      両親に関する話に置いては、実話に近いのではなかろうか。
 
それ程、老親介護、看取りが、生々しく作りごとでは、こうは描けないと思う。
 
                同様の体験をした人は多かろうと思う。
 
 
  既に亡くなってから何年も経つσ(゚ー゚*oの義父の事や、
         長患いをしている入院中の義母の事など思い浮かべながら、読み終えた。
 
        二人が元気なうちに、もっともっと優しくしてあげればよかった。
 
そんな思いが日増しに強くなり、繰言を言う私に、夫は「充分優しくしてくれた」と慰めてくれる。
 
        「後の後悔先に立たず」、の お手本のようなものである。
  
  
葬儀の話など、まるで我が家を覗いて書いたのではないだろうか?と思うほど
                                           我が家にも同様の事が有った。
 
 我が家の義父の介護も、一冊の本になるほど「話の種」がこれでもか!と云うほどに多かった。
 
                 哀しい中にも義母と爆笑した事もあった。
 
         義母はそんな事、今は忘れてしまったのだろうか?
             それとも身近になった「あの世の夫」と会話を交わしているのだろうか?
 
         せめて、頻繁に義母に逢いに行き、解っていても解らなくても、イメージ 2
          「お母さん大好き。 逢いたくて今日も逢いに来た。」 
                                             などなど、思いつく限り話しかける。
 
                                そして帰る時は、頬ずりをし、握手をし帰る。
                                   そんな事が、今、出来る親孝行だと思う。

               
                                                          これ以上後悔せぬように
                            


博多オッショイ!④市内観光

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7月16日
福岡城跡――キャナルシティ――ホテル(荷物を取る)――博多駅――JR博多シティ 燕の杜広場――駅周辺散策――博多駅――のぞみ50号(16:29)――新横浜(21:14)着。
 
福岡城跡は舞鶴公園の中に有る。 舞鶴公園は福岡市の中心から意外と近い。
 隣接の大濠公園、護国神社、西公園と合わせ広大な緑地と豊富な文化財や歴史的遺跡を持つ。
 
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福岡城は、関ヶ原の戦いでの功績によって徳川家から筑前52万石を与えられた
福岡藩初代藩主・黒田長政が、慶長6年(1601年)から7年の歳月をかけて築城した。

豊臣秀吉が主導した文禄・慶長の役の際に、日本軍が攻めあぐんだ朝鮮の難攻不落の城・晋州城をモデルにして造られたといわれている。

福岡城という名は、黒田家がもともと備前国邑久郡の福岡(現在の岡山県瀬戸内市)
出身であったことに由来し、祖先の地を偲んで「福崎」の名を「福岡」に改めた。
別名「舞鶴城」。博多湾側から見た城の形が、空を舞う鶴の姿に似ていたので。
 
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これまでは福岡城に天守閣はなかったと考えられていたが、
外様大名である黒田藩が立派な天守閣を築いて権力を誇示すれば、
徳川家から警戒されるかもしれないという懸念から、
天守閣を造らなかったと理解されてきた。

しかし近年になって、天守閣は一度建てられた後に解体されたと推測される資料が見つかり、天守閣が存在したかどうかは論議を呼んでいるという。
 
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古井戸が幾つかあり、
そのうちの一つは
「地震活動予知システム」に
利用されていた。
 
 
2005年3月20日、
福岡県西方沖地震が発生し、
福岡市は大きな被害を受けた。
大きな地震はほぼ発生しないと思われていた福岡での大地震であったため、市民に大きな衝撃を与えた
 
地震直後の同年521日地震活動予測システムが舞鶴公園の福岡城跡本丸内の井戸に設置された。 
これは福岡県西方沖地震の発生前に、地下水位が異常な変動を示したことに着目した
システムで、現在福岡市内にはここを含め14カ所設置されているという。
 
 
城跡の展望台は見晴らしが良く、昨日行った志賀島や能古島の方まで見えた。
  
周囲のお濠は蓮で埋め尽くされ、蕾のてっぺんのピンクが何とも可愛い。
しかし、タクシーの運転手さんの話によると、この蓮が曲者で、 
濠一面の蓮の葉が枯れると周辺に悪臭を放つので、枯れるとすぐ全部取り払うらしい。
  
      ホテルを通り越してキャナルシティまで行き、中をブラブラ
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                おや?!君はムーミン君?
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            ムーミンに誘われ、ここでランチタイム~♪
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   このお店にはムーミンがいっぱいいて、恋人達の話を澄まして聴いている。
 
 私の後ろにも大きなムーミンが居たので、頭をナデナデしていたら、店員さんが
  写しましょう♪ d(^-^)「ハイ!チーズ」ではなく、「ハイ!ムーミン♪」(^▽^)
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この子は水が出るのを知らず、水たまりを踏んでいたら急に水が噴き上げたヽ(゚O゚*)ノ
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 吹き上がる水に囲まれ、驚き戸惑う表情が何とも傑作で見ていたご両親共々大爆笑!
 
 
 歩いてホテルへ帰ったのだけど、近道のつもりで裏道に出てしまった (・"・;
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この「無料案内所」が
あちこちにあって、
 
なんの案内だか解らなかったが
この時、初めて解った(ノ∀`)
 
ナルホド!そういう事だったのネ
 
昼間っから、
お客さん入っておりました
 
 
 
 
 
 
中洲の裏道にはこの手の店が多く
           細い路地には昼間っから客引きのお兄さんがズラリと立つ。
その客引きのお兄さん達の何とも間の悪い顔の並ぶ中を
                     何気に見学をしながらホテルに到着。
 
四日間、色々面倒を見てくれたホテルマンに別れを告げ、荷物を引き取り博多駅へ。
 
【JR博多シティ】は遊び心いっぱいのビル。
屋上には「つばめの杜ひろば」が有り、時間をつぶすには絶好の広場だ。
 
  【鉄道神社】鳥居の下の中央の黒いのは
            九州の地形の上で七福童子が電車ごっこをしているモニュメント。
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      乗ってる母子より、カメラを構えた父親がはしゃぐ
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  展望台は360度ぐるりと見わたせ、 福岡タワーとヤフードームが見える。
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    福岡空港が近いので、飛行機がかなり低くビルの上を通過する。
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往時の新幹線も満席だったが帰りも満席で、隣の車両は男性団体客が載っており、|
酔っって大声で話していて煩かったが
    私たちの車両はビジネスマンやカップルが多く静かで良かった~
 
           広島球場!瞬間だったけどパチリ! 
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         広島球場には若かりし頃の思い出があるのだ。
 
 
            暮れてゆくオレンジの街が美しい。
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   うっとり夕景を眺めながら、効きすぎた冷房の寒さに耐えていました。
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往時の新幹線よりは、まだ良かったけど、それにしても寒い!
この異常な冷房のきかせ方、なんとかならんの?
 
往時はグリーンだったから毛布を借りられたけど、普通車指定では借りられず
薄いカーデガン一枚で何とか寒さを凌いだが、省エネってどっかに行っちゃったの?
 
そういえば、昔、東海道で通勤していた時も異常に冷房が効いていて
                     夏でも羽織る者が手放せなかったっけ。
 
JRさん新幹線のように短時間に乗り降りの少ない車両のクーラーは
                      もう少し弱めの設定をお願いします<(_ _)>
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            最後は愚痴になっちゃったけど、   
         博多祇園山笠の旅は、暑く熱く燃えた。 
 
      
               博多~~~!又来るぜぃ          

  オッショイ!o(`⌒´*)o             
 

博多オッショイ!③ 追い山

7月15日
いよいよ追い山だ。 祭りのクライマックスであり、フィナーレ!
 
朝4時59分太鼓の合図とともに、山笠が櫛田神社入りする。
 
私たちは4時半にホテルを出て、人の流れに沿って歩く
                                                                      冷泉公園に来ると、もう、人が溢れている。
                                  
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 ここで面白い光景にあう。  公園の男性用のトイレの方に長蛇の列!  生まれて初めて見た(笑
 
 
 ここを右に真っ直ぐ行くと 出発地点の 櫛田神社だ。  既に山笠は櫛田神社入りを待つばかり。
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 男たちの熱気と、見物客たちの熱気で明け方と言えど、異常な暑さだ。
 
 櫛田神社目指して・・・・・動いた! 
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  五時だ。  一番山笠は、もう櫛田神社入りしたのだろう 
      5分おきに神社入りし、5kmのタイムトライアルレースが始まる!
 
  でも、何故4時59分櫛田入りなんだろう?  何故5時じゃないんだ???聞きそびれた><;
 
  タイムトライアルレースは、この日だけ。    場所を変えて ひとつ向こうの筋に行ってみる。  
 
  見物客は其々、思い思いの道路に行く為人をかき分け移動するのだ。
 
  大きなバケツのある所が穴場、と聞いたので、ここで見ることにした。
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  確かに!大きなバケツの前に人は立たないからね d(^-^)
 
   ↑シャツと腕だけ見えてるのは外国人男性、
 
  見物客が急きょバケツを持たされ、戸惑いながら水をかける
 
  彼女が傍にいて一生懸命かけるタイミングを説明してる、、、わかってないみたい(爆
 
 
  山笠が目の前を疾走してゆく、 速い! オッショイ!の声は、あっという間に遠ざかって行った。
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                        右の黄色いシャツの男の子は、お母さんと見ていたんだけど、
 
    セブンイレブンのお姉さんに、「ホース持っててくれる?」と言われ急きょホース係になった。
 
 
  7つの山笠が5kmの道を走り抜けるのにかかった時間は、
                                               最速が28分49秒 ドンケでも33分46秒! 速い!
 
  無事5kmのコースを走り終えると、各町内の山笠小屋に帰り 祝い唄を歌い、手締めをする。
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 宿泊地の中洲流れ舁き山小屋に戻って見ると丁度帰って来たところだった、グットタイミング!
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  子供らも年寄りも5kmの道を走りぬけたのだろうか?    この日は朝から34℃あった。
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          中洲流れ 山笠。  お疲れさまでした \(゚∀゚*)/
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  手締めの後、直ぐに、「山崩し」と言われる山笠の取り壊し作業が始まりまり飾りは倉庫に納め
 
     台は、水で清めた後 倉庫に納める為だろうか、クレーン車が来て台を吊り乗せていた。
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あ~ぁ終っちゃった!。。。暑かったけど来て良かった!
 
一度ホテルへ帰り、またレンタカーを借りドライブ。
 
 ホテル――貝塚――雁ノ巣――海の中道――海浜公園――志賀島橋――蒙古塚――魚処わき
 ――潮見公園――県道542――海の中道――香椎神社――住吉神社――櫛田神社――ホテル
 
海の中道を通るとマリンワールドが有るんだど、
                                         この日もあまりにも暑く、木陰がなさそうな公園なので通過。
 
 【蒙古塚】
文永・弘安の役(1274・1281年)で戦死した蒙古兵士の供養のために建てられたもの。
昭和2年に建設された石碑で、裏には7基の板碑がある。イメージ 13
  また張作霖による↑「蒙古軍供養塔賛」の碑も建てられている。
       かつては北側の丘陵上にあったものだが、平成17年の福岡県西方沖地震により
             大きな被害にあったため、南側の現在地に移された。 
 
  海水浴場がいっぱいあり、岩場では素潜りや、ダイビングをしているのが見えた。
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  【潮見公園 見晴らし台】 白い砂の道が、通って来た【海の中道】
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  博多に戻り、香椎神社と、住吉神社にお参りし、櫛田神社に向かう。
 
  櫛田神社はホテルから意外と近い所に有るんだけど、山笠の期間はゴチャゴチャとしていそうで
                   まだ行っていなかったが、やっぱりここに来なきゃ~! オッショイ!!
 
      【櫛田神社】  楼門には総鎮守の扁額が掲げられている扁額
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                   まだ、朝の余韻が残っている。
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       神社境内には まだ桟敷席が      
         解体されすに残っていた。
      
          
 
 
 
      この棒の周りを山笠が廻って
  
  5kmのコースへと疾走してゆくのだ。
 
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                  外国人の姿が少ないのが意外だった。
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                      また来年! (⊹^◡^)ノ オッショイ!  
              明日は最終日、博多周辺をうろつきます。  イメージ 20   
    

博多オッショイ!② 唐津・呼子

 
   7月14日 朝ホテルの部屋より。正面が那珂川の遊覧船乗り場。 レガッタの練習か?
朝からやけに若者がたむろしているけど、レガッタの人達?ちょっと見ていたいけどお出かけです
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昨日手配しておいたレンタカーで、唐津、呼子方面へ
 
      何故唐津?と思ったら、嘗て夫の親戚が居たという     
                          そういえば姑が、「唐津の○○さんが――」って言ってたっけ。
 
もともと、夫の父方は九州佐賀と福岡を拠点とし商いをしており、
                        父の父の墓は佐賀に有り、福岡に親戚も多かったらしい。
 
結婚したては佐賀まで法事に行き、墓参も何度かした。
 
権勢を張っていた祖父時代の一族の面影はもう跡形もなく、
                      福岡に有ったと云う老舗も一角は商業施設ビルになっていた。
 
それで、折角来たのだから、何となく懐かしい唐津へ。と云う事で有りました。
 
天神――都市高速環状線――福岡前原道路――前原IC――二丈浜玉道路――R202――
県道347――虹ノ松原――唐津城――旧唐津銀行――R204――呼子大橋――加部島――
歳香亭で昼食――風邪の見える丘公園――名護屋大橋――名護屋城跡――県道301――波戸岬
――玄海エネルギーパーク(玄海原子力発電所)――浜野浦の棚田――そそろ棚田?――R202
――県道33――唐津R202――二丈浜道路――福岡前原道――都市高速環状――中洲ホテル
 
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50k以下で走ってはいけません、と云う
横浜近郊では滅多に見られない道路標識。
 
また80kと100kに制限を分けて有ると云うのも
横浜近郊ではあまり見かけない
 
こまやかですナ。
 
 
 
左、欠けてるけど丸い建物が福岡ドーム(今はヤフードーム)。 正面右寄りの細長いのが福岡タワー
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  福岡タワーは、高さは234m。 外観は8000枚のハーフミラーで覆われており、放送局が多く入っている。
 
  【虹の松原】 聞いたことが有るけど、ここなのね。   ずーっと松林が続き情緒がありますなぁ。イメージ 4
  茅ヶ崎海岸も松林が続くけど、雰囲気が全く違う。  右奥は海岸でホテルなどが有る。
 
  【唐津城】 が見えてきた
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  唐津城は舞鶴海浜公園の中に有る。 
   お城の入口まで歩くのが嫌な人は
 裏の方へ廻ると、エレベーターがある
 
     σ(゚∀゚*)ノ勿論裏へ回る
 
  このエレベーター有料だけど面白い エスカレーターのように斜めに昇るのだ     
        @¥100なり
 
     丁度石垣の修復工事中だった。
 石垣が無いお城、チョット格好がつかない
 
        天守に登るとぐるりと海、
 先ほど通って来た虹の松原も見える
 
     桜の木が多く春がよさそうだ。
 
 
 
 
 【旧唐津銀行本店】 1912年築。 京都駅の設計者で唐津出身の建築家辰野金吾監修。
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しゃれた鉄の格子が嵌められている。日本も昔はこうだったんだ~!
           フィリピンの道路沿いの店は小さな店でも殆どが鉄格子が嵌めこんであったっけ。
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 中では銀行の歴史?みたいなものだと思うが、大人向けの紙芝居をやってツアー客が聴いていた。
 
                 そろばんが置いて有ったけど、6つ玉だった!。
 
金庫の出入り口は映画で見るような直径4~50㎝の輪状のグルリと回すモノで扉はかなり分厚い
                     しかしその中の金庫は家庭の冷蔵庫位しかないのが面白い。
 
昇りの階段もあったので、隠し部屋?みたいなものがあるのかな?
 
  迎賓室は小じんまりとしているが品が有る。  昔の建物は外観も含めて情緒が有っていい。
 
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呼子へ来たら、やっぱり「イカ」でしょ~!  と云う事でそれらしい店が有る所まで来たが
3連休の真ん中とあって、どこも車の行列!観光バスが何台も止まっていたり・・・予約客のみ、とか
        待ち時間2時間?!とてもじゃない!   どんどん先に行こう!
 
呼子大橋を渡って、加部島の突端近くまで来ちゃった(↑▽↑)
 
   【歳香亭】そういえば道々、「道場六三郎おすすめの店」という看板があちこちに有った。
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   入ってみるとやはり待っている人がいっぱい!30分位の待ち・・・・
 
いつもならあきらめるんだけど、折角ここまできたら、と云う事で待つことにした。 
                              せっかちなので待つの大嫌いなんだけど (Θ_Θ;)  
 
     「イカの活き造り」 待っただけ有って、さすがに甘くて柔らかく、思ったより美味しかった!
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店員が行き届かなくて、懐石ではなく「定食」なのに、一度に出て来ず、
 さみだれ式に出て来て 出し忘れのものがあり、催促してようやく出てくるというありさま (TεT)
 
 更に、「これで料理はお終いですか?」って聞いたら
                ゲソとエンペラを焼くか天ぷらにしてくれる、って言うんだけどね、
 
 「それならそうと、最初に行ってくれなければ・・・間の抜けた時間がもったいないじゃん (。;ˇ_ˇ;。)   
 刺身を食べ終わったら店員の気配りで、さっと下げて料理してくれるもんなんでしょうね。本来は。
 
 そういえば、この呼子の、「イカ活き造り」、何となく私は気乗りがしなかったんだけど、思い出した!
 
 新横浜の料理屋さんに姑を連れて入った時、店員さんに勧められ、
           生簀のイカを、これと同じ形で活き造りにしてもらった事が有った。
 
           刺身は硬くて、姑は入れ歯が壊れそう、と言って食べられなかったし、
              お高い割には美味しくなかった。
            そして、やはり刺身を食べた後はゲソとエンペラを、天ぷらにしてくれたが、硬かった 
 
 その印象が有って、厭な気がしたけど、さすがに呼子のイカは別物だった♪
                                      その美味しさも、店員の応対の悪さでマイナス。
 
 
    【風の見える丘公園】の展望台より。   ぐるりと見晴らしが良い。 
          呼子大橋が見える。 写真には映っていないが右手の方に玄海原発が見えた。
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    田圃の緑がまぶしく、  緑越しの玄界灘の眺めは抜群!風が吹き抜けて気持ちが良い。
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 【名護屋城跡】
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名護屋城は豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に際して出兵拠点として築かれた城。
 
1592(文禄元)年の開戦から秀吉の死で諸大名が 撤退 てったい するまで、
                                       7年の間大陸侵攻の拠点となった。
 
城の面積は約17ヘクタールにおよび、当時では大坂城に次ぐ規模を誇った。
周囲には130以上に上る諸大名の陣屋が構築され、全国から20万人を超える人々が集った。
 
その中には、徳川家康、前田利家、石田三成、真田幸村、直江兼続、細川忠興、長宗我部元親、
加藤清正、伊達正宗、黒田長政、などなどそうそうたる顔触れの陣屋跡がある。
 
現在、名護屋城跡と23箇所の陣跡が国の特別史跡に指定されている。
 
 
  【波戸岬】   九州最北端、 玄海国定公園。    
   玄界灘に突き出た波戸岬はビーチやキャンプ場、海中展望塔などが揃う一大リゾートエリアだ。
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 日本の渚100選、および日本の夕日100選にも選ばれた玄界灘が広がり、
                特に夕日が沈む時間帯の景色は素晴らしいそうだけど、待っていられぬ
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道の左側は海水浴場、正面は松林、その奥には灯台が有り道の右側は玄海で崖になっており 
       「恋人の聖地」のモニュメントや、海中展望台がある。
 
 駐車場は大きくゆったりと止められるのだけど、それ以外の所にも思い思いに車を停めている
 アバウトな所がいい。
 
  【玄海エネルギーパーク】
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写真には映っていないが、右側に立派な棚花壇を造成中。 随分広い敷地だ。
        多分原発だろうと思い、敷地に沿って行ったら、正面は通行止めの標識。
 
Uターンしようと思ったら警備員が立っていて、「どうぞ!(^o^)丿見学できますので・・・」
                                                                        横を見たら「エネルギーパーク」入口だった。  
      警備員多い。親切丁寧 (^-^;)  広い玄関前で会釈してUターンさせてもらった。
 
  
  この界隈は美しい棚田が多い。
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  【浜野浦の棚田】 正面に夕陽が沈む光景が美しく有名らしい。 
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 【そそろ棚田】(多分)
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 ホテルに戻り、近くの居酒屋で夕食。 
  しかし、生ものがどうしてこう美味しくないのだろうか?
 どうもこの辺の居酒屋は、我々の口には合わない。
  メニューも個性が無く皆同じ様なものばかりだ。
 
 ゴマサバが名物と聞いて食べたが・・・ (ー`´ー) ナマグサ!
                         さっさと引き揚げて、サービス券があったので、那珂川遊覧船に乗ってみる
  
 
 遊覧船乗り場の前の広場では色々な大道芸やイベントが行われ、
                     女性のインド風?の踊りに観客が飛び入りし、大きな輪になり盛り上がっていた。
 
 ほんの15分位の遊覧だったが川の上は涼しく快適~♪
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 橋の下をくぐると橋の上を歩いている人が手を振ってくれる (⊹^◡^)ノ
                             屋形船ならぬ「博多船」とすれ違い、また手を振り合う (⊹^◡^)ノ
                                                       川べりのレストランの客も手を振っている(⊹^◡^)ノ  
 
   これが博多中洲の【屋台】
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夕飯をしっかり食べていないので、屋台でラーメン、と思ったけど、
                                    この暑さで、ここでは食べる気にならぬ
 
 
        ホテル近くのラーメン屋さんに入る   冷房ガンガン! ありがたや~♪ 
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                      本場豚骨の味はさすが旨か~!
 
 後ろには中洲半纏を着た男衆6人が呑みながら食事をしていた。
 
      彼らが帰る時、夫と、一言二言何か言葉を交わしている・・・  良く聞こえないけど・・・
 
    夫    「これから ひと寝入りですか?」 
   男衆   「多分眠れないね~」        どうじゃらこうじゃら・・・良く聞こえない
 
  そして彼らが帰り際に、持っていた扇子を出して、「良かったらこれ使います?」
 
  それが これ↓   男衆が言うには、「なかなか手に入らないレアもので、今年のです。」 
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     ヽ(*゚O゚)ノ え~! いいんですか?!ありがとうございます <(_ _)>ペコ <(_ _)>ペコ
 
                「平成25年 五番山笠 中洲流れ」 と書いてある。
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             良かったね~♪ 嬉しいね~♪ いい記念になる ネー(=・д)(д・=)ネー
 
              何よりの嬉しい土産になった。  嬉々としてホテルに帰る。
 
 明日は追い山
 明け方、一番山笠が4時59分に櫛田神社入りし、祭りは最高潮に達する
 午前2時ころになると、櫛田神社周辺は男衆や観客でいっぱいになると云う。

 私たちも早起きして一番山笠を見に行こう!  
                                                                          

博多祇園山笠 オッショイ!

 
「博多っ子純情」を読んだ覚えは無いんだけど、私の頭の中には、「博多っ子純情」=博多山笠。
 
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           昔から一度は見たかった「博多山笠」に行ってきました。
 
7月13日
新幹線・新横浜7:09のぞみ7号乗車。
新幹線の発売前にネットで予約を入れたけど、往路の指定が取れず、グリーンになった。
それでもグリーンも満席。3連休だから仕方ないか (↑▽↑)
 
新幹線には滅多に乗る機会が無いが、すこぶる乗り心地が良い
飛行機がこの位ゆったりしていたら10時間だって15時間だって乗っていられるのに~。
 
――博多11:59――タクシーでホテルへ
チェックインには速いので荷物だけ預けようと思っていたけど、部屋が空いていたので入れてくれた 
 
宿泊ホテルは、博多中洲にあるが、微妙な場所で、表から出ると横並びには料理屋やがあり
直ぐ前は那珂川、その向こうにはちょっと高級な食事どころが並ぶ。
 
裏から出ると、昼はひっそりとしているが、夜になるとケバイお姉さんや怖いお兄さんが立つ。
 
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 この路地一本向こうに、この町
   「中洲流(なかすながれ)」の
       「飾り山」が置いて有る。
 
   
  この山笠は飾ってあるだけで
              舁かない。
 
(山笠は担ぐ事を舁(か)くと言う)
 
 
 
この日は「集団山見せ」と言って
博多祇園山笠で舁(か)き山笠が市街地の博多地区から天神地区       へ走る唯一の行事だ。
 
    



    

午後3時半、7つの山笠が
         5分おきに出発し、
     約1・3キロを疾走するが
 その準備をしている最中らしい。      

             女の子も男の子も全く同じ締め込みをしている。
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       さすがにこの格好をしている女の子は小学校3年生くらいまでしか見なかった。
 
と思ったら、昔は女子は「不浄」故参加する事は出来なかったとか、極最近になり
                            小学校3年くらいまでの参加が認められたらしい。
 
 
先ずは腹ごしらえ。驚いたことに、この周辺の飲食店のほとんどが居酒屋で昼間は営業していない
ファミレスは1軒もない。 やっと見つけた食堂でランチを取り戻る。
 
            締め込み姿の若者が街を闊歩する。   カッコイイ!
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 中洲の各地域同士の挨拶廻りなのかな?集団ごとに走って来て挨拶1本締め、又走ってゆく
 
 この時点ですでにバテている子供もいる。
  
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出発か? 「博多手一本締め」と言われる手締めは、
   シャン、シャン、「もう一つしょ」 シャン、シャン、「よーと三度」 シャン、シャン、シャン。イメージ 13
  我らも移動、二分ばかり歩き、ホテルのすぐ前の橋に行ってみる
 
駅から乗ったタクシーの運転手さんが事細かに色々教えてくれ、今日はここで見るのがベスト。
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  既に各新聞社テレビ局プロカメラマンがアルミ梯子で、場所取りして有って入り込むすきなし。
 
  橋の手前が上り坂になって勢いをつけてくるので見通しがいい。  反対側から見ることにした。
 
        一番前は「先走り」の子供たちが「招き板」を掲げ走ってくる。
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  手に持っている縄は「舁き縄」で、120㎝のワラ縄。 山の舁き棒に引っかける。
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 走りながら 舁き手が交代するが、それが見事。 するりと潜り込み縄をかける、素早い!
 
   ↓ スパイダーマンか?   下界の喧騒を上から眺めている? 下も暑いが上も暑そ~(゚O゚*)   
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                 この日博多は晴天、43℃
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 集団山見せは子供が多い。 どんなに小さな子供でも、いっぱしの締め込み、水法被に地下足袋だ
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                                    赤い締め込みが可愛い。
 
   折り返し地点。
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スタート前、緊張の一瞬。   いい顔!
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 山笠を追いながら天神に出たが暑い! 
 
 西鉄旅行社に寄り、明日の一日観光バスを予約しようと思ったが満席だった =(´□`)⇒ ガーン。
 
                           一駅だが地下鉄に乗って帰った。
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                ホテルは駅から徒歩3分。コンビニもいっぱいあり、
                                便利だが、この町に普通のレストランや
                                  居酒屋以外の食事処は無いのか?!
 
                                                          殆どが鮮魚居酒屋
          その居酒屋に入ったが何もかもあまり美味しくなかった。
 
                     明日はレンタカーを借りる。
 

(514)【サウスバンド】奥田英朗

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 平成17年6月30日初版発行
 角川書店
 単行本
 534ページ
 1700円
 図書館で借りる
 
 
 
 
 

 「BOOK」データベースより
小学校六年生になった長男の僕の名前は二郎。
父の名前は一郎。誰が聞いても「変わってる」と言う。
父が会社員だったことはない。物心ついたときからたいてい家にいる。
父親とはそういうものだと思っていたら、小学生になって級友ができ、
ほかの家はそうではないらしいことを知った。

父はどうやら国が嫌いらしい。
むかし、過激派とかいうのをやっていて、税金なんか払わない、
無理して学校に行く必要などないとかよく言っている。
家族でどこかの南の島に移住する計画を立てているようなのだが…。
型破りな父に翻弄される家族を、少年の視点から描いた、長編大傑作。
長男二朗の視点から描かれる。 (長男なのに父親が一朗故、二朗なのだ。)

父は元過激派で破天荒。母は父に従順だ。
税金なんぞ納めない!学校へなんか行かなくていい!官の言いなりになるな!が口癖。
 母は、喫茶店経営、父は「自称小説書き(原稿執筆中)」、家でブラブラゴロゴロしている。
 
第1部は都会生活の話。
二郎と親友の淳が今度進学する中学生にカツアゲされるところから始まった。
 
二郎の友達関係、ここの描写がとてもいい。
いじめにあい、友人関係や、彼らの複雑な心理など、丁寧に描かれている。
 
第2部は沖縄へ移住してからの話。
ハチャメチャで破天荒すぎる父親に振り回され、苦労する二郎。
沖縄へ移住したとて、両親の考え方が変わった訳でもないが
          大トラブル発生!
それ以降、父親へ対しての見方が少し変わる。
 
「孤独を恐れるな。理解者は必ずいる。」 とう言葉を残し、両親は兄妹の前から立ち去った。
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面白くて、分厚いページ数の割には、あっという間に読み終わった。
 
   しかしねぇ、いくら「過激派」とは言え、この主人公の言動はありえないよな~
 
   それに、二郎の親は、友達の内ゲバに息子を利用することを了解している。
 
「自分は徒党を組んでの闘争からは手を引いた」とも言っているのに
友達のゲバに息子を利用することを了承するなんて!
普段言っている事とは矛盾するのでは?
 
     他は、小説だから、と面白く読んだが、その所だけは読み終わっても引っかかった。
 
二郎が、居候となった父親の友人に懐き、うまいエサに釣られ、
見知らぬアパートに盗聴器を仕込んだものを売りつけに行く片棒を担がされる
     「困っている小学生を助ける善意の少年」として。。。。。
 
しつこいようだが、ここだけが、どうしても納得いかなかった。いくら「小説と言えども」
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西表の「リゾートホテル建設問題」は多分現実に有った話だと思う
結局そのリゾートホテルが出来て、そのホテルに毎年夏に宿泊したσ(・"・;)としては
             複雑な気持ちで読んだ。
 
しかし、小説の中で言うほど、ホテルの裏の海岸は美しくは無く、赤土の浜辺で
そこは有名では有るけど、魚もあまりおらず、
シュノーケルや、海水浴場としてはあまり価値の無い海岸である。
 

これを読みながら、果たして「リゾートホテル」が出来るのが良いのか悪いのか、考えてしまった。
 
島の人口が減少するのは「働くところが無い」から。
ダイビングショップなどはほとんどが島以外から来た経営者で現地の人は少ない。
 
高校もないので石垣まで行く。   だから中学を卒業すると島を出る。
 
 
「リソートホテル」→「自然破壊」の構図を見ると、モルディブを思い出す。

モルディブは海を汚さないホテル経営が徹底しており、周囲の海は驚くほど美しい。
体に塗る「オイル」も使用禁止の所もある。
 
沖縄は、と言えば、今はそうでもないと思うけど、昔、一番初めに行った時、
地元の人は、海を汚す事に観光客が思うほど深刻には考えておらず、「商売優先」で
無頓着のような気がしてならなかった。モルディブの危機感が無いとも思った。
 
沖縄の人は非常にのんきである。 これでいいのかなぁ。。と幾度思った事か。
(ダイバーは海を汚すことに対し非常に神経質である)
そのころに比べれば今はまだマシかな?
 
沖縄の観光開発、その他には思う事が山ほどあるが、機会が有れば吐露してゆきたいと思う。

  しかし、所詮、部外者。当事者にしか分からない想いが有るので軽々しくはモノは云えない。
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