3月25日
赤穂ホテル――赤穂IC――福山東IC――福山駅前――福山城――尾道IC――
千光寺・公園――向島(しまなみ海道に入る)――因島北IC――水軍城――昼食
――因島北IC――生口島北IC――瀬戸田シトラスパーク――耕三寺――洲江港
フェリー――おこぎ港――岩城島――積善山―― 三洋クラブ菰隠温泉 泊
【福山城】 残念ながら休館日でした (→o←)
福山駅の前にあります。 「休館日」の札を見てボーゼン↑とする人(>▽<)
譜代大名・水野勝成によって元和8年(1622)に築城。
伏見櫓、筋鉄御門は京都伏見城から移されたもので重要文化財。
5層の天守閣は戦災で焼失したが再建され、内部は郷土博物館として歴代藩主の遺品
草戸千軒町遺跡からの出土品が展示されている。
水野勝成(1564-1651)安土桃山・江戸初期の大名。
関ケ原の戦、大坂夏の陣で数々の功を挙げ、元和5年、福山に移封された。福山藩祖。
お城で見かけた野鳥 「シメ」 という名らしい。
【千光寺公園】 尾道のシンボルになっており、桜の名所100選にも入っている。
この枝垂れ桜が咲いていただけで、園内の桜の開化には1週間早かった。
入口から一緒だった係の人が、山頂近くの広場まで一緒に歩きながら色々説明してくれ、
「満開までまだ10日早かったですね~、せっかく来てくれたのに、満開の桜お見せできなくて。。。」
と残念がっていた。 植木職人さんなのかな?
最初は我々の後ろを歩いていたんだけど、スーっと隣に並んで自然と話しかけてきてくれた。
その方と広場で別れて展望台に行く途中、
ソフトクリームを舐めながら歩いてきた若者の集団の中の一人の男の子、なんだか奇異?と思ったら
若者と目が有ってしまった。
何だか自意識過剰な奴、と思ったら
故・竹下登(元首相)のお孫さん、とか云う芸能人だってサ。(近くの若い娘談。)
撮影が有ったらしくそれらしき集団が、機材を担いでゾロゾロ・・・
その中に、もう一人、見覚えのある顔が居たが名前がわからん
ゲーノー人って視線が普通の人とは違うのよね、視線がチョット変、目が泳いでいる (苦笑
公園から千光寺へ行く途中には「鼓岩」と呼ばれる岩がり、
岩の一部分を石で叩くと「ポンポン」と鼓のような音がすることから「ポンポン岩」と呼ばれている。
【千光寺山】は岩だらけ巨岩奇岩だらけ。 すぐ横にはケーブルが通っている。
千光寺裏には展望台が有り、そこからさらに岩を登れる「鎖場」がある
千光寺の鎮守は熊野権現と石鎚蔵王権現。
岩には 烏天狗が彫られている。烏天狗は 熊野権現の神使いといわれている。
岩には 烏天狗が彫られている。烏天狗は 熊野権現の神使いといわれている。
千光寺からは尾道市内が一望できるとともに、これから行く「しまなみ海道」も見えるし、
瀬戸内海の島々も眺められ、天気の良い日には四国連山をも遠望することが出来る。
山全体が千光寺公園のようになっていて、ここでは紹介していないが、見所いっぱいだ
急な坂や階段が多く、結構体力がいるので、時間をかけてゆっくり回りたい。
いよいよ【しまなみ海道】に入るが、
前回行った時は本州と四国を結ぶ橋という橋をすべて渡るのが目的だったので
殆どの島は素通りしたが、今回はゆっくり島めぐりをしたい。
「向島」は通過し、 【因島大橋】を渡って因島1周をした。
因島、と言えば【水軍城】 昭和58年に築城された城型資料館。
南北朝時代から室町時代に活躍した村上水軍の武具、遺品、古文書等歴史資料が展示されている
正面下から見上げるとかなり急階段を上って行く事になる
千光寺公園でスタミナ消耗した後でも有り、下から眺めるだけにした。
街中の食堂で昼食。美味しくてボリュームもあり、驚くほど安い 【穴子丼】が食べられた。
生口橋を渡り、生口島一周。 一昨日閉校式だったんだ! 校庭には日の丸がはためいてた。
【瀬戸田シトラス(柑橘)パーク】
前は海、小高い丘にある「柑橘類」のテーマパークで、500品種の柑橘類が収集展示されている
数十種類の柑橘類が丘いっぱいに植わっていおり、色々な国のテーマ花木の庭園が有り
ただただ広く、訳のわからない建物が点在しているが、使われているのは、ほんの一角のよう。
人っ子ひとり居ない広大な庭には香りのよい柑橘類が鈴なりに実っており野鳥も多い。
綺麗に中身だけくりぬくように食べられたみかん 鳥が口をあけてるようにも見える (゚ー゚*)
【耕三寺】 ド派手なお寺。ここは拝観料ではなくて「入館料」と書いて有る。
このお堂が一番地味。
高い入館料を払ってから、以前来た事が有った事を思い出した。(`ε´)チッ!
ともかく、なんだって、キンキラキンで煌びやか、ド派手、凝りに凝ってる・・・
そういう言葉をいくら言っても足りないくらいの極彩色の凝った建物が点在する
初代住職「耕三寺耕三」氏が母親の菩提寺として、昭和11年より30年余りの歳月をかけて建立した
浄土真宗本願寺派の寺院。といはいうが、「お寺」、という感じはまったくしない。
園内には未来の丘、とか洞窟の中をめぐる「地獄めぐり」もあり、
中に入ると、等活地獄 (殺生の罪) 黒縄地獄 (殺生+盗み) 衆合地獄(邪淫)
叫喚地獄(殺生+盗み+邪淫+飲酒)などなどの説明と壁に彫られて色つけされた地獄絵がいっぱい!
叫喚地獄(殺生+盗み+邪淫+飲酒)などなどの説明と壁に彫られて色つけされた地獄絵がいっぱい!
近くの3人連れの主婦らしき人達は「あら!私、飲酒地獄に落ちるわ~♪」と楽しげ (苦笑
しかし、決して気持ちの良いものではない。 これが普通のお寺ならわかるけど
極彩色の、何を主張したいのかさっぱり分からない様な場所に有ると、なんだか違和感が有る。
入場料が1200円、と云うのも、京都の格調高い寺院よりも遥かにお高い。
好みの寺院ではないし、時間がもったいないのでササーっとなでるように見て出てきてしまったが
山門は京都御所・紫宸殿のコピー。 中門は法隆寺の西院伽藍のコピー
入口は法隆寺の山門を模した四間二戸の重層門。
(通常、山門の間数は奇数であり、偶数の門というのはめったにないそうだ。)
鐘楼と、鼓楼は奈良新薬師寺の鐘楼のコピー。 五重の塔は室生寺の五重塔のコピー、
宝物殿は四天王寺の金堂のコピー。 孝養門は陽明門のコピーで、
(なんと文部省からオリジナルの図面を取り寄せて10年がかりで完成させたものだとか。)
左右の阿弥陀堂は、日野法界寺の阿弥陀堂のコピーらしいし、 多宝塔は、石山寺多宝塔のコピー
本堂は宇治平等院のコピー。。。。。勿論本物よりド派手。金ぴか。
「未来の丘」 にはイタリアから運んだというバカでかい大理石を使ったモニュメントがあり、
そのほか10m?もっとあるかと思うような観音像(もちろん極彩色)も何体か有ったし、
お城を模した、迎賓館の中身は金張りらしい。
国の文化財に指定されている。っていうけど・・・・ (ー`´ー)ウーン
近くに「耕三寺博物館」があり、
そこには「耕三寺耕三」さんが、蒐集した「潮聲閣コレクション」の美術品を展示している。という。
この「耕三寺耕三さん」って一体何者? (今は時間が無いが、そのうち調べてみよう!)
(o`O´)!すっかり耕三寺にスペースを喰われてしまった!(o`O´)σ先へ行こう!
【洲江港】 からフェリーに乗る事、5分。
【おこぎ港】 から 【岩城島】に上陸する。
岩城島はレモンの生産が盛んで普通の家の庭先にもレモンの木が植えて有る。
目指すのは【積善山】
3千本のソメイヨシやオオシマ、ヤマザクラが満開になり目を楽しませてくれる。そうで、
桜の木は山道沿いに林立し、山を抱くようにぐるりと咲くさまが特長。
まるで天女の羽衣のような花の帯が続く。
3月中旬にはミモザ、4月中旬にはヤマツツジも見られる。。。。。。。。
これは行ってみなきゃね! d(゚ー゚*) と思って登り口まで行ってみたものの、やけに道が狭い
引き返して近くのお店の人に聞いてみた。 σ(・"・) 「車で山頂まで行けますか?」
「あぁいけるよ」 σ(・"・) 「道が狭いけど車すれ違える?」
お店の人、笑って「誰も行きゃぁしないから大丈夫!」。。。。って
(゚Д゚≡゚Д゚)えっ!だって桜で春は賑わうって・・・・
まだ1週間早いそうだ。 (_ _*)シュン
車のナンバー見て、「えっ!横浜から来たの!?わざわざ?!」
σ(・"・) 「ハイ、色々寄り道しながら、積善山の三千本桜 をひと目見たくってね(^▽^*) 」
人のよさそうな店主の奥さんは、傍で商品の玉ねぎを段ボールから出しながらニコニコ・・
その店主、 「いいなぁ~俺らと同じくらい?(歳)か~、どうじゃらこうじゃら」。。。
朗らかで親切な御夫婦だった。 「奥さん美人だったナ~」 と夫がえらく感心してた。
サテ山に上って行きはしたものの、道、細い、ガードレールもないところが多いし、崖崩れ様な所も、
しかし、桜はまだ咲いてないけど、ミモザの群生があって見事!
蕾を付けた桜が山道沿い頂上まで延々と続く。 これが咲いたらさぞや見事だろうなぁと思う
何も無い島が、この桜の時期だけ車が多くなり、交通規制がかかると聞いた。
何とも心細く頂上に到着。 ハイおっしゃる通り他の車には一台も会わなかったし、絶景だった。
島をグルリとドライブした後、少し早いけど宿泊先のホテルへ
宿の前の海では、うず潮が見られ、海に段差が有るのもわかる
ここの前の海で渦潮が見られると云う事は、
島と島の間が狭く、潮流が鳴門海峡と似るているのだと思う。
菰隠温泉 三洋クラブ 泊
温泉なんだけど、道路を渡って前の建物に行かにゃならんし、露天風呂は予約制で1日人組のみ、
とか、食堂が前後がすべてガラス張り、前は海だから眺望はいいんだけど寒い!
席について、思わず 「う~さぶ><!」 と言ったら
係のお姉さん、「生モノが出してあるので暖房は付けてませんでした」って、言って
エアコンスイッチを入れ、電気ストーブをにつけ、足元に置いてくれた。 ありがと(´∀`)
でもネェ 時間はキチンと決まっており、時間通りに行ったんだけどネ、
テーブルには前菜と刺身が用意されていた。 そんなに前から出してあったのかぃな(苦笑
しかし、お料理は美味しく、昨日同様で手作り感いっぱい、揚げ物や焼き物は顔を見てから
火を通したらしく熱々のものが出てきたし、係のお姉さんも親切で美人!
夫は美人を見ると機嫌が良くなる。 (だからいつもご機嫌なのかな? ナンチャって (*^艸^*) )
本日の走行距離210km 明日は今治に出て松山に行きます。
歴史好きにはタマリマセブン…
そう言えば、昔の合戦というのは、近所の民百姓が高台に弁当持ちでやってきては観戦していたというお話を聞いたことがあります。
また、その昔は『やぁ、やぁ、我こそはぁ~ウンヌンカンウン』とお互いに言い合ってから一騎打ちとかという色んなルールでやっていたそうですね。
そういうことも想像しながらこういう所を回ると面白い…
カニチャーハン、よかったなぁ…
オイラが行った時には、時間終了で入れず。。。
ああ、種馬、、、もとい、トラウマが。。。(T_T)
国友。多分、オイラの親戚筋やと思うんですけどねぇ。
15代将軍慶喜の側近の梅沢孫太郎ってのが、ご先祖ですが、その遠い親戚に国友さんがいて、その人は、プロ野球の審判してて。。。
名前から行くと、国友鍛冶の家系やないかと。。。
で、徳川の側近の親戚筋だから、水戸家のお抱えの。。。
って、想像で、ほんまのことは、よーわからんのですけどね(^^ゞ
お弁当食べながら戦を見物・・・へ~!暢気なものでしたんですね。
「やぁやぁ・・・」そう言えば子供のころ読んだ漫画によくありましたっけ。
カニチャーハン。もう笑って笑って・・・調理場から覗かれまして、目が有っちゃいました。
長浜城の中より、係のオッチャンの方の印象強いです(爆
ご存じでしょうが、現在のお城は模擬復元されたもので市立長浜城歴史博物館となっています。
ご自分のルーツご存じなんですね。
夫の方は家系図も有り、かなり昔までわかっていますが、私の方は全く分りません。今まで知ろうと思ったこともなかったです。
こういうのは、知りたい人と、どうでもいい人と、両極端ですね。」
岐阜県と滋賀県が隣接していることも知りませんでした
確かに東海道新幹線は滋賀県から岐阜県に入ったような?
愛知県を挟んだような?
三重県出身なのにわかりません
新幹線は愛知(名古屋)を通り岐阜(羽島)に入り滋賀(米原駅)となります。
実は私は歴史音痴でもありますが、これだけ旅行をしながら「アナタ任せ」なばかりに、地理音痴でもあります。
点として、狭い地域は詳しいのですが、線での繋がりが良く分かりません。
デジカメで道路標識などバチバチ撮ってそれを教材にしています。
ですので、もしかしたらブログ内で間違いが有るやもしれません。
もしお気づきでしたら教えてください<(_ _)>