2012年10月

(420)【標なき道】堂場舜一

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2006年10月25日初版発行
2009年 6月20日再版発行
中央公論社
文庫本
485ページ
857円
 

図書館で借りる
 
絶対に検出されないんです」最後の五輪代表選考レース直前に1本の電話がかかって来た。
<勝ち方を知らない>ランナー青山に男が提案したのは、ドーピング。
卑劣な手段を拒んだ青山だが、すでに男のてがライバルにも伸びていた事を知り・・・・。
男たちの人生を懸けた勝負が始まる。        
 
優勝経験も無く勝ち方を知らないが常に上位に喰い込み完走する「青山」。
 
日本大好記録を持ちながら故障に泣かされ続け「ガラスノエース」と呼ばれてはいるが、
最高の練習環境に身を置レースを目指す「須田」。

4年前の代表選考会で好記録を出しながら、陸連を批判して切符を逃し、いったんは消えながら
4年ぶりに姿を現し「俺が勝つ」と豪語する「武藤」。

 
彼らに絡む人たちを絡ませながら、最後の選考会になだれ込み、ドラマのクライマックスに――。
 
国立競技場から、明治通りを横切り、新宿駅を通り西新宿の高層ビル群を抜け、
幡ケ谷から中野通りを過ぎ、笹塚から環七を通り、永福ランプを通過して、
環八、芦花公園、仙川からキューピーの工場を過ぎた辺りが15㎞。
 
私にとってなじみの土地が順々に出てきて、甲州街道の懐かしい街並みが頭の中を流れて行く。
 
       電通大を通り過ぎ中央インターチェンジの先が折り返し地点。。。
 
この折り返し地点、 一度だけ、前後の選手の顔を正面から見ることができるのだ。
 
この「標なき道」と言う読み物、もし甲州街道を良く知らなければ、
                                      さほど面白くは読めなかったと思う。
 
文庫で500ページは長い
最後は全ての人が、落ち着く所へ納まるのだけどネ
もっと中身を凝縮してくれれば、もう少し引き込まれて読んだかもしれない
ちょっと引っ張り過ぎの感アリかな。
 
駅伝とか、マラソンとか、チャリのロードレースとか・・・
そういう「走り」を競う話には、面白い読み物がいっぱい有るからね、
 
本書は、それにドーピングをからめたんだけど、それもあっけない顛末で終わる
もう少しその辺を深く、濃厚に描けば、サスペンスも絡み、、、と言え、面白くなるのかもしれない。
 
3、4ページ位読んでも話が進まない・・・・
この方の書いたものって意外とそういうものが多く、せっかちの私には合わないみたいね。
 
これで4冊目だったかな?                  もういいかな (Θ_Θ;

鳥海山をめざして③森吉杣温泉・抱返り渓谷

 
10月16日
【大湯環状列石】(ストーンサークル)
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 国の特別史跡 に指定されて、秋田県鹿角市にある縄文時代後期(約4,000年前)の遺跡です。
 遺跡の中心には万座・野中堂のふたつの環状列石があり、
 石の下にはお墓とみられる穴が見つかっています。
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 また、環状列石のまわりにはたくさんの貯蔵穴や柱穴などが見つかっています
 
 遺跡からは土器や土偶、鐸型土製品などがたくさん出土しており、
 祈りと祭りの場ではなかったか、と考えられています。
 
 道路を挟んだ両側に、ストーンサークルがありますが、
 非常に、だだっ広く、知らないと通り過ぎてしまいそうです
 
 
 敷地の中には、大きな栗の木がたくさんあり、栗がいっぱい落ちていました
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 落ちてから時間が経ったものは、虫に食われてました。
 
 棒で葉っぱを叩くと、イガごと落ちて来ます
 
 良く熟した栗は、落ちたとたん、弾け、実が飛び出て散らばってしまいます
それを見つけ、  イガの中に入っているものは、足でイガを剥き栗を出します

このクリ拾い、楽しいんだ~~o(^▽^)o  
 
初体験のクリ拾い、楽しくて、ず~っと栗の大木と遊んでいたいんですけどネ、
「そろそろ行くど~~」、の声に未練がましく振り返り、振り返り、栗の木と別れを告げました。
 
 
 
         どこまでも真っつぐの線路は 【花輪線】(だと思う)
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  【大館の道の駅】によって市場視察。
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         【森吉ダム】にちょっと寄りってから、、、少し行くと↓の立て札が目に入った。  
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             行くっきゃないでしょ~(o`O´)σ秘湯だもんね!
 
     【杣(そま)温泉】
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  内風呂も露天風呂も入って@400円。 露天は混浴。
  おかみさんが、「混浴に入るんなら今だよ!もうすぐ団体客が来るから」
 
 
           夫は露天へ、私は見学だけして内風呂へ行きました
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           かすかに硫黄の匂いがします。   夫は「気持ちい~♪」の連発
 
           横には小さな滝が流れ、後ろは紅葉が始まった山。自然いっぱい!
 
 
  私は内風呂へ、思ったより明るくて綺麗でした。
 
  温泉は100%天然で、循環はしておらず、水は一滴も入っていないのが自慢だそうで
  源泉は53.7度と熱く、注ぎ込む お湯の量を減らして温度調整をしているそうで
  内湯は丁度良い熱さでした。       泉質は ナトリウム、カルシウム、線化物硫酸泉。
  
 内風呂から露天へは一度外へ出なくてはなりません
 
 内風呂から上る時、入れ替わりに、団体が、ドカドカと入って来て
 
  「露天は混浴何だってさ~、
         今行ってみたら男の人が入って、 もう出るよ~。 って言ってたけどやめた」
 
                って、夫が出るとこだったんだ~
 
お湯から上がって、夫と、ツアーの添乗員と話していたら~~~~~~(゚m゚*)!!
 
内湯の建物から 素っ裸の男性が前を抑えて走って~~~~
                                 露天風呂に飛び込んだぁ~~(*^艸^*)
 
     少し坂になっているので、滑って転ばないかハラハラしましたが、
 
     大爆笑でした!!.ヽ(;゚;∀;゚; )ノ ブッ!.ヽ(;゚;∀;゚; )ノ ブッ!  (走り方も可笑しかった)
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お腹がすいたので、この辺りでお昼にしたかったけど、お店があまりないようで、
 
秋田内陸縦貫鉄道 阿仁合駅の中のレストランで食べましたが~~~。。。。。。(↑▽↑)
 
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    彼はカレー(^m^)   私は、冒険して馬肉丼。
 
 馬刺しが好きなので、期待したんだけど、硬くてとても喰いちぎれず、肉は殆ど残したッス  ρ_; )クスン
 
この辺り森吉山麓の、阿仁周辺 は「マタギの里」としても知られ、マタギ街道と名付けられています
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 R105号の脇に見えたちっちゃい駅、は秋田内陸縦貫道 秋田内陸線 【佐通(さどおり)駅】
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 同じような駅が3ツ位い続いて有る。 1時間に1本位。駅舎は無く待合室だけの無人駅。
 
 意外と歴史は浅く、平成元年に 秋田内陸縦貫鉄道によって開業。
 今年「秋田美人ライン」と愛称が付けられたそうです。
 
 
                     おお~!(。_。*)あれが美人列車?!かわいい~~(´∀`人)
 
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  【抱帰渓谷】 かつては人が抱きかかえる様にしないと擦違えなっかた事からと言われています。
 
 
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  此処は昨年も来ているんだけど、紅葉には早かったので、リベンジのつもりだったんだけど~、
 
  駐車場のおじさんにけば、 「まだちょっと早いかな?ここは初めて?」  と聞かれたので
 
            「去年来たんだけど、早かったので、今年こそ!と思ったんだけど・・・」
 
  おじさん、何故か非常に悪がって、  林や三平が 「どーもスイマセン」って言う時見たいに
 
  手をこめかみの所に持って行って「悪いねぇ、(ノ∀`)まだ色づいて無いんだよ、申し訳ないねぇ」
 
    って、 おじさんが悪い訳じゃないのにねぇ。。。
                   折角来たんだからちょっと見ていくか・・・・
 
         駐車料を払ったら、飴玉の缶の蓋開けて、「これ舐めながら行ってよ~」だって
 
  おっちゃん、アリガトネ、    飴玉しゃぶりながら。。。。。
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 う~ん。。。全く色づいておりません。  
 
そうはいっても、左脇には渓谷が有り、 岩は白く、渓流はエメラルドグリーンで美しい。
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あまり奥まで行っても仕方ないので途中、早めに引き返す。
 
                  中里温泉に行く途中で陽が落ちてきた
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     あ~ぁ、、、どんどん沈んで行くよ~~
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       あんまり綺麗なので、途中、畑の脇に車を止めてしばし見とれる
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   今夜の宿泊先、予定していなかったばしょになり、
 
   全く調べておらず、途中の道の駅のパンフを見て予約した。
 
  
 ん??「中里温泉」って出てるから、、ココだと思うんだけど・・・・  ↓は朝、帰る時写しました。
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 門の左に、「大仙私立太?就業改善センター」
                       右に、 「大仙私立太田南部コミュニティセンター」と書いて有る
 
 
公共の宿なのかな??? 良く解らん。。。日帰り温泉が主みたいで、宿泊客は3組だけだった。
 
 
 
2食付きで、ビジネスパック6500円だと云う。( ̄ェ ̄; ???大丈夫か???
 
と思ったら! 不覚にも確かめなかったが、ここは部屋にはトイレが付いていなかった(↑▽↑)
 
絶対避けたい条件何だけど、部屋に入ってから気がついた~~~遅いよね(↑▽↑)(↑▽↑)
 
 
夕食も、例によってコンロを使うものだけど、この値段だったら文句言えた義理ではござんせん。
 
天ぷらを追加で頼んだら、出て来るのが早い!
アツアツは嬉しい。   それに衣が薄く、カラリと揚がって美味しかった~~♪
 
 
そして肝心の温泉。
 
       お湯は広く、2ヶ所もあり、露天、サウナもあって、 
                      すっごくいいお湯だったので、満足。  イメージ 14                             
 
                                        
 
                    
 
           ――  明日はいよいよ鳥海山に行きます。 ――
 

(419)【大西洋漂流76日間】S・キャラバン 長辻象平訳

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1988年7月15日初版発行
1990年4月15日4版発行
早川書房
単行本
309ページ
1800円
 

図書館で借りる
 
 
 
 
漂流もの続いています。
1982年2月4日深夜、嵐の大西洋上でキャラハンの小型ヨットは突然沈没した。
この時から海洋史上に残る壮絶なサバイバルが始まった。
救命イカダに逃れた彼は、飢えと渇きに苦しみつつも手製のモリで魚を獲り、
頼りない蒸留器で飲み水を確保。
だが漂流生活はいつ果てるともなく続き死は目前に迫ってきた...。
遭難者の90%が3日以内に死んでしまうという海難事故から
奇跡の生還をとげたヨットマンが綴る極限の手記。
小型ヨットで大西洋を航海していたら、鯨の激突によりヨットは沈没。
 
沈没した時は何にぶつかったが全く解らなかったが、あとで考えたら、多分鯨だっただろう。と言う事。

 
非常用のビニール筏で漂流、沈没しかけたヨットから可能な限り必要と思われるものを
救命ボートに積んだ事により、随分助かっているが、
それも76日間と言う長期になると、最後は本人の知恵と考え方が生き延びられた原因だと思う

その間に、船を7隻も目撃し、いくつかの船に向けて信号弾を打ち上げているが、
                                           発見してはもらえなかった。
           
↓ シーラ 釣った事有るけど空気に触れたとたん色が変わる美しく大きい魚です。
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シーラやトビウオを水中銃を使って捕るのだが、
なかなかうまくいかない
 
本書著者は【荒海からの生還】
ドゥガル・ロバートソンの本は読んでおり
遭難漂流の場合の基礎知識みたいなものは
有ったようだが、
 
一番辛い飲料水については、
ドゥガル・ロバートソンは
「海水は絶対飲むな」と書いており、
 
主人公も喉が乾ききってひっついても、雨が降るまで細々と蒸留水を作って呑んだだけで
海水は飲まなかった
 
 
【漂流実験】アラン・ボンバールhttp://blogs.yahoo.co.jp/harikonotori/67244903.html
この著書は読んでなかったんだ。海水の飲み方、なんていうのも書いて有るんだけどね。
 
 
アラン・ボンバールと本書著者の辿った航路が殆ど同じ、と言うのも面白い
 
 
本書のあとがきでも書いて有るが、船乗りはアラン・ボンバールの著書や
ドゥガル・ロバートソンの著書などを読んでおいたほうがいい。
 
魚の獲り方や、飲料水について、など実用的な事が書いて有る
 
まぁね、そんな事、役に立たない方いいんだけどね。
 
 
本書の著者、キャラバンは技術的には不可能に近い水中銃でシーラを獲っているが
それはそれは気の毒な位失敗を繰り返し繰り返し、大変な思いをしている。
 
 
「ボンバール」と「ロバートソン」、両方の著書を読んでいる私は、
          この本を読みながら、非常にじれったい思いがしてならなかった。
 
魚の獲り方一つにしても彼らは非常に考えて、効率よく獲っているし、
          魚からの水分の取り方なども書いて有る。
 
本書の著者はずーーっとサメの恐怖におののいていたのだが、
          サメはこん棒でコツンと殴るだけで逃げてゆくそうである。
 
そんな事も両方の本に書いて有ったんだけどなぁ。

                                  ゴマモンガラ (こ奴も彼を困らせた)
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        しかし、自分をコントロール出来る位、
              精神力の強さを持っていて
 
 凄いな、と思ったのは、
  「泣いて水分を失う贅沢は許されないのだ」。。。
 
      しかし、まだこれは余裕があったからで、
       その後、彼は思いっきり泣くんだけどね
 
 
 
             彼は本当に絵が上手い   →
        このゴマモンガラなんて写真みたい!
        時によっては凶暴な奴。サメ寄り怖い。  
 
 
 
 
驚くのは、これほどの漂流生活の中で、キチンと、自分の通って来た航路や出来事をつづっている事
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    あれほど水浸しの生活の中で、どういう風にこれを書き無事に保存出来たのだろうか?
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             どこでどんな魚に遭遇したか、なんて書いて有る。
 
 
彼は鉛筆で造った六分儀を使って位置を確かめたのだが
この彼のメモは実際とほぼ狂いは無かったいうのだから、凄い!
 
結局は自力で島付近まで近付き地元の漁船に助けられるのだが・・・・
60キロあった体重が20キロ台になってしまった。
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          表紙の写真は誰が撮ったのだろう???(まぁ、撮影用だろうけどね)
 
           漂流ものまだまだ続きます。
            
  秋はどんどん深まりゆき、追われるように、じゃなくて、
 
           秋を追うように、旅には出なくちゃならぬし、本の返還日は迫るし
 
                      読書記録もまだたまってるし・・・・
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鳥海山をめざして②八甲田・尾去沢鉱山跡

10月15日
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  旅先で、何気ない、こんな朝の風景を見ると、「旅行っていいなぁ」と思うのよね~
 
勿論、目を見張るような絶景や、鮮やかな紅葉、美味しいもの、人との出会いなども
                                            旅の醍醐味なんだけどね。
 
 
        【陸中大里駅】 勿論夫は、いそいそとホームに上がって行きました (*^m^*)
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  【尾去沢鉱山跡】
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 尾去沢鉱山は、義父が若い頃、鉱山の医師として1年間だけ務めたところです
 
義父が生前、まだまだ元気だったころ、
親孝行のまねごとがしたくて、旅行に誘い、サプライズで、此処に連れてきたら、
とても驚いて、予想以上に喜んでくれたのを思い出します。
 
夫はまだ幼稚園の頃で、 夜中に落盤のサイレンが鳴り響くと、義父は身支度もそこそこに出かけ
なかなか帰ってこなかった。     と言うような話から、色々記憶が甦ったらしく
社宅、病院あと、購買あとや、クラブと呼ばれる接待施設あとなど、懐かしく見て歩き
日向ぼっこをしていたお婆さんを捕まえ、昔話に花を咲かせていました
 
そのお婆さんは、最盛期のころから、ずーっと此処に住んでおり
「土地を離れたり、亡くなったりで、み~んな居なくなっちゃって寂しいよ」 と言っていました。
 
    この派手な のぼり、到着するまで知りませんでしたが ――
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  【康楽館】  明治の和洋折衷の芝居小屋としては日本最古。
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    「康楽館」は、明治43年 秋田県の「小坂鉱山」の 厚生施設として誕生しました。
 
 
まだ芝居の開演前で、お客さんが入っておらず、施設見学」が出来ると云うので入って見ました 私たち二人の為に、黒子さんがつきっきりで館内を丁寧に案内してくれます。
 
外観正面は下見板張りの白塗り、上げ下げ式窓と鋸歯状の軒飾りが規則正しく並び、内部天井には中央にチューリップ型電灯と八角形の枠組みで手の込んだ洋風建築となっています。
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 それに対し桟敷や花道、切穴(すっぽん)など日本の伝統色を強く残した和洋折衷の芝居小屋です。この写真では良く解りませんが座敷が少し傾斜して後ろの人が見やすいようになっています。
  
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 壁や天井には、舞台に出演した役者たちの記念落書きやサインがが所狭しと書きなぐってあります。
 
坂東玉三郎や、中村勘九朗、市川染五郎他、中代達也、武田鉄也、緒方拳、などなど
上げればきりがないほどのそうそうたるメンバーの記念の落書きサインがびっしり!
これを見ているだけでも飽きません。
 
しかし康楽館が「国重要文化財」に指定されてからは落書きは出きなくなったそうです。
 
 
奈落や、回り舞台の装置、などなど、面白かったです。
帰える時には、もうお客さんがぼちぼち入って来ました。
建物を出て写真を取っていたら、法被を着た初老の方が「お撮りしましょうか?」
 
色々な話を聞かせていただきました。   
夫と、かなり長い間、小坂鉱山の話をしていました。  (この方、木梨憲武さんにそっくり~ (^m^))
 
隣に有る 【小坂鉱山事務所】 も見学してきました
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すべて天然秋田杉造りの木造三階建て。 床のべ面積2570㎡。明治38年に、巨額な費用を投じ建設した小坂鉱山のオフィスビルです。
  
 走っている途中、工事現場の人と思われる3人がこの橋?をバックに携帯で記念写真を撮っていた
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これは橋の補強工事か?新設工事か???私もパチリ! 見れば珍しいわよね、この光景は、、、
 
 
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   JR奥羽本線 【碇ケ関駅】に立ち寄り、
         「碇ケ関道の駅」でランチ
 
 
      
      期待しなかったけど、
      先ず、出てきた蕎麦茶が旨い!
 
    私の頼んだ、
    お蕎麦も小丼も美味しかったし、
    夫の天丼も、カラリと揚がっていて
                   美味しい
 
 
     「早い、安い、旨い!」の
       三拍子揃って大満足でした。
 
 
 
 

 
  【城ヶ倉大橋】 ここは紅葉の名所だけど、もぅ少しかな? 向こうの山のてっぺんが「今」みたい。
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           この旅行でここが一番寒かった!(>へ<)
 
  【八甲田山ロープウェイ】、 待たないですぐ乗れる、と言うので飛び乗った
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  やはり黄色が多いですね~
 
    結構混んでいたので、思うように写真が撮れない><;
 
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    頂上まで行って、直ぐ戻って来ました。  思ったより寒くなかった。
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    【酸ケ湯温泉】   此処も入って見たい温泉のうちの、ひとつ
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 いつも前を通るのだけど、素通り。  今回も、入る時間は無いけど、ちょっと覗いてみた
  広々として、思ったより明るい。 登山者や家族連れで賑わっていた。
 
 
   近くの 【地獄沼】  写真では解り難いけど、湯気が立ち登っていた
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  地獄沼の前のせせらぎ  この辺りは紅葉真っ盛り~♪
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   酸ケ湯から降りて来る途中、振り返ったら ヽ(*゚O゚)ノ
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  ブナ林? 美しく、優雅な感じで好きだな~この林の中をずーっと走っていたい(´∀`人)
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  【蔦の湯】 此の温泉も是非入って見たい所の一つ。
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 この前の広場がロータリー見たくなっていてちょっと失礼して通していただこう・・・
            と思ったら、遠くに見えた番頭さん二人 がサーっと出て来ちゃった !Д゚) 
 

久々に、「揉み手」をした番頭さん見た。。。って! それどころじゃないでしょ~、 悪いじゃん><;
こちらも、「客じゃない、違う違う!」 と手を振って、合図  (o*。_。)ペコ(o*。_。)ペコ~~
 
すると番頭さん二人も足を止め、笑って ぺこり(o*。_。)   
ホントごめんなさいね、申し訳ない~ <(_ _)><(_ _)>ペコペコ
 
と言う訳で、次回は絶対、ここにに寄って行こうね~。
 
 
奥入瀬渓流の紅葉は、まだまだのようでした。
車も殆ど通らず、人影も無いけど、後10日もすれば、凄い事になるんでしょうねぇ
 
十和田湖を半周し、   【発荷峠】から十和田湖を望む
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           【大湯温泉】 泊
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  本日は、大湯温泉のホテル「馬淵」さんにお世話になります。
ホテルと言っても客室10部屋程の個人経営の小さな宿ですが、ここの温泉に惹かれて決めました。
 
 
 バリバリ源泉かけ流しです。
 泉質も文句なく、素晴らしいんですけどね、熱くて入れない><;
 
 多分44℃位は有るんじゃにかな~? 足突っ込んで居られない位熱い!
 シャワーで薄めても、シャワーは自動で直ぐ止まってしまうし・・・・ (;´д`)
 
 
そう言えば口コミに「熱くて入れなかった」って書いて有ったっけ、、、
結局、従業員の方が来て、水道の蛇口を曲げて水を湯船に飛ばして薄めてくれた
 
あのねぇ~! 客が入るの分かり切っているんだから、
ちょっと熱めでもいいから、入れる程度にしてくれたらいいのに~~><;;
 
                               しかし!いいお湯でした。
 
 
可笑しかったのは、チェックインの時、
「地元の温泉協会でキャンペーンをやっているので、こちらにして頂けないでしょうか・・」・と
                                       (予約した金額より、2割くらい安い) 
 
         ハイ!(⊹^◡^)ノ喜んで!  と言う訳ですが、なんだかおもしろいですね
 
部屋に入ると、既にせんべい布団が敷いて有りそのまま二つ折になってました。
 
                                 ホテル。。。。ねぇ(苦笑
 
 
夜中眠れなくて、お風呂入ろうと思ったけど、、、、又薄めなきゃならないと思って止めました。
 
                 いいお湯なんだけどなぁ・・・残念でした~            
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                             ―― つづく ――

鳥海山をめざして①八幡平

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    秋は忙しいのよ~   紅葉は山を駆け下りていってしまう~  い~そげ 急げぇ~♪
 
    まだ行った事が無かった鳥海山を目指して、「もみじ狩り」へ。
 
10月14日  朝6時半出発   首都高 ―― 東北自動車道
 
         栃木県に入るチョィ手前、道路を挟み、左右に気球が上がってました
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       稲の刈り入れが終わった田んぼ、  まだ小金の花を咲かせているたんぼ、綺麗
 
 
福島飯坂の少し手前、国見あたりだったかな?
横をスーっと走り抜けた車を見て、 夫、にわかに興奮、 「(*゚Д゚σ スッゲー!」
 
「新車なら小さな家の一軒位は買えちゃう」位のイギリスの高級車で、ランボルなんとか?だって。
 
 それ程スピードを出してもいなかったので、
                     夫はスッゲーを連発しながら、少しの間あとをつけまわす(^m^)
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 夫は、車にはあまり興味のない人だと今まで思っていたけどねぇ
 こう云う車には、反応するんだ!へ~~、新しい発見! (。◔‿◔。)
 
白石当たりでは ハーレーの一団が、かなりの台数でした。  こちらはギンギラギン。
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    ハーレーの集団に皆さま、結構お年を召してらっしゃる方が多く、60歳代か? 
 
               
 平泉・前沢ICで降りる
以前、前沢を通った時、何となく入った牛肉レストランの肉の味が忘れられず、探し尋ねた
 
          初めの印象が強烈だったせいか、前回ほどの感激は無かったけどネ、
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            やっぱり美味しいんだけどぉ~、  チョィ高くなっていたわ(↑▽↑)
 
 安くて美味しい、から価値が有るんであってね、高くて美味しいものはいっぱい有るんでざますハイ。
 
 この日は日曜だったせいかバイクが多かった。↓のお兄さんたち、分厚いステーキでも喰ってる?
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   平泉・前沢ICに戻り、松尾八幡平IC ―― 【八幡平アスピーテライン】
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紅葉は頂上から始まっている
 
 
遠くに【旧松尾鉱山跡】が見える
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最盛期当時(1960、S35年)は、13600人の人口が居て、
当時で、水洗トイレ、セントラルヒーティング完備の鉄筋コンクリート集合住宅だった。


ここで働く人々の給料は、世間一般よりずば抜けて高く、贅沢三昧な生活をしており
社宅周辺には、娯楽施設等も整い此処に居れば何不自由なく、この世の極楽、と言われていた。

だが、1972年閉山。 木造の社宅は焼却され、鉄筋コンクリートの建物だけが残った。

 
        この山は、 モミジやナナカマドなど、赤く紅葉する樹木が少ないようだ
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           サイレンが聞こえる???こんなところで?? と思ったら消防車?
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             展望台に居たら 救急車も来て停まった。消防車も一緒。
 
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                                               上の方は紅葉は終わってる
 
        ちょっと離れた山の上をヘリコプターが、グルグル円を書いて飛んでいる
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                 遭難???   次々と野次馬が集まって来た
      
次の日の新聞に
14日午後2時45分、岩手県八幡平市の畚岳(もっこだけ、標高1578メートル)を登山中の女性から
「夫が登山中に足をけがした」。と携帯電話で119番通報があった。
八幡平消防署によると、男性(65)は1時間後に県防災ヘリコプターで救助され、
ふもとの病院に収容された。骨折の疑いがあるという。
 
     【蒸けの湯】      あらら~! こっちから見ると丸見えだわ~  |ェ・)
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       湯気で見えないけど何箇所か露天風呂があります。  ズームすると・・・・丸見え(^m^)
 
前回は、下に行って あそこを一回りして見学した 
 
秋も深まっていたせいか、客は誰も居なくて、露天ぶろは覗き放題だった
 
ボコボコ湧きだしてる源泉の一つで、従業員の方が、茹で卵を作って居たので見ていたら
「(⊹^◡^)すぐ茹であがりますよ~」、 
 
      これ、しゃがんで、魚を救う網みたいなので取っ手を持って茹でている
                                        (気が長い、と言おうか^^;疲れるだろうにネェ)
勿論買ってその場で戴きました。ひとしきり温泉談義 d(^-^)
 
晩秋の夜がいいそうです。(11月の半ばには閉鎖になる)
 
星は綺麗だし露天風呂へ行く道には足元案内の灯がともって綺麗だそうです。
 
                今日は無理だけど是非入りたい温泉のひとつ。
 
 
 【御生掛温泉】   立寄りで入って行こうと思ったけど、車がいっぱいで入れなかったので次回に。
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         【湯瀬温泉駅】     車より電車が好きな夫、それも小さい駅が好きみたい
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     【湯瀬温泉・姫の湯】泊。
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         マニアが見たら喜びそうなクラッシックバイクが陳列してあった。
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このホテル。どっパズレでした。
 
建物は立派だし、フロント前は広くて天井が高くて造りはいいんだけどね、
従業員、全員何が面白くないのか仏頂面、其の上気が利かない、と言うより
ホテル業が何たるか、研修、教育を全くしてないと思えるくらい酷い
 
口から出る言葉は一通り丁寧語を使っているんだけど、目をそらせソッポを見ながらの接待、
「アンタは笑顔をどこかに置いて来ちゃったのか?」と思う位で
これを「仏頂面」と言わずに何と言おう?こう云う従業員ならいらない
 
印刷物を渡され、セルフの方がまだいい。不愉快きわまれる。
 
そんなんだから、食事会場は雰囲気が悪い。
係りのおばさんたちは、それが判っているのか、極端に媚びている
ここまで媚びられると、逆にうっとうしくなる。。。。でも気の毒よね
 
食事は、リーズナブルなホテルや旅館は皆そうなんだけど、陶板焼きや、簡単な鍋や、釜めし
あとは不味い刺し身が少々(ほとんどが水っぽいマグロとサーモン)
 
袋から出した珍味、あと茶わん蒸し。。。。。。。。。。。。。。板前は要りません。
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       コンロが、きりたんぽ、陶板焼き、釜めし、土瓶蒸し、と、4個もある。
 
釜めしは、お茶碗一杯分しかなく、男性はとても足りないと思う。
 
 
この中で、唯一、手造り?と思った タンシチューがかなり後から出てきた
   「ここにドンと料理が来ますのであけておいてください」、と言われて出てきたのこのがシチュー
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それも、もう食事が終わる頃。 
            (だから当然アツアツかと思ったんだけどね)
 
なのに、冷めているせいか、超超!マズい(TεT)
 
添えものの人参は、冷凍モノを解凍したまま、
   冷たく、水っぽく不味くて食べられた代物ではない(吐き出した)
 
信じられないけど、
焼きトウモロコシの輪切りも冷凍物を解凍したてとしか思えず、
                                氷のように冷たく、水っぽくてとても食べられない
 
席を立とうとしたら、小さなお椀、に稲庭うどんが出てきたんだけど。。。ーー;
もう、こうして書くのも嫌な位、、、、
ダシも取ったとは思えないような、殆ど、味の無い澄まし汁の中に伸びきった稲庭うどんが少し。。。
汁とうどんを一口食べ、蓋をして席を立ちました。
 
 
            私にでも、誰にでも、直ぐ出来るメニュー。
 
旅館やホテル、いつからこんなになっちゃったんだろ~?

ツアーで行った時は、ツアー会社が余程叩いたんだろう、って思ったんだけどねぇ
ツアーの時の料理と全く変わらない。
もう少しランクアップしたテーブルには「蟹」がでていたけど、アレも、ヘタに解凍したてのものだろう
蟹は解凍の仕方で同じ蟹でも、味に雲泥の差が出来てしまう。
 
いくらこのホテルで、ランクアップしても、調理人(場)が変わる訳でなし、
その料理も、押して知るべし
こう云う所は(料理については)最低の値段の所でいいんじゃないかと思った。  
                                       (自分で夜食を持っていこう(ノ∀`))
 
まごまごすると、布団のカバーも使い回しのしわくちゃだったり・・・・
温泉ホテルも地に落ちたもんだわねぇ (。・_ˇ・。 )
 
私は、豪華な料理や、普通以上に美味しいものを期待してはいません
 
普通の和食店の定食程度でもいいから「不味くない」ものを。
 
ご飯とみそ汁が温かければ、美味しい漬物と少しの刺し身、と他一品あれば、それで充分なのです
極端な事を言えば「ショウガ焼き定食とか、刺し身定食、てんぷら定食。其の程度でいいのです。
 
天ぷらはリーズナブルなホテルや旅館ではすっかりなりをひそめで無くなりました。
職人さんが居ないのと、冷めてしまうからでしょうね。
 
 
以前、日本では珍しい、「B&B」ホテルに泊まったけど、ここは朝食だけが付いていて
後はレストランで其々が好きなものを注文して食べる方式。
 
このレストラン、メニューは種類はそれほどないけど、3000円前後で充分美味しい食事ができた。
勿論、豪華なものを望めば有るし、もっと安く済ませようと思えばそれなりに出来る。
この方式日本でもっと広まって欲しいと思う。
 
 
今の旅館の料理は品数ばかり多くて全部は食べきれない、そして美味しくない。
少しでいいからチョット美味しいものを頂けたら、幸せなんだけどなぁ。
 
温泉は思ったより良かったけど・・・消毒臭がプ~ンとした。
 
 
それにしても、このホテルの従業員、どしちゃったんだろ????
特に、男性諸君!感じ悪すぎ!  サービス業のなんたるか思い出したまえ!
 
帰り、団体バスが出る所で、4人位の従業員が「ありがとうございました。またの・・・」と言う
幕を持って見送りをしていた。。。
 
私は夫が車を取ってくる間、それを見ていた。
 
車が来た時は、バスが行ったあとで、其の従業員たちは、ホッとしたのか談笑をしていた
私たちが玄関の車寄せに車を止め荷物を積み・・・・(従業員達は横目でチラ見しながら談笑中)
走り出しても。。。チラと見て、見送ろうか。。。タイミングを外した感で、横目で見送ってそのまま。
 
これ一つ見て、サイテー!と思うでしょ~。
 
到着の時も、雨が降り始めた時で、前の駐車場は、狭く、満車状態で、
車を 少し離れた所へ停めてくれと言われたので、
一度、そのまま駐車場を見に行き、戻って、荷物だけ車寄せに置いて私が降り、
 
夫が来るのを待っていた
それを、従業員(男)が立って見ている訳。(この時点で、アレ?と思ったけどね)
 
普通、こう云う場合、傘を持ってくるとか、 (夫が離れた駐車場から雨の中戻ってこなきゃならない)
そのまま車のキーを預け、従業員が駐車場に運ぶとかするでしょ。(これまでは殆どそうだった)
 
この時点で「この従業員なんて気が利かないんだ~」と思ったけどね。
 
一事が万事でした。
 
自分で取ったホテルで、これ程のハズレは珍しい・・・・(TεT) トホホ・・           
                                         つづく  イメージ 21                  

(418)【オケラ五世優勝す】 多田雄幸

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1988年7月10日 第1刷
文芸春秋
文庫本249ページ
 
 

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漂流・航海もの続いています。
本書は、52歳のタクシーの運転手の著者が、手造りのヨット「オケラ五世号」で
史上初の世界一周単独ヨットレースで優勝した航海記。
 
「オケラ五世号」とは、ヨットに全て持ち金をはたいてしまい
文字通り「おけら」になってしまった事から付けられた名前。
 
 
毎朝、デッキで座禅を組み、お経を読む。
大西洋の無風地帯、南氷洋の吠える40度線など、多くの難関を乗り越えるが
それをさらりと描くところの彼は凄い。
 
上村直巳との関係は「北極点犬ぞり単独行につづくグリーンランド単独行」の際に
カナダのベースキャンプから1年近くの間、植村をサポートした。
 
其の上村直巳が、フォークランド等付近で、戦争の勃発により、
「南極冒険の夢を断たれた」植村と無線で交信するシーンでは、
自らも嵐の海で大変なのに、失意の植村を気遣い励ます。
 
                         上村直巳(左)と油壺で
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ライバルとして戦った世界強豪のヨッタマンとの友情や、
外国で寄港した際の関係者や、港周辺の人々からの支援や好意は、
ヨットの世界を知らぬ者にとっては驚きだ。

それと言うのも、ヨットマンの間では、 南緯40度付近の 「吼える40度線」や
船乗りの墓場」と言われるホーン岬を乗り越えた船乗りは「ケープホーナー」として称されるそうで、
「女王陛下の前で、机に足を上げ葉巻を吸っても許される」。 とまで言われるそうで、
日本人のヨットマンへの見方とはかなり温度差があるようだ。
 
リタイヤするヨットが続出する厳しい荒れる海で、何度もヨットが横倒しになり
舵が壊れたりしながらも最後まであきらめず、10万キロに及ぶ航海を成し遂げた彼だからこそ
周囲の彼に対する信頼や尊敬は厚いが、
 
それは別としても彼の人間性が周囲の人から好意を寄せられたのも確かなようだ。
 

だがそんな彼も二度目の世界一周ヨットレースで、引退を決意していたが
彼のヨットは南氷洋で繰り返し横転し、なんとかシドニーに到着したが

レースをリタイヤし、ホテルで自殺してしまう・・・
 
この自殺に関しては、σ(・"・) の読書欄の
「七つの海を乗り越えて」http://blogs.yahoo.co.jp/harikonotori/67282818.htmlに書いて有る。
 
 
あれほどの荒海にも打ち勝ち生還したのに、、、、何のために荒れる海と戦って来たんだ! (ノ_-。 )
 
   ま、解るような気もするんだけどね
 彼は躁鬱質だったし、こう云うレースって数えきれないほどの多くの人からの支援を受けていて、 それからのプレッシャーは想像できない位、大きいものが有るんだと思う。(特にオケラにとっては) 完走するのとリタイアするのじゃ、後後の生活だって雲泥の差だろうし・・・・
     
           可愛がっていた弟子への最後の言葉が「疲れたよ」。。。。。。
 
                                                  合掌
 

(417)【つぶやき岩の秘密】 新田次郎

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昭和47年1月20日発行
新潮社
単行本
220ページ
 
図書館で借りる
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
両親を海難事故で亡くした六年生の紫郎は、岩場に耳を当て、海のつぶやきを聞くのが好き。
それは母の声のように響く。
ある日、崖の半ばに人影を一瞬見た。幽霊を見たのか。
先生の協力を得て、謎の人物の解明に乗り出すが、謎は謎を呼び、ついには死者が。
息詰まる冒険と暗号解読を経て紫郎は、崖の秘密、両親の死の秘密を掴む……。
物語の神様、新田次郎が描く傑作少年冒険小説
少年文庫として出版された。

昭和48(1973)年に放映された「NHK少年ドラマシリーズ」の一作として紹介される事が多いらしく
 
新田次郎の作品としてはあまり有名ではないようで、本書は絶版になった。
 
新田次郎は山の本が多いなか、本書の背景は海。 
 
というのも、実は、本書は、
 
『八甲田山死の彷徨』を執筆した際に、滞在した三浦半島を舞台にした
                             少年向けの冒険小説。。。
 
として出版されたそうで、著者生誕100年の年に、初文庫化された。
 
  
 
    物語の舞台の三浦半島。  少年の行動範囲が図面になって載っている。
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        舞台となった三浦半島南西部の風景がテレビドラマ放映当時から、
 
                   約40年経った今でも、あまり変わらないと云う。
 
                   つぶやき岩。是非行ってみて見たいものである。
 
 
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主人公の少年は小学6年、
 
終盤の方で事件の鍵となる 「金塊」を見つけるくだりが
 
 
 
紫朗は金の価値について詳しい事は知らなかったが、
 金塊19個を拾っただけで、
日本一の金持ちになれるとは考えられなかった。
 
金塊1個が1千万円だとしても、合計で1億9千万円。
 
それは確かに、気の遠くなる様なおかねだったが、
その位のお金を持っている人は珍しくは無い
 
 
 
 
 
 
 
こう思いながら、この事件にかかわり既に亡くなった人の言動を思い出し、
 
                    彼なりに推理をするのだが、12歳の少年の推理にしては、
                     
              少々大人び過ぎているんではないのかなぁ?
 
                時折、12歳の少年だよなぁ・・・と考えながら読んだ。

                                      
                       青少年向けの本にしては、カットが暗過ぎ~(・"・;)
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              自分の12歳の頃って??・・・・・・・かなり幼稚だったかも~(>▽<)
 
「少年文庫」。とは謳って有るけど、大人が読んでも充分面白かったです。

 

石垣島へ ③

 
10月4日
石垣港から高速船で 25分 小浜島港着
 
港に着くと、バス出迎えに来ていましたが、私たち二人だけで、貸切切り状態の島観光ツアーです。
 
 
   【シュガーロード】    何処までも真っー直ぐ!  両側 ずーーーっとサトウキビ畑です 
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      NHKドラマ 「ちゅらさん」の撮影に使われた 【こはぐら荘】 
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普通の住宅で、住んでいる人がおられ、中は見学できません。
 
 
 
                【大岳 展望台 入り口】
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   長~い階段を
     登って行く為、
     入り口には杖が
   おいてありましたが
               「おじ~おば~用」、と
 書いて有った(>▽<)
 
 
                                                                           ここから
階段が有る所までの
      道の両側には
    たくさんの蝶々が
     飛んでいました                                                                        
 
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スジクロカバマダラ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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             オオゴマダラ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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リュウキュウアサギマダラ
 
 
 
 
 
 
こんな蝶々が当たり前に
          富んでいました
 
 
 
 
 
小浜島は、八重山の「へそ」と呼ばれるぐらいの島々の中心的な場所にありますが
     
        
その小浜島の中でもさらにヘソ的な場所にあるこの大岳(うふだき)は海抜99m
 
百数段の階段を登ると山頂からは、ぐるりと 360°広がる大パノラマの景色を見ることができます
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 前に横たわっているのは無人島のカヤマ島です。
 
 其の一番奥、一番上部 中央の小さな白い島は珊瑚で出来た島、バラス島です。
 
 此処まで見える日は少ないとか。
 
 この日は、西表島、鳩間島、石垣島、黒島、新城島、波照間島、竹富島などが見えました。
 
 
手前の、青く見える所は 「ヨナラ水道」。 小浜島と西表島の間の海峡で、
        石垣島と西表島の間の石西礁湖の切れ目の一つで、
               昔はマンタが見られる所、として有名だったが
                          今は、殆ど見られなくなったとか。  
 
 
        下の赤い屋根の建て物は、 以前は
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 「コーラルリゾート」、「キャロットリゾート」、「サンゴ倶楽部」、「小浜島ビーチリソート」などなど、
 何度も経営破たんし管理会社が変わり、今は廃墟同然のようです
 
 周囲は牧草地とさとうきび畑ののどかな風景が広がります
 
 
 小浜島は、シュノーケルをするような海岸は、あまりないみたいで、
     細崎海岸は、人影もなく・・・・
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 星野リゾート 「はいむるぶし」 で昼食を取ったけど、(ー`´ー)うーん
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 ホテル内は広すぎて、歩いては回れません。   カートを借りて一周しました
 
 このリゾート、たしか、「ヤマハリゾート」じゃなかったっけか???
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  こう見ると、素晴らしい海岸に見えるけど、海外のリゾートでは決してあり得ないような
       海には狭い区域に区切ったロープが張ってありその中でしか泳げません
 
       したがってシュノーケルをしてお魚観察などは出来ません。
 
       ビニールの大きな子供用の滑り台が有ったり、水上バイクがはしっていたり・・・・
 
       なんだかチグハグの感じがしるなぁ。。。。     

                  此処に泊まっても2日で飽きそう~(苦笑
 
 

あぁ・・・波照間のニシ浜ならば、一週間いても飽きそうも無いんだけどなぁ~~。
 
日本って、どうして、こうも、リゾートの作り方がヘタなんだろ?
 
海と砂浜が綺麗で、珊瑚が育ってて、魚が居て、自然が有って、空気が良くて星が綺麗に見えたら、
       あとはしっかりしたホテルが有れば、遊び道具なんぞ、何にも要らない。
 
 
子供を意識するからこういう、中途半端なリゾートになるのよね~。
 
                  大人のリゾート作ってくれぃ~~。
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                  あなたのお名前は?   
 
            羽を広げっ放しにして日光浴。  傍に行っても逃げません
 
 
   石垣港には、まだ、あの豪華客船が停泊していました。   乗客は何処へ行ってるんだろう?
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    これからホテルへ帰って荷造り
               夕方の便で帰ります。
 
 
    其の前に、食べて行かなきゃネ♪
                 「沖縄ぜんざい」
 
        美味しいんだ!これが (~~~、)σ
 
 
 
 
                                                                                                                                                      イメージ 9                            石垣空港 の 空が無い ^^;
 
 先日の台風ですっ飛んだか?
 
 
 
これじゃあ、「石垣 港」じゃん
           「船着き場」かぃ(笑                          
 
 
 
 
 
 
 
 
  雲海の向こうに夕陽が落ちる
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   秋の陽はつるべ落とし。。。。。。。。        満月だったけど、美しい星も見えました。イメージ 12
 
 
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中途半端な時間で、
お弁当かサンドウィッチなんぞ買って、
       飛行機で食べようと思ったけど
             既に売り切れて何もなかった
 
ポツンと棚に一つだけあった
マンゴーパンを買って
半分こして食べていたら
 
スチュワーデス(って今は言わないのよね^^;)さんが
飲み物と手拭きを持って来てくれました。
 
 
 
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  羽田では、タイミング良くリムジンに乗れ、
         新横浜からタクシーで10分で
               我が家に到着

 
        
 
          
     今年の我が家の夏は終わりました。
                                                         


石垣島へ ②

 
 10月2日
         石垣港にはこの日も台湾の豪華?客船が停泊していた。
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           午前中ダイビング
 
     申し込んだショップの船長が
           ダウンしてしまい、
 
イントラと一緒に乗りあい船に乗るが
      他のショップも一緒なので
     思うようなポイントにも行けず
 
       今年最後のダイビングは
  つまらないものになってしまった
 
 
 
 
 
 
 
10月3日  波照間島観光ツアーに参加
 
石垣から56km、高速船で1時間。     有人島では 日本最南端
面積12,77K㎡    周囲14,8Km   最高標高59,5m
5つの集落がかたまており、267世帯 人口540人。
 
                        波照間港には自衛隊の船が2隻
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「波照間」 の島名は、「さい果てのウルマ(サンゴ礁)」に由来している。
本格的なホテルやリゾート施設などはなく、殆どが民宿。   路線バス、信号もない。
サトウキビ畑が続き、変化する海の色が息をのむほど美しい。
 
 
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        島唯一の駐在所
   
お巡りさんは殆ど留守だとか
       そりゃそうでしょうね
 
港に着いた時
 パトカーが停まっていて、
  お巡りさんは、島の人と
     ずーっと話してましたし
 
帰る時も、又、どなたかと
   お話していました (*^m^*)
 
       平和なんですね~
 
交番の横に停まっているのは
 自家用車?
パトカーは、港に止まっているときが多いみたい
 
 
日本地図の下の方に
「波照間島」が赤く塗って
         ありますが、
かなり大きくしてあるそうです。
 
 
 
 
                        オヤケアカハチの碑
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「オヤケアカハチ」とは、八重山で農民のリーダーとなって琉球王朝に立ち向かっていった英雄。
彼は15世紀、この波照間島で生まれ、石垣大浜地区に移り住む。
 
正直ものでより正義感の強いオヤケアカハチは、当時人頭税に苦しめられていた島民のために
立上がり、琉球王府に対して反乱を起こしたこの乱は、「アカハチの乱」として今に語り告がれている。
 
最後は琉球王府に敗れてしまうが、アカハチは八重山の英雄である。
  
   可倒式風力発電設備
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過去の台風で風車が倒れたり羽根が折れたりする被害を受けた沖縄電力が、
 
「強風に耐える」、のではなく、「強風を避ける」、という発想で 総工費5億円(予算)で、2基を建設。
 
風車は高さ約38メートルで、長さ約16メートルの羽根が2枚ついている。
 
台風接近など強風が予想されると、約40分かけて根元から倒す。
 
ガイドさんの言う事には、全く採算が合わなず、賄える電力はほんの少し。だそうだ。
 
 
       高那崎
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 琉球石灰岩が侵食されてできた地形で、溶岩みたいなトゲトゲしい岩で、かなり歩きづらい。
 
 
   左端の逆三角の↓が日本最南端の碑              ↓は、日本最南端平和の碑  
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何故かこんなところにもヤギが。。。
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ここから覗くと、魚がいっぱいいてその向こうは・・・
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            「青の洞窟」 を思い出した。
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    集落を歩いてみる
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「海上保安部 海上保安協会 先島支部」
 
逆さま?になって、支柱?にしてる??
 
いいのかなぁ~~
 
このお家、「海上保安官連絡所」の
             看板が出ていたけど
 
ホント、平和だよね~、
 
だぁれもこんな事ぁ 
           気にせんのよね(>▽<)
 
 
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波照間島は緯度が低く、
 
周囲に人工的な灯りが極めて少ないため、
 
日本では南十字星を
    
好条件で観測できるそうです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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民家の石垣や、十字路などに
 
「南方増長天皇」 と言う文字が刻んであったが
 
どういう意味なんだろ?σ(゚・゚*)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
        
 
   ニシ浜海岸       お見せできないのが悔しい。その位美しい。。。。
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  日本にもこんな美しい白砂の海岸が有ったのね~(カラフルな魚は少ないけど)
 
  どうしてリゾートが出来いんでしょぅ? と聞けば
 
  島の人は、観光には全く興味がないのだそうな。
 
  気持ちはわかるけど、何とももったいない!
 
  宿泊施設は有るにはあるけど少ないし、
 
  石垣からは日帰りで来ると、往復6000円の船賃がかかる
 
   (ー`´ー)う~~~~~ん。。。
 
 
 
ホテルに帰って、プールに入ろうと思ったけど、水があまりにも冷たいので退散。
 
 
大浴場の大きな浴槽にσ(^-^) だけ、貸切で  の~~んびり。
 
                      
           明日は小浜島に行く予定     
                                           ―― つづく ――

石垣島へ ①

 
 
   9月30日   朝一番の直行便で、再び石垣島へ。
 
 
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        いつもは新横浜から羽田行きのリムジンに乗るのだけど
 
        この日は諸々の都合で、神奈川新町から京急で羽田に出た。
 
 
 
    台風でちょっとヒヤヒヤしたけど、17号は先島諸島をなめまわして通過。
 
    18号は、まだ関東の南でグズグズしているのでこっちの空港も、
 
                                    あっちの空港もセーフ!
 
そんな事で多分いつもより混雑していると思ったので、
 
いつものギリギリの便では間に合わないと思った。  案の定、羽田はいつもより混雑していた。
 
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 飛行機は満席。台風で前日も先島諸島には飛んで無かったので、その分の人も乗っているのだろう
 
 
  写真では穏やかそうに見える海は、まだ海は白波が立っていて今日は海遊びは無理かな~?
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 電話で問い合わせたら、今日はまだうねりも入っているので船は出せないとの事
 
 ドライブを楽しむ事にして、レンタカーを借りる。
 
 前回見逃した場所を回ってゆこう~♪
 
 
     唐人墓
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唐人墓には中国福建省出身者128人の霊が祀られている。
  
1852年2月、400人余りの苦力(クーリーと呼ばれる中国人労働者)が、厦門(アモイ)港から
 
米国船ロバート・バウン号でカリフォルニアに送られる途上、

辮髪(べんぱつ)を切られたり、病人を海中に投棄されるなどの、暴行に堪えかねて蜂起し、
 
船長ら7人を打ち殺した。

 
船は、石垣島沖に座礁し、380人が島に上陸した。
  
石垣の人々は、仮小屋を建て、彼らに住まいを提供した。
 

反乱時、逃げのびた米国船の船員が、中国沿海部にいた英国海軍に通報し、追及が始まった。
 
しかし当時、(薩摩藩の支配下にあった)琉球王国の八重山政庁や島民は中国人労働者をかくまった。
 
米英は島に砲撃を加え、武装兵を上陸させて捜索を行い、中国人たちは銃撃、逮捕、
 
自殺、病没者などでどんどん減っていった。  
 
島民は深く同情し、密かに食糧や水を運び、死者は丁重に葬られた。

島民は捜索にあたる米軍と英軍にも食糧と水を提供し、なだめている。

 
関係諸国の協議の結果、生存者172名を琉球の船で中国(清朝)に送り返すことで合意。
 
 

当時、埋葬された墓は島内に点在していたが、石垣市がこれらを合祀慰霊するため、
 
台湾政府、在琉華僑の支援もあり、唐人墓を1971年に建てることができた。
 
しかし当時琉球列島は米国の占領下にあったため、
 
墓のいきさつをきちんと記すことはできなかったという。

日本(本土)の歴史教育で、この史実は全く伝えられてこなかった。
 
 
  唐人墓の前には、真っ青な美しい海が広がっている。墓はその海に向かっている。
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 石垣島には蝶々が多い、なかなかじっとしていないので難しい被写体の一つだが
                                    この島の蝶は近付いても、直ぐは逃げない
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    石垣で一番有名なお蕎麦屋さん。 前来た時は休み、その前の時は混んでいて諦めた
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この日も、待っている人が多いので諦めかけたが、親切なタクシーの運転手さんの勧めで待つ事に。
 
      意外と早く入れた。 σ(・"・)並ぶのも、待つのも嫌いなもんでして。。。
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ここで一番美味しいと云われている ソーキそば、   穴的存在で人気のあるのがカツ丼!
 
なんたって!安い!  ソーキは今まで食べた中で一番おいしかった! 待つ価値あり。
  因みに上のソーキそば、(小)で500円です。  夫にソーキを分けても、お腹一杯になりました。
 
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                         カツ丼は、それなり^^;
だし汁が美味しいし、それ以上に、このソーキ、どうやったらこんなに美味しくなるんだ?!
 
期待していなかっただけに、大感激!
 
 
   台風の爪痕が、其処ここで見られた。  大きな木は幹からボキボキにおられ無残
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この位の街路樹は根こそぎひっくり返っている。
 
瞬間最大風速、50mだとか。 
 
車輌も人も、総動員で、折れた樹木や通行の邪魔になっている枝や雑多なものをかたずけているが
 
間に合わないとか。大変だ。
 
                         鷺の群れ
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           そういえば石垣は牛がおおい。 石垣牛は、お高いのよ (~~~、)
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                  石垣での食堂では、ヤギ汁は普通に有る。
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 揺り動かしても多分起きないだろう。すぐ傍を観光客がバタバタ行ったり来たりしても、薄目すら明けぬ
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潮が引いた海岸で何か採っている? こんな風景が良く見られた。  後で聞いたらシャコ?だとか?イメージ 11
 
 
10月1日
 昨夜シュノーケルを予約。 この日もまだ船を出すところは少なかった。
 
 波が荒い、と言うより、船を上げてしまった所が多く、まだ海に帰してないんだそうだ。
 
 この日は、石垣港には海保の船が4隻底流していた。     何かと大変な時だもんね。
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    この海の色! 肉眼で見た方が綺麗です。青のグラデーションが何とも言えず鮮やか!
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                    ハマクマノミ  子供、 青年、 成魚。
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     デバスズメの大群!!   
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 奥のデバスズメを見てください。 手前のも一緒に同じ方向に向かっています
 
普通、このスズメダイは群れていて、一定の所をダンゴになり、右へ左へ、とまとまって泳いでる
 
しかし、この時は、ホースを引っ張っているように一方方向に、何処かを目指し、前へ前へ泳いでいた。
 
それが50m?いや凄い流れに沿っていたから100mくらい有ったのではないだろうか?
 
こんな現象見たのは初めてだった。
 
また、この時のシュノーケル、初めて体験した ドリフトシュノーケル!!
 
凄く流れの早いところが帯状に有って、其処の流れに身を任せ、ただ浮かんで行く訳。
 
二人しかいなかったので出来たのだろうと思う。
 
船は先へ先へと行き、私たちが顔を上げると、脇のもっと早い流れに吸い込まれてゆかぬよう
 
手で、左へ行け、とか、右!とか指示してくれるのだ。
 
実に楽しかった~~~!♪
 
 
ダイビングでは「ドリフトダイブ」って有る。 
 
流れに乗って行き、船は先回りして待っていて、
 
ダイバーは浮かび上がったところで、合図のフロートと言う細長い風船みたいのを上げると
 
船は、其処に来てくれる。と言う訳。
 
 
でも、シュノーケルは聞いた事無いし、やった事も無かった。
 
 
  今回は船一艘に、二人っきりの貸切で本当に楽しいシュノーケル三昧が出来てラッキーだった。
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明日は潜れるかも~。
 
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