2012年02月

(349)【沖で待つ】絲山秋子

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2006年2月20日第1刷発行
2006年5月25日第6刷発行
文芸春秋社
単行本
108ページ(短編2編)
952円
第134回(平成17年度下半期) 芥川賞受賞
 
図書館で借りる
3か月で6刷まで増刷してるんだ!  え~~??!

 
 【勤労感謝の日】
失業した恭子は三十代半ばの独身で、母との二人暮らし。
命の恩人の長谷川さんが勧める見合いに、義理を感じて応じてはみるものの
来たのはやはり鼻持ちならない男。  途中で我慢できず退席してしまう
 
何を云わんとしたいのか、理解でき無いまま読了。
読後感・・・・・良くは無いな~ (-o-) 
 
【沖で待つ】
同じ福岡支社に配属された同期の太っちゃんと私は、恋愛関係ではないが分かり合える間柄。
二人はどちらかが死んだらお互いのHDDを壊して人に知られたくない秘密を守るという約束をする。

ある日太っちゃんは不慮の事故で命を落としてしまう。

彼女は彼の部屋に忍び込み太っちゃんのHDDを壊す。
 
 
彼女が死んだら誰かにHDD壊すの頼むわけよね?
彼女の秘密はチョット。。。  |_ㆆㆀ) ヤバイ
 

芥川賞、わからん。芥川賞の価値がサッパリ私にゃ解りませんのですけど
HDDの壊し方はわかりました(>▽<)
 
糸山氏の著書は「ばかもの」が面白かったので、芥川賞作とは知らずに借りたけど ┐(^-^;┌
 
彼女の作品もう一作位読んでみたいけど、面白いもの無いかな~。

(348)【ふたつの嘘】諸永裕司

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平成2010年12月21日 第1刷発行
講談社
単行本
314ページ
1800円
 
副題が 沖縄密約1972-2010
 
 
1972年、毎日新聞記者だった西山太吉氏が、                     
外務省の女性事務官をそそのかして機密文書を入手したとして、
女性事務官と共に、「国家公務員法違反」(そそのかし)で逮捕された。
  
まもなく、ふたりが男女の関係にあった事が暴かれ、
西山氏が問いただそうとしていた密約の問題はどこかに吹き飛んだ。

 
公表されなければならない国家機密が伏せられ、
                        本来公表されるべきでない個人の秘密が公表された。
 
 
佐藤栄作政権のもとでの見事なまでの「すりかえ」に、メディアも国民も騙された。
 
西山氏はペン折り、表舞台から消えた。
 
結局、問題がすり替えられたまま事件は終息してしまう。
 
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本書は二人の女性を通して沖縄返還の密約を描いたノンフィクションである。
  

    第一部が     「夫の嘘」と「国の嘘」
 
西山太吉夫人の啓子さんの当時の日記を挟みながら話は進む。
 
 
    第二部が     「過去の嘘」と「現在の嘘」
 
情報公開訴訟を戦った弁護士の小町谷育子さんの話。
 
ゴシップになりがちな事件を冷静な目で見、
         情報がどこから漏れたのか?と言う問題にそらすことなく、
                  あくまでも「国の嘘」を明らかにするためのみに終始している。
 

原告の一人として名を連ねた西山氏が、
時として、私情に駆られ暴走しそうな時も、彼女はピシャリとたしなめる
 
それだけに、違う角度から見た「西山」氏という人間像が伝わってきており、
本書は今テレビドラマで放映されている「運命の人」とは、全く違うものになっており、
 
比べ物にならないくらい内容が濃い。
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       この事件良く覚えている。
 「外務省の女性事務官と密かに情を通じ」機密文書のコピーをうんぬん。
 
沖縄返還費用を日本政府が肩代わりするという、日米間で交わされた「密約」の事実と、
その政治責任が、密約をスクープした新聞記者と、 
情報提供者である外務省女性事務官との男女の問題にすり替えられた。
 
 
毎日新聞の記者だった西山氏が外務省の女性事務官から
                            密約の証拠となる機密電信文を手に入れた。
 
女性事務官が機密文書のコピーを持ち出し西山氏に渡してしまった
西山氏は、それを社会党議員 「横道孝弘」 に渡してしまった
 
其の 「横道氏」 は当然、情報元は守るべきで極秘だという絶対条件を承知しつつ
其の鉄則を破り、なんと、国会で其のコピーを振りかざし、カメラの前に晒してしまった。
 

当然、大騒ぎになり、情報元が調べられ、
事務官と西山の関係をつきとめた政府は、これ幸いと話の軸を男女問題に転化してしまった
 
政府の罠にメディアも国民もまんまとはまってしまった訳だ。
 

西山氏はもちろん悪い。 政治家(横道氏)へ、と云えども情報元をバラすべきでない。当然である
西山氏は全国民やマスコミから「女性事務官をそそのかし情報を得た」と言う事で
                                       バッシングを受け。抹殺された。
 
しかし、これを問題と取り上げるなら、バッシングするのは西山氏だけであろうか?
 
「女性事務官」も「横道氏」も罪は同じだと思う。
 
そそのかされれば(事実はかなり歪曲されている)国の機密を盗み出すか? 
女は常に受け身、と考えてしまう当時の国民やマスコミの思い込みが事実を捻じ曲げている 
女性事務官にかなり不当な証言をされても西山氏は一切それに対して反論しなかった
 
             真実はかなり違ったようだ。
  
また、この話のどこにも 「横道考弘」 のルール違反の事とを誰も取り上げてない。 
彼はつい最近まで国会議員であった筈。 今はどうしているのか定かではない。
 
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一昨年、インターネットの記事で、
                「沖縄密約機密漏えい問題裁判で西山氏勝訴。」という記事を読み、
 
              今頃?!と驚いたものである。
 
 
2010年12月。この沖縄密約に関する日本の外交文書が公開され、
                                 ようやく密約の存否に関する結論が出た。
   
 
あれほど厚かった国の「嘘」の壁が40年かかってようやく崩れたのである。
 
アメリカではとっくに、この件の情報公開は終わっており、白日の下にさらされていながら
当時、まだ国は「知らぬ存ぜぬ」を通してきたのである。
 
 
この件に関係した多くの人間は(政府関係者も)苦悩し、生涯重い荷を背負う事になったのだ。
 
西山氏は現在80歳を超えているはずである。

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西山氏が報道の一線を離れ、30年近い2000年
 
沖縄返還に至る日米両国政府の交渉の実態と最終結果を詳しく記録した米公文書のつづりが 
新聞社により公表された。(西山氏は毎日新聞。この時公表したのは朝日新聞)
 
             密約が有った事は明らかになった。
 
その頃、西山家に一本の電話がかかる。
    
「作家の山崎ですけど」     そう聞いて西山氏は同性の、元同僚と勘違いした
 
   「最近どうしているんや」
 
「私、作家の山崎豊子よ。『大地の子』や『沈まぬ太陽』は読んでないの?」
 
   「よんじゃおらんよ、」  山崎にとっては屈辱的な返答だったろう
 
それでもぜひ書かせてほしいと云った。 れが、2009年に発行された「運命の人」である。
 
それより前に澤地久枝氏が1974年に、「密約―外務省機密漏洩事件」を執筆している
 
彼女の作家として2冊目の著書である。
 
「運命の人」はドラマでは見ているものの原作は読んでいない。
 
澤地女史の、「密約―外務省機密漏洩事件」を読んでみたいと思う。

瀬戸内海橋巡り② 高松―佐多岬―道後温泉

  本日のコース
土庄港―高松港―高松市内―高松西IC―高松自動車道―大洲IC―▽197号ー県道256―
佐田岬―(昼食)―256号―197号―▽378号―松山自動車道―松山道後温泉  

                (本日の走行距離 500km)
 
  今日も朝食を摂らず、早朝出発。 まだ暗い土庄港。 人影もまばらだったが、徐々にやってきた
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車が来たと思ったら人を下して走り去り・・・結局このフェリーに乗った車は2台。
 
通学の学生が多かった。昨日の船は晴れた日中で暖かかったが、今日は寒くて寒くて (´□`)マイッタ
 
           もうすぐ陽が昇る。  今日もお天気!?
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   高松港で下船。朝食をとりたいけど、流石に朝早くてどこも開いて無い。
 
   昔、宇高連絡船の船着き場で立ち食いした さぬきうどんの味が忘れられず
   今回も高松でうどんを食べたい、と、探したがうどんや自体が少ない。
                 ラーメン屋は目につくのだけど~
 
 
           駅前のタワー展望台に登って市街を一望してみる。 
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       高松インターに入るまで、街道沿いを走れば1軒くらい開いているだろう・・・
 
          有った~~♪。 やっとありましたよ。 待望のさぬきうどんッス。
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      トッピングは好きなものを自分で取る。 夫はかき揚げ、 σ(~~~、)はケツネやで~
 
                  (ー`´ー)ウ~ム・・・・ダシが殆ど効いておらぬの~
 
  宇高連絡船の船着き場で食べたうどんは、ダシが半端じゃなく旨かったんだけどネェ・・・
  麺もイマイチかな?    かき揚げはカラリと揚がって美味しかったです
  まぁ、でも朝食食べられたという事で○かな? ごっつぉさんでした<(_ _)>
 
 
     高速を走っていると、県、市、町、村の境界に↓のような看板が有ります
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其の地域を代表するモノの
イラストが描いて有り
下に市町村の名が入ってます
 
 
ここからは戸部市に入ります
「砥部焼」が有名ですね
 
 
 
 
 
 
伊予市・・・これは??
なんでしょ???
 
たいてい
ひと目で判るんですけど
これは、わかりましぇ~ん
 
 
 
 
 
 
 
最近は市町村合併で
このように市町村の名前を
隠してるものが多いです
 
「石鎚山」と「お遍路さん」ですね
 
この辺も市町村合併でめまぐるしく
地名が変わっているのでしょうか。
 

  名が知れ渡っており、慣れ親しんだ土地の名が消えてしまうと云うのも寂しいです。
 
       伊方町観光センターに寄ってみました。 
      見晴らし台から下をのぞくと、青い屋根が見えるのは、多分「伊方原発」かな?
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               周囲には「原発」の文字は見当たりません。
 
 
       佐多岬。  多分灯台まで行くには車を置いてかなり歩かなければならない筈。。。。  
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        お昼間近、街道沿いを走っていても何も見当たらぬ
 
「活き魚料理・清海」この先の「三崎港」あたりに有るらしく、
                            大きな看板がところどころに有ったのでここへ行こう!
 
有った!三崎港フェリー乗り場のバス停の真ん前    入ってみたら・・・・

カツ丼、とか、海老フライとか、カレー位しかできません。って!!!え~~!うっそぉ~
 

ずーっとあちこちに「新鮮活魚料理・清海」って派手な看板出てたじゃない?目当てに来たのに・・・
 
「この辺でお刺身食べられる所有りませんか?」   「少し先に「大岩さん」が有ります。」
 
        其の「少し先」の遠いい事!    「民宿大岩」    
 
     
        とっくにお昼も過ぎて、やっとあり付けると思ったら。30分くらい待たされた挙句・・・
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出来るものが刺身定食か
   網焼き御膳。時間がかかる(泣
 
「海鮮丼みたいなの無いんですか?」
  奥に聞きに行ったきり出てこない。
 
またかなり待たされて、
  どうぞ、と座敷に通されました。
 
出されたのが    →→→
 
小付のタコの南蛮漬けみたいなのは
とてもじゃなくちゃ硬くて食べられぬ
余程甘酢に長く漬けてあったんだろう
 
丼の魚は生臭く、残しました。
 
民宿って安くて美味しいと思っていたけど、ハズレでした (TεT)
 
気を取り直して出発!
 
        (調べてみたらこの民宿は地元では美味しくて有名らしいんですけど。。。。)
 
駐車場で休憩をとっていた漁師風?のオッちゃんに「灯台見えるとこありますか?」と聞けば
 
「オオ~あるある、ずーっと登っていくと展望台が有るからそっから見えるよ」ニッコリ
 
 
 
 佐田岬灯台が見える展望台までは細い道をクネクネ走ります。
 
急傾斜のみかん畑の前には道路にペタリと座ってみかんの仕分け作業をしている人々がいます
 
今はどんな種類のみかんの収穫なんでしょうかね~
 
 
中腹の民家から主婦が一人、また一人・・・パラパラ出てきて歩いてゆっくり山を登っていきます、
 
この先に何が有るんだろう? 
 
彼女たちを、追い越してかなり走ってあったのは、 野菜等を少し積んだ軽トラ
 
まさか、ここまで買いに来るの???  違うよね~、どっかの家で集会かなんかあるのかもね^^;
 
 
 
はい!展望台につきました!  確かに灯台見えます(;´・Д・)  ケド。。。。。↓チッチャイメージ 3~ (ノ_< ;)
駐車場から、「徒歩20分」、とありました。  ここから見るとかなりアップダウンが激しそう・・・
 
時間的にも無理っぽいので、ここから見て、ハ~イ見学終了!
 
眼下の海岸はおっそろしい位、綺麗。  透明度凄いんだろうなぁ~
 
 
さぁ!帰ります!    今来た山道を下ってゆくと、
 
途中、あの 野菜などを積んだ軽トラの周囲を年季の入った主婦が囲んでおり
 
その中に先ほどの主婦らの顔も見えました。 やっぱり買い物の為に山道を登ってたんだ (゚ロ゚;
 
 
全国旅をして集落を通りますが、まず人影を見ない。尋ねたいことが有っても人がいない。
 
ちょっとした町に入っても歩いてる人は見かけない。
 
物を訪ねようとしたらスタンドか、人影も無い店舗に入り「すいませーん!」と声を張り上げなければ
 
人は出てこない。
 
そんな事を思うと、この界隈の人が多い事!山道でさえ行き来する人がいる 
 
みかんの収穫時期だからかな? 「ここは人口多いんだね~」等、感心しながら山を降りました
 
 
来た道197号を戻りますが、この区間は悪路として知られており、
 
四国では197号線の事を数字の語呂合わせで 「イクナ酷道」 と呼ばれていたそうです
 
今は、それほど酷くはなく、メロディーラインもあって通過すると「みかんの花咲く丘」の曲が聞こえます。
 
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378号に入ると右手には菜の花、左手は海。夕日が美しいらしく「夕やけこやけライン」と言う名がついてます 
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本日の宿泊は道後温泉に到着。明るいうちに着いて良かった! 
        「道後温泉本館」。別名「坊ちゃん温泉」。国の重要化財に指定されています。
イメージ 6              3000年の歴史を誇る日本最古の温泉。と言われています。
 
 皆、手に小さなカゴを下げています。中にタオルと石鹸がはいっており、これを持って湯めぐりをします。
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「道後温泉本館」は、共同浴場番付では、東の「湯田中温泉大湯」と並び西の横綱だそうです。
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この日は平日だったので、すいている方だ、と聞きましたが
                            
それでも中に入るとちょっとしたイモ洗い状態、 でも肌にまとわりつくようないいお湯でした。
 
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何やら賑やか~人垣を分けて覗いてみると・・・・卓球大会の前のイベントをやっていました
                                   甘酒や、みかんの振る舞いも有りました。
 
本日の宿泊は「花ゆづき」 思ったより立派な建物・・・・
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ホテル選びは、
インターネットのクチコミを参考にします
 
いい加減な口コミも有りますが、
「じゃらん」のクチコミは、
インターネットで予約して泊まった人でないと投稿できない仕組みになっているので、
ある程度は信用できます。
 
 
このホテル、思っていた以上に従業員も
建物の中の雰囲気も良かったです。
 
食事は、
お米から炊く鯛釜めしが抜群に旨く、
伊予牛もとても美味しかった!!
大満足です。
 
 
お風呂も「サイコー」だそうです  「だそうです」と、云うのは、私は入っておりませんのデス (>へ<)
 
先ず、食事前に、道後の「坊ちゃん温泉」に入り、
 
就寝前に「花ゆづき」の地続きに有るホテル「葛城」の方に、入りまして、
 
当ホテルは、「朝ぶろ」と思ってましたが、あまりにも寒く、湯ざめしても、と思いやめておきました。
 
夫は「葛城」よりグーンと (・∀・)イイ!と申しておりやした。
 
 
   私が入った「葛城」のお風呂デス。  あまりいい趣味とは思えませぬの   (*。_。) (。_。*)
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   道後、2回目ですが今回の方がゆっくり出来て大満足です。
 
   明日はいよいよこの旅のハイライト「しまなみ海道橋巡り」で~す (⊹^◡^)ノ♪
 
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(347)【切れた鎖】 田中慎也

 
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2008年2月25日発行
新潮社
単行本
146ぺージ
1400円
 

図書館で借りる


【不意の報い】、【蛹】、【切れた鎖】、以上3編収録
 
「切れた鎖」は 第21回(2008年) 三島由紀夫賞受賞
BOOK」データベースより
海峡を目の前に見る街に代々続く旧家・桜井家の一人娘梅代は、
出戻ってきた娘の美佐子と、幼稚園児の孫娘の三人で暮らしている。
古びた屋敷の裏にある在日朝鮮人の教会に、
梅代とその母はある憎悪を抱え、烈しく嫌ってきた―。
   【不意の償い】
結婚前に妻と最初のセックスをしていた時、
                二人の両親が勤めていたスーパーが火事になり  両親4人が死んだ。

其れが彼の罪の意識となり、常に付きまとい妄想に陥る。
 
ちょっと考え過ぎ、病的、有りえないなぁ。だから小説か~~(苦笑)
 
 
  【蛹】(さなぎ)
話は強い父親から始まって、、
地中で蛹化するカブトムシの思いを述べている。
なんだか引きこもりに近いらしい著者自身を描いているのかな?と思えちゃう。
このカブトムシには何も起こらない。
 

  【切れた鎖】
本州最西端の赤間関に住む傾きかけた名家の祖母梅子、
母梅代、娘美佐子、孫娘美佐絵の 4代の女性の話。

隣に韓国人たちの通う教会がある。
この教会を憎悪しながら梅子は韓国人に対して、犬、偽人間、などと罵っており、しっし!と追い払う。
それを見て嫌だと思いながら気がつけば娘らも同じ事をしている ――
差別と憎悪の連鎖の話。
 
娘、梅代の夫が教会に出入する女性と関係を持っていることを知った母梅子は、
彼が帰宅すると風呂場に引きずり込み、裸になれと命令する。(素直になる男も男だ―――)

梅子は彼の全身に塩をなすりつけタワシでこすり洗い清める。。。
この後男は次の日出て行たまま帰らない。(あったりまえじゃんね)
 
梅代の娘の美佐子は顔がいいだけの男と同棲し、子供(美佐子)を生むが、
別れて実家に戻るが毎日男を求めて外出する。
 
美佐子の娘の美佐絵は、隣の教会を憎悪しながら暮らす梅代と二人家に取り残される。。。
 
 
タイトルの「切れた鎖」。
鎖は隣の教会の男が腰に下げている鎖。  梅代はこの音に悩まされ、妄想に至る。
 
このタイトルの鎖。深く考えれば「連鎖」を切る。という事か?
 
な~~んだか訳わかんない。田中慎也さん屈折してる?

3作とも、良さが解らない。      \(-o-)/ギブアップっす

(346)【火群のごとく】 あさのあつこ

 
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「火群」=(ほむら)
 

2010年5月15日第1刷発行
文芸春秋社
単行本
335ページ
1500円
図書館で借りる
 
 
「BOOK」データベースより
凛々しく、まばゆい、一瞬の季節。
何者かに兄を殺された林弥は仲間とともに運命に立ち向かう。
葛藤を越え成長する少年剣士たちを描く傑作。

小国、小舞藩の同じ剣術道場で学ぶ3人の少年と、途中から登場するもう一人の少年たちの話。

新里林弥
次男であるが、兄の結之丞が何者かに殺され、新里家を継ぐことになっている。
剣の腕は天性のものと亡くなった兄仕込みのもので道場では叶うものなしの腕。     
兄嫁に淡い恋心を寄せている。母、妹、がいる。
 
上村源
父は江戸詰大納戸頭として国もとを離れており、父が帰り次第元服の儀を執り行う事になっている
いかつい顔をし、遊女屋へも出入り、豪放磊落、大雑把な性格で剣の腕は八方破れ的。
 
山坂和次郎
常に冷静沈着、精神的には3人の中で一番成熟しており、
剣の腕も道場では「後生恐るべし」と言われた剣才の持ち主。  林野と源吾の喧嘩の仲裁役。
 
樫井透馬
3人の通う道場に突然現れ、ひと騒動起こし、それをきっかけに3人行動を共にするようになるが
実は彼こそこの物語のキーマンともなる。

養父母の居る屋敷より、居心地の良い林弥の屋敷に居候するも彼には全く遠慮がない。
江戸家老の父親を持つが、彼は妻妾腹の子で、
幼い頃は街の商家の倅として育つが、家老である父親が剣豪の「新里結之丞」(林野の兄)に剣道                                                     指南を命じた。 
透馬は結之丞に剣の道の他にも多くのものを授かり、彼を師と仰ぐ。
 
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兄は殺されたものの、良き友に恵まれ月日と共に平穏の時が訪れる
人は回復する。
以前と同じにはならない。
兄が生きていた頃には戻れないのだ
失われたものはあまりにも大きい。だれも埋めることはできない
それはわかりきっているほどにわかっている。
それでも人は回復する。生きている限り、生きていかねばならない限り
笑えるまで回復するのだ。強いものだと思う。
 と、林弥は思う。

彼は、美しく賢く新の強い嫂に密かに思いを寄せながら、透馬と切磋琢磨し、剣の道を磨いてゆく。
 

話はお家騒動に絡む権力争いであり、多くの謎が残る「林也」の兄の暗殺事件をからめ、
有る事をきっかけに大きく少年たちの運命が変わってゆく。
 

14歳。元服前の少年の純粋さと大人顔負けの剣の腕を持ち、
身辺に起きる出来事に対しての洞察力、肝の据わり方などは、一人前の彼らである。
 

終盤になり、兄が、透馬にとっては師が、何故暗殺されたのか?、が 徐々に解明され、
透馬はあの手この手で、謎を探ってゆくが、それに絡み、「源吾」の運命も大きく変わる。 
 
     一番呑気で奔放だった源吾の人生は、彼の関係無い所で、彼の命まで奪う。
 
「源吾」の遺した手紙
今、元服の式を終えた。 自分で言うのも何だが堂々たる若侍ぶりだ。
この姿を お前たちに見せてやれないのが実に惜しい。
林弥から1本も取れぬままなのも残念だが、いたしかたない。

永の別れになるが達者で暮らせ。 樫井には食い過ぎるなと伝えてくれ。
すまぬが同封の書状を「あけ屋」の明蝶(遊女)に渡してくれ。  よしなに頼む。
 まるで遊山の誘い文句のような軽い文だった。
        
 しかしそこから文は転調し、文字が掠れる。
佐和が哀れに候。ただただ哀れに候。   (佐和は妹)
 
屋敷に押し掛けてきた槍組に、父親は刀を抜いて押し返し、源吾も抜刀し加勢する
門の閂を閉めさせ、源吾は切腹、父親が介錯をし屋敷に火をつけた。
母娘は隣の部屋で自害した。
 

一番お家騒動などにかかわりを持たず、
面倒なことは嫌い、細かい事は放っておけ、と云う源吾が真っ先に命を絶った。 

このくだりが泣かせる。
 
                   (ノ_-、)  (ノ_-、)  (ノ_-、)
 
表紙の少年のイラストの少年の顔の表情が、読む前は???と思ったが、
 
読後、改めて見ると、     前髪があり、目は鋭く口は真一文字。   林弥だろうか?
 
読む前と後のこの表紙のイラストの少年の顔、見ていて飽きなかった。
 
 
    あさのあつこ氏の本は初めてだが読みやすい。青少年向けなのかもしれない。
 
「バッテリー」は読んでないがテレビドラマでチラリと見、 「ふ~ん、これがベストセラーね」・・・ 
面白いとは思えなかった。
 
テレビドラマとなると、脚本や配役によってもかなり印象が変わるしね。 
考えてみれば、今まで本を読んでドラマ化されたものを見て満足したものは少ない。
 
そう考えると、「バッテリー」読んでみようかという気にもなる。
 
読みたい本が目白押し、いつになるか解らないけれど。                          

瀬戸内海 橋めぐり① 赤穂城址・小豆島・寒霞渓・尾崎放哉記念館

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今回の旅は名付けて  【瀬戸内海しまなみ海道橋めぐり】 小豆島へも行きます。
 
  2月19日
夫の帰りを待って夕方出発し、浜松のビジネスホテル泊。
 
   20日  本日のコース
浜松――豊田JC――伊勢湾岸自動車道――東名阪――新名神――吹田JC――中国自動車道
 ――神戸ICT――山陽自動車道――赤穂IC――赤穂城址――日生――大部港(小豆島)――
 寒霞渓――三崎の分教場――尾崎放哉記念館――エンジェルロード――小豆島国際H 泊
                                         (本日の走行距離400Km)
 
朝食が付いているが、朝の時間は貴重なのでが食べずに6時に出発
明けきる前の東の空は、かすかにオレンジ色
其の上はまだブルーで、糸のような白い三日月が昇っていました
 
綺麗な空と月、早起きは3文の得~ (⊹^◡^)
 
         浜松 ―― 豊田JC ―― 伊勢湾岸 ――
 
伊勢湾岸道路の名港塩見あたりを走っていると、何やら焦げ臭い・・・
 
                   ん!!車両火災発見!
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  横を通った時は、ボンネットの左側あたりからものすごい勢いで炎が噴きあがっていました
 
(*゚Д゚σ  この人たち、もっと離れて無いと危ないんじゃない!?  今考えてもゾッとします。
 
  この後の交通ニュースでは、「火災発生で渋滞」。 タッチの差で巻き込まれるところだった
 
 
   朝の空、鳥の出勤です。 この、お行儀の良い鳥はなんでしょう? 首が少し長かったかな?
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ドライブをしていると特に朝、このような鳥の群れに会います

思わず口ずさむのが~~ ♪竿になりぃ~カギになりぃ ~渡る雁ぃ~おもしろや~♪~( ^0^)♪
 
                       東名阪――新名神―― 
 
反対車線で事故。!!白い乗用車が道路と直角、ど真ん中に止まっている! 

道路を通せんぼする形。。其の近くにもう一台の乗用車、少し行くと、ナント! 
                              反対方向を向いて止まっているトラックが!
 
こりゃ、事故ったばかりだわ! まだそれほどの渋滞にはなっていないし、パトカーも来ていない
          あれ、発煙筒炊くか、△置くか、しないと危ないし、
                   反対向いてるトラック、ハザードも付けて無かった・・・
 
後続車たまげるでしょうね、大事故にならなければいいけど。。。。
 
      吹田JCT――中国自動車道――神戸JCT――山陽自動車道――赤穂IC。
 
   赤穂城址
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赤穂城は、1648年(慶安元年)から13年の歳月を費やした城郭建築の中でも珍しい海岸平城です。
 
現在は櫓門の本の丸門、厩口門、本の丸御殿の基礎が復元されているだけですが
国の史跡に指定され、庭園は名勝に指定されており、周辺では現在でも発掘調査が行われています
 
 
 三の丸にある 大石神社 には、大石内蔵助良雄を始め47義士と、萱野三平が主神に祀ってある
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早水藤左衛門・萱野三平の両士が、
 主君による刃傷事件の凶報を持って、江戸から早かごを飛ばし、ようやく赤穂に到着した時、
 「ひと息ついた。」と伝えられる「息継ぎ井戸」や、義士宅跡など、見どころは沢山あるのだけれど 
5万3千石の外様小藩にしては城の規模が大きく、敷地が広すぎて、全部見るには時間が足りない
 
                今回は端折る事にした。
 
日生港から小豆島へ渡るフェリーへ乗るのだけど、街道沿いに、「カキオコ」の看板を沢山見た
「牡蠣おこわ」かと思ったら、「牡蠣お好み焼き」。 B級グルメで話題になったらしい
丁度お昼だし、ぜひ食べたいんだけど、出港まであと20分位しかない
 
フェリー乗り場のオジサンに聞けば、「今日は五味の市が休みだから、時間的に無理だなぁ」。。。。
 
切符売を買いついでに尋ねたら、
「裏手に行くとお好み焼き屋さんが有るから、『次のフェリーに乗るんだけど』と頼めば間に合うかも」
 
ダッシュ~~! ε=ε=ヘ(*^・ェ・)ノ  これを逃すと昼食抜きになるかも !
店をのぞけば満席だぁ!!
諦めたけど、聞いてみた。  「間に合わせますよ」♪ 綺麗なお姉さん二人でやっているお店ッス
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               間に有った~~ ε=( ̄。 ̄;)フゥ~~
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      日生―― フェリー・オリーブライン乗船。    穏やかな海
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    思ったより大きなフェリー、がらんとした船内駐車場?には車が4台。客もまばら
    ゆっくり、「かきおこ」の昼食。  牡蠣がタップリ入っていて んまかった~ σ(~~~、)
 
 
       小豆島大部港で下船 ―― 「四方指展望台」より寒霞渓 を望む  
 
「寒霞渓」の立派な石に刻まれた文字の所に建つと石の階段が有り、その上のは青空しか見えない
 
                           そこを登ると
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      写真では、このダイナミックで、個性のある風景をお伝えできないのが残念!!!
 
行く先々でこの二人連れと会い、彼女が我らの車のナンバーを見たらしく、「横浜からですか?」
 
彼女も横浜の住人だけど、半年前に仕事でこちらに来た、と言い、聞けば住まいは近い
「横浜に帰ったら○○駅の××ミュージアムで小豆島展?(だったかな?)をやっているので
ぜひ見に行って欲しい。」 と言う事でした。 結構美人さん。彼氏もイケメンだったけど
 
車が公用車。。。。いいのか~?こんなところで島めぐりしちゃってサ~。 あ、でも、仕事かもね^^;
 
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寒霞渓」とは、  
 
火山活動により堆積した疑灰角礫岩などが度重なる地殻変動により、水や風に侵食され、
奇岩や岸壁が形成されており、日本書紀にも記述がある奇勝で、国の名勝に指定されている。
 
また、瀬戸内海国立公園を代表する景勝地であり、「21世紀に残したい日本の自然100選」にも選ばれ日本三大渓谷美や日本三大奇勝の一つに数えられる。
 
                   ここで゚Д゚)!凄いもん見っけ!!!♪♪
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三等三角点 前ノ田
 ここに設置されている標石は、あらゆる測量の基準となっているたいせつなものです。
標石には小豆島の石が使われています
  東経134度16分58秒   北緯 34度30分45秒   標高776,10メートル
 
6月3日は「測量の日」
国土交通省 国土地理院 平成6年設置
数値は世界測地系座標値です 平成14年
 
と刻まれています。 
 
新田次郎の「剱岳 点の記」を読み、いつか見てみたいと思っていました。 ラッキー~~~♪
 
   今日の宿泊地 土庄港が見え、そのまえのエンジェルロードもかすかに見える
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展望台の山を降りる道路からは、寒霞渓が色々な角度から眺められ、
近くから見上げる寒霞渓は更に迫力が有る
 
      紅葉の季節はさぞ綺麗だろう。。。。人出も多く車も渋滞するんだろうなぁ
 
 
              二四の瞳・岬の分教場
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壷井栄の小説「二十四の瞳」の舞台となった田浦分校
 
明治35年(1902)田浦尋常小学校として建築された。 校舎で2教室と教員住宅を含んでいます。
その後、明治43年から苗羽小学校田浦分校として使用され、昭和46年(1971)閉鎖されました。 
近くには、壷井栄文学館や、二四の瞳映画村などが有りましたが、まだ寄りたい所が有り、
日の入りまでにホテルに入りたいので、ここは次回に取っておく事に。(今度とオバケは出ない??)
  

そう言えば、最初に小豆島だったか淡路島だったかに来た時、旅館で食事をしていたら

襖が少し開いた隣室には、足を投げ出し、疲れたような感じの女の子が壁に寄りかかり座っていた

夏目雅子だった。 後で考えたら「瀬戸内少年野球団」の撮影に来ていたのかも。。。。
 
 
 
  小豆島には、醤油会社工場が沢山あり、見学をさせてくれるところも多い
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尾崎放哉 記念館   この旅の大きな目的の一つ。
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吉村昭著の 「海も暮れきる」  尾崎放哉を描いた物語を 先日読み
破滅型の放浪の俳人、彼が晩年過ごした小豆島の庵に是非来てみたかった。
 
彼が人恋しさに病身の身を押して裏山に登り、日長一日港を眺め、訪ねてくる人を待ったという
其の山にも登ってみたかった。
 
 
尾崎放哉は大正時代の俳人で、鳥取一中、一校、東大法学部を卒業したものの
酒癖が悪く、会社勤めに3度失敗したことで、実社会で暮らすことは不可能と自覚。
無一物となり、修行場に入り、托鉢、労働奉仕読経の日々を送るが
寒さと労働奉仕の厳しさに肉体の限界を感じ、知恩院塔頭・常称院に入る。
 
だが、本来の酒癖の悪さから泥酔し、わずか一ヶ月で追い出された。
 
先輩、荻原井泉水の世話で小豆島の井上一二を頼り来島し、
西光寺の住職の好意で 「奥院南郷庵」の庵主として居住。

亡くなるまでの8か月間、自由俳句200予句を作った。

この小さな庵の小窓から海を見暮らしていたが
患っている結核が悪化し、孤独のうちにひっそりと息を引き取る
 
それまで看病をしてくれた近所に住む老夫婦が死に水を取った。
 
 
尾崎放哉については読書欄で、つい最近取り上げたが、まだまだ興味が尽きない
今回の旅の目的の一つは、この庵を見学する事でもあった。
放哉の墓は、この大きな墓地の端の高い所に海に向かって建っている
 
ここは、5時前に入館しないと入れないので、見たい所を方々端折ったが、間に合って良かった。
 
この、直ぐ近くが宿泊ホテルなので、チェックインだけしておいた
 
ホテルの前には エンジェルロードがあり、夕方だと云うのに観光客の姿が有った
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  砂浜で繋がった4つの島へは、1日2回の引き潮の時だけに現れる砂浜の道を歩いて渡れる。
 
まだホテルに入るのはもったいないので少しドライブ      (*。_。)   (。_。*)
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                       言葉は要らない (´∀`人) 
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小豆島国際ホテル泊
 
部屋からは、暮れゆくエンジェルロードが見える。 さすがに人影はない。
食事はイマイチだが流石にそうめんは旨い!
ただ・・・めんつゆのダシが効いておらず、塩味が強いのがもったいない。
 
小豆島は温泉も豊富

満天の星空を眺めながら露天風呂にゆっくりと入り今日の疲れを落とす   (。-ω-) z z z.......
 
                                              ―― つづく ――
明日は佐多岬方面へ。

(345)【汝ふたたび故郷へ帰れず】飯嶋和一

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1989年1月30日初版発行
1989年4月20日再版発行
河出出書房新社
単行本
233ページ
1240円
 
 
図書館で借りる
 
「BOOK」データベースより
故郷とは、人に何をもたらす場所なのか?
「読む者をリングに立たせる」と言われた迫力満点のボクシング小説でありながら、
人と風土との関わりを深く見つめた傑作-故・江藤淳氏が選後評で
「いつの間にか引き込まれていた」と語った、 第25回文芸賞受賞作『汝ふたたび故郷へ帰れず』
主人公は才能にも体格にも恵まれたボクサーで、順調にランキングを駆け上がっていたが

思うようなカードを組んでもらえず、酒びたりの日々を送り、ついには酷いアル中になり
                                   「修理工場」と呼ばれる施設に送られる。
 
そこで何とか心身共に健康な自分を取り戻すが、ボクシングへの情熱は消えた。
 
 
彼は夢を失いトカラ列島の宝島へと向かう。  彼の生まれ故郷だ。
ここで恩人の死を知る事になり、 再びボクシングへの情熱に火が付く
周囲の人たちに助けられながら、ボクサーとして肉体を鍛え直し
良きトレーナーに出会い、リングの上に上がり試合をこなすまでを描いている。
 
 著者の描写の細かさ、時としてまだるっこしくなるけど
リアリティーがあって、自分がボディーを打たれた様な気になって、思わず顔をしかめたくなる

登場人物も一人ひとりが魅力的に描かれ、ボクシングにあまり興味がない私でも楽しめた。
 
飯嶋和一氏の著書は「雷電本紀」を読んで、これが2冊目だが、実に丁寧。

この著者の作品は時間が有る時に腰を据えて読んだ方がよさそうだ。

本日のアド街ック天国

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久しぶりに、新聞のテレ番案内を見ていたら、「世田谷の豪徳寺」と言う文字が目に飛び込んできた。
 
 
       ぎっしり細かく組み込んである、「番組表」など、いつもは面倒で見ないのだ
 
           番組選択は夫の役。私の好きそうなものが有ると、教えてくれる。
 
    テレビは夫のもの。2台ノテレビを器用に操って同時に見ている。  σ(-o-)ほとんど無関心。
 
 
世田谷は生まれてから19年間住んだ所である。
 
近くには税務署、区役所、保健所、国士舘大学、松陰神社の他、歴史上ゆかりの寺院などが多い。
 
豪徳寺は、通っていた小学校の近くに有り、帰りに寄り道をし、遊び呆けた所である。
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今でこそ、「招き猫の寺」として名前も多少知られてきたが
 
         私の子供の頃は「招き猫」と言ったって世間では、「豪徳寺」とはまるで結びつかないし、
 
                                                         其の謂れを話してもだれも信用してくれる人もいなかった。
 
 
 
通りから山門への参道は、両脇に松の木が有り、少し坂になっていて雰囲気が有る
勿論舗装などはされておらず、時代劇の撮影が良く行われていた。
 
 
境内の隅に(寺の隣だったか定かではないけど確か門をくぐったところに家は有ったと記憶している)
友達の家が有り、良く遊びに行ったが、有る時、突然の雷雨となり、すぐ近くに落雷が有り、
恐ろしい思いをした事が有ったが、其の時は、この招き猫の詳しい由来は知らなかった。
 
 
ここには、桜田門外で暗殺された 「井伊直弼」の墓も有る。
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豪徳寺の招き猫の謂われは――寛永10年(1633)に遡る。
弘徳院と言われたこの寺は当時はかなりさびれており、
          僧侶は、一匹ののら猫に乏しい自分の食物を割いて分けて可愛がっていた。
 
ある日、彦根藩主である、井伊家の二代当主、「直孝」 が鷹狩りの帰りにこの近くを通りかかり、
山門近くの松の木の根方で休憩を取っていたところ、
                          門前からこちらに向かって手招きをする猫がいる。

めずらしく思い寺に入ると、にわかに空は雨模様、
    いっとき この寺で雨宿りをすることになった 間もなく、みるみる暗雲が天を覆い、
           すさまじい雷鳴が轟いて、つい先ほどまで休んでいた松の木に雷が落ちた。

危ういところで難を逃れた井伊直孝は、これを縁としてこの地を下屋敷に拝領することを願い出た 。

そして、寺は井伊家の菩提寺、曹洞宗の寺院として再興され、広大な領地を寄進され、
                             立派な伽藍が整備されることになった。

 以後、通称猫寺と呼ばれるようになり、
                  その猫が死ぬと住職は猫の塚を建てて懇ろにこれを弔った。
 
その猫の姿を写して祀ったのが、現在の豪徳寺の「招福猫児」(まねぎねこ、招福観音菩薩立像)だ。
 
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7歳くらいだったろうか? 「4月8日の花まつり」 の日には、母から針と糸を持たせてもらい、
甘茶をいただきがてら、地面に散った桜の花びらで首飾りを作った。 幼いころの思い出である
 
「はなまつり」の文字を見ると 豪徳寺の桜吹雪を思い出す。
 
              もう、昔々の話で、今は面影も無いと思いうけど。。。
 
 
豪徳寺の裏に行くと、「秘密基地」が有り、一般の人は殆ど入ってこない窪地みたいなものが有って
日当たりが良く、枯れ草の上に座っていると妙に心が落ち着いたものだった。
 
 
には、当時「城山」と言っていた、空き地が有った。  今思えば「空堀」だったけど、
赤土の谷間があり、かなりの急坂で幼い子は駆け降りるには、チト勇気が要ったものだった
 
駆け降り、その勢いで反対側を駆けのぼり・・・
小さい子は緩やかな所を探し、少し大きい子は一番高い所から、得意になって駆け降りる、
 
今でこそ「世田谷城址公園」と言って、整備されているらしいけど、
 
その頃は樹木のおい茂る、ただの小山がある空き地にすぎなかった
 
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だが、そこは初代の吉良氏のお城であり、
     今では、「歴史公園」として「東京都指定文化財」にも指定されてるし、
                「世田谷百景」にも選ばれており、濠跡は石積みがされている。  
 
                   昔の面影は無い。
 
 
 
また、我が家の近くには「松陰神社」が有る。
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吉田松陰が安政の大獄で刑死した4年後の文久3年(1863年)、

高杉晋作など松陰の門人によって小塚原の回向院にあった松陰の墓が当地に改葬され
明治15年(1882年)門下の人々によって墓の側に松陰を祀る神社が創建された。
 
 
今は、松下村塾を模造した建物が有るそうだが、
私が、隠れんぼや、鬼ごっこなどして遊んだ頃は 何も無く、社殿裏の高台から見る景色は抜群で、
小学生の時、夏休みの宿題の写生はここから見える景色を描いたのを覚えている。
 

吉田松陰の50年祭に際して寄進された26基の燈籠には
伊藤博文、木戸孝正、山縣有朋、桂太郎、乃木希典、井上馨、青木周蔵などの名前が刻まれており
頼三樹三郎、広沢真臣らの墓もある。。。。 らしい (^^;)ゞ
 
 
子供の頃、  夏の「度胸試し」に行った墓はどうも、これらのお墓だったのか???
 
特殊な形の穴のあいている 墓石が有って、
そこに顔を入れると「グォ~~~ン~」と不気味な音が聞こえるのを、
昼間は面白がって、皆で代わる代わる、顔を近づけて聞きっこした
 
其の墓石の前に、昼間人形などを置き、それを夜になって取ってくる。 というものだ。
 
 
この松陰神社は境内と墓地を入れると結構広く、塀に登ったり、墓の間を追いかけっこをしたり。。。
今考えれば何と罰当たりな事よ(苦笑
 
 
墓所の裏を抜けると国士舘大学のグランドに出られるが、
 
其の間にも小山があって、「はげ山」と言って格好の遊び場所だった。

当墓域には現在も、木戸が寄進した鳥居が残っている
 敷地に隣接する形で桂太郎の墓もあるが、案内が不十分なこともあり、参拝者は少ない。と言う事だ
 
夏は盆踊りがあり沢山の夜店が出て賑わった。
 
 
隣の国士舘大学のだだっ広いグラゥンドは、結構自由に入り込んで遊んだ
奥には樹木が茂り草が生えた自然いっぱいの空き地(グラウンド内だと思う)になっていて
クローバー摘みなどして遊んだ。
 
今は建物が密集し、グランドも多分無くなり、多分 当時の面影は全く無いと思う。
 
 
佳き時代、東京とは言っても自然がまだまだ残り、
                        ほど会社も学校も、出入りが厳しくなかった時代、
 
その頃、既に、空き地等 少なかった地域だったが
我が家の前の、保健所のテニスコートで兄のテニスの玉拾いをした覚えもある
 
保健所には塀も門扉も無かったので保健所のコートだろうが入って遊んでいても何も言われなかった
 
当直の職員に誰もいなくなった夜の保健所の建て物内を見せてもらい
全身骸骨の標本?(模造だとは思うけど)なんかも有ったのを覚えている
     (多分小さかった我々を怖がらせたかったのだろう)
 
玉川の花火は保健所の2階から見た事も有った。 あまり高い建物も無かった時代だ。
 
追いかけごっこをして保健所のオープン時間内に検診の列になだれ込み、怒られた事も有った(笑
 
 
今では、会社や役所、学校のグランドに、自由に出入りし、遊ぶなんぞ考えられない。。。。
 
 
豪徳寺も 城山公園も 松陰神社もあの子供の頃の縄張り、どうなっているんだろ σ(゚・゚*)
 
      今日の「アド街ック」見るど~♪                    
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     「松陰神社」 は安政の大獄によって死刑になった 「吉田松陰」の墓であり
 
     「豪徳寺」は、安政の大獄を起こし、吉田松陰を死刑にした「井伊直弼」の寺である

(344)【神様のいない日本シリーズ】田中慎弥

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2008年11月10日第1刷発行
文芸春秋社
単行本
157ページ
1190円
 
 
図書館で借りる
 

 
BOOK」データベースより
野球賭博絡みのトラブルがもとで失踪した父親から少年のもとに葉書が届く。
「野球をやっているか」
父親の願いを適えるべきか、野球を嫌悪する母親に従うべきか。少年の心は揺れる。
そんななか、少年は憧れの同級生とある劇を上演することになった…。
いまもっとも注目を集める作家が描く親と子の迫真のドラマ。
 少年野球の先輩から、「名前が女の子のようだ」と言う事や、
祖父の過去の事でいじめられたのが原因で 自室に閉じこもり、学校を休み、
野球チームを辞めようとした息子に

どのような経緯で其の名前をつけたのか、母親との出会いや祖父の事など、
ドア越しに廊下から延々と語りかける父親。   の話です。
 
 
このシーンのみ。息子が出てくるのかと思ったが、出てこなかった(苦笑

「豚を殺した男」。というのが出てくる。これは祖父の話だが、この辺よくわからない。
名前の由来を話すのに、これほど引っ張るの~?!  苦笑。。。。
 
本書、楽しめたか?と問われれば、、、う、(-ˇ_ˇ-。) う~~ん。。。
 
 
田中慎也氏と言えば、あのインパクトある受賞会見を見れば、どんなものを書いているのかと
興味津津で借りてみたけど・・・
受賞作ではないけれど、この小説も面白い面白くないは別としてかなりインパクトアリ

しかし、私にとっては少々退屈でありました。

他の本はどうなんだろ? 受賞作、読でみたいけど、まだ先になるなぁ~
 
本の内容より、あの会見ですっかり有名になり顔も知られ、受賞作の本は爆発的な売れ行きだという。
 
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彼は、直後、あの会見を 「ダメ、恥ずかしい」 と言っていたが、何が幸するかわからないものだ。

面白いものをたくさん書いて、「ダメではない、恥ずかしくない」会見を出来るような機会を作ってほしいと思う。
 
小説の好みより、彼の素直な人間性を垣間見た私め、今後も注目し、応援したいと思う。

(343) 【影法師】百田尚樹

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2010年5月20日第1刷発行
2010年7月20日第2刷発行
 
講談社
単行本
330ページ
1600円
 
書館で借りる
 
 
 
内容(「BOOK」データベースより)
光があるから影ができるのか。影があるから光が生まれるのか。
ここに、時代小説でなければ、書けない男たちがいる。
父の遺骸を前にして泣く自分に「武士の子なら泣くなっ」と怒鳴った幼い少年の姿。
作法も知らぬまま、ただ刀を合わせて刎頚の契りを交わした十四の秋。
それから― 竹馬の友・磯貝彦四郎の不遇の死を知った国家老・名倉彰蔵(幼名勘一)は、
その死の真相を追う。
おまえに何が起きた。おまえは何をした。おれに何ができたのか。
 
戦も無く刃傷沙汰も滅多にない泰平の江戸時代の話。
 
茅島藩では上士、中士、下士のあいだでは厳然たる身分差が有り、
下士が上士と城下ですれ違う時は草履を脱ぎ路の脇によけ跪かなくてはならない。
 
 
勘一が妹と父3人で釣りから帰り道の出来事だった
 
些細な事から妹をかばい、上士の怒りをかった 7歳の勘一は、死を覚悟した

                  ひたすら謝り許しを乞う父だったが上士の怒りは収まらない。
 
 
    「存分に」  勘一は地面に手をついたまま言った
 
 「おう!」と、上士が勘一に向かい刀を振り上げた時だった 
         
      父はやにわに立ち上がると、刀を抜いた
 
 「上士に向かって刀を抜くか。控えろ」
 
     「子供を見殺しにする親など、おらぬは!」  父はそう叫ぶと、踏み込んで刀を振るった。

 上士は腕を斬られて、刀を落とし悲鳴をあげて逃げた
 
    父は追おうとしたが、不自由な足が泥に取られて滑り、起き上がろうとしたところを、
 
    腹を中間に槍で突かれた。。。。。
 
 
気が付くと勘一は、見知らぬ武士の家の前に立っていた。
 
何が起こったのか・・・   自らの不用意な一言が取り返しのつかない事になった
 
    父は死に首を取られた。
 
涙がこみ上げしゃくりあげると、  「泣くなっ!」正面に勘一と同じ年格好の少年が立っていた
 
  「武士の子が泣くものではない」少年は勘一の眼を覗きこむように見、

    「お前の父は3人を相手に奮闘した。誠の侍だ。其の侍の子が泣くな」

         この少年こそ、以後刎頚の友となる彦四郎である。
 
以上が物語のは始まりで、
   この後、勘一が 紆余曲折を経、茅島藩の筆頭国家老になるまでを描いている。
 
 
 
武士の家に生まれたものは、嫡男で有れば家を継ぐが、 それ以外の男子は婿入りするか、 
養子縁組が出来なければ 一生、部屋住み(居候)として厄介者になり、
城勤めはもちろん妻帯することも叶わない。
 
その為、次男以下の男は勉学に励み剣道の腕を上げ、
                 藩校で名を上げ婿入りの声のかかるのを待つのだ。
 
 

勘一は極貧の下士だが嫡男であり、 彦四郎は家族に恵まれている上士の次男である。
 
彦四郎は学問も武芸も度胸も容姿までもが全て勘一を上回っており
                                周囲からも認められ、仲間の羨望の的だった。
 
 
 
同じ藩校に通う勘一(本来下士の身分では入れないが抜擢された彦四郎は意気投合し、
                           生涯の友の契りを誓い切磋琢磨し成長してゆく。
 
だが彦四郎はこの頃より出世には冷めだ所が有り、「城勤め等性に合わない」と言っていた。
 
この事が、彦四郎が辿った彼の生き方の根源であり、
         何故、彼が、彼を知る者なら、誰もが信じられないような振る舞いをし、
                  彼には似合わない人生の終え方をしたのか、の謎が解ける。
 
 
一方は大出世を果たし、将来が有望視されており
 
もう一方は大事な場面で役割を果たせず、不始末により国を追われることになった。
 
 
同じ方向を向いていた筈なのに、この辺りから袂を分かつ事になる
 
目指すもの、向く方向まで違った様に思えたが、
             最後の最後で、彦四郎の深い考え方生き方、己の身の置き方が解る。
 

あの「武士なら泣くな!」の強い心の持ち主であり、常に冷静沈着な彦四郎が
そんな簡単に人生の舵を謝るわけがないと、読みながら不思議に思ったが
 
やはり彦四郎は「刎頚の友」に値する。否それ以上の立派な武士の心を持った男であった。
 
終わりの方の其のあたり、少々作り過ぎ?とも思わないではないが
      それを差っ引いても、ズシリとした内容で、読み応え充分、泣かされる話だった。
 

泰平の世の武士、武芸は何のために磨き、学問に励むのは何のためか。。。
 

百姓一揆が起きた時の百姓側の事情と懲罰。 武士である役人側の事情と懲罰も描いているが
このあたりの事情も考えさせられ、また感動し、胸に迫るものが有った。
 
 
以前「秋月記」などでも述べたが、この時代の法律は、思ったよりもはるかにきめ細かく、
                                  理にかなって出来ているのに感心する。
 
 
タイトルの影法師。読み終わってその意味が解った。
 
「刎頚の友」その絆は非常に固く重いものだった。

 
著者の百田尚樹氏、ボクシングを題材にしたと思えば、
今度は時代劇で諸々の問題を織り込み、読む者を飽きさせない。
 
氏の小説をもっと読んでみたい。
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