―― ②からの続きです。 ――
トンネルをくぐり歩いてくるとこの「眼鏡橋」の上に出ます。 (旧信越本線碓氷第3アーチ)
右上に、かすかに、ち~っちゃく、トンネル見えますか?橋の上です。
今来た道を戻り、森林公園交流館 に立ち寄りランチです
めがね橋を模したエントランスは道路側からみてもいい雰囲気だけど
内側から見ても~(・∀・)イィ♪
ここには、眺めの良い温泉露天風呂「峠の湯」が有りまして、寄りたいのは山々なれど今日はパス。
坂本宿
坂本宿。知りませんでした。
古い旅籠が数件残ってますが、観光化は全くされていない様で
知らなければ通り過ぎてしまいそうです
坂本宿は、標高は465m。中山道の宿場町です
中山道の中でも規模の大きな宿場で、
碓氷峠越えの旅人でにぎわったと言います。
小林一茶の定宿、「たかさごや」はその面影もなく建て替えられたのか?改築したのか?
看板と屋号は「たかさごや」と書いてありました。 ↓は「かぎや」
高崎で寄ってみたのは 「少林寺 達磨寺」
音堂に納めてあった大洪水で流れて来た大木を使い、一了行者が達磨大師の座像を彫り上げ、
観音堂に祀ったのがこの寺のはじまりで
天明の大飢饉の後、この寺の和尚が農民の窮乏を救うために、張子のだるまを作らせたのが
高崎縁起だるまの起こりとか
見上げるような階段。。。。 ( ´△`)ハァ~今回の旅は階段が多い。。。
昇って来たと思ったら、「まだあるよ~」って (;´д` ハァハァ・・・
上まで来たら、何てことない、 一段上の本堂の裏に、大きな駐車場があって
裏からぐるりと来れば、階段など まったく昇らずに来るられるんだ~! 〓■●バタッ
ま、普段運動不足だから、これも仏さまの思し召しでしょう・・・(´∀`;
両目が入った達磨さんが沢山納められている
こ の男の子三人何をお願いしているのでしょうか
世界的な建築家 ブルーノ・タウト がナチス政権を逃れ日本に亡命し
2年余り過ごした「洗心亭」が庭の片隅にあった。
その洗心亭の前からの眺め。 前の山は何だろ? 赤城山? では無いよね~
この達磨寺。何故だか、とても気持ちの良いお寺でした。
今まで、通った時に立ち寄ろうとは思っていましたがわざわざ来る気はしなかったお寺でした
でもここに居ると、何故だかわからないけど、心穏やかに、とても落ち着くのです。
再来を誓ったお寺でした。
そのくせ、夫に 「ダルマ買って行く?」
「また納めに来なきゃならないから今日はやめとく」。。。。(ノ∀`) ペチッ
少林寺の入り口で三脚を持ったお年を召した男性が、
「徳明園の紅葉もそろそろいいかも知れませんよ」、と教えてくださったので
行ってみることにしました
全く知らない「徳名園」。ウチのナビ「徳明園」では出ない。
それでも何とか到着。
全く予備知識も無く行ったので、入場券を買う時に「洞窟観音」も行かれますか?と聞かれ???
よくよく見れば入場券売り場の右が「徳明園」
左には、なんだか怪しげ?な、暗~い入り口、あまり気は進まなかったけど・・・・
そばにいた植木職人さん達に、
「せっかく来たんだから入ってみなさいよ二人で手ぇつないで行けば怖くないよ。。。」
え (゚Д゚≡゚Д゚)? 怖いとこなの??
「いやいや大丈夫、日頃の行いが良ければ怖くないし、一本道だから迷うこと無いし」
え~~(≧◇≦)。。。ますます気が進まぬ
色々説得?された、というより、さんざからかわれて、「じゃ、両方」。という事で
まずお目当ての、「徳明園」。
これは、故山田徳蔵翁によって大正8年着工され、昭和39年、翁が88才の生涯を閉じる迄の50年間
かけ掘られた、 全長約400mの洞窟に、40体ほどの観音像が安置されている「洞窟観音」の建設と
併行して造成が進められた庭園だそうですが、これは素晴らしい!
北関東一の名園。とも言われるだけあって、池や石や樹木石灯籠などなどが 配置され、
その奥に「山徳記念館」が有りました。
「山徳記念館」と言うからには「山田徳蔵氏」の色々が収め展示してあるのかと思いきや
漫画家の田川水泡詩に関するものが多かったです。
漫画家の田川水泡詩に関するものが多かったです。
出入り口のそばに小さな焼却炉が有り、何かを燃やしていましたが
私は、その、多分鉄製?の焼却炉に興味津津。何やら模様が彫ってありのぞき窓の洒落ている
しばらく見とれてました(笑
私は、その、多分鉄製?の焼却炉に興味津津。何やら模様が彫ってありのぞき窓の洒落ている
しばらく見とれてました(笑
さて!気乗りがしない、洞窟観音、さっきのオッチャンまだお茶飲んでた
又 言ってる・・・ 「手ぇ繋いで行っといでぇ~」 だと
いいから(ノ∀`)σ 早よ仕事せぃ!ってぇの!(笑
ササーっと見てまいりました。説明も読んでないし、よくわかりまへん。
実は、σ(・"・;め こう云う風なもの、あまり好きでないのです
造った方は信念を持ち、こんなにたくさんの神様仏様像を造ったのですから
それはそれで価値が有るのかもしれませんが、
それはそれで価値が有るのかもしれませんが、
この山田徳蔵氏は何を思ってこんな大層のものを造ったのでしょうか?
よほどの事があり、何かを念じて造ったのだと思います
それはそれで敬意を表します
でも、知識もなく、彼の思いや造るきっかけや何も知らない、私にとっては
「穴倉に彫り物」以外の何物でもありませんでした。(山田さん<(_ _)>ゴメンナサイ)
「穴倉に彫り物」以外の何物でもありませんでした。(山田さん<(_ _)>ゴメンナサイ)
「暗かったけど手ぇ繋いでいたからダイジョウブだった~」(笑
期待に添わない感想で、笑ってましたけどね。
だが私の「神仏」とは、形のないものであります。ハイ。
途中、踏切で夫の 「電車来る!」 の 叫びで、つぃシャッターを押しました。
なんだか、σ(・ω・。)、 鉄っちゃんに、飼いならされてしまったのか???
帰りの高速に乗る時はとっぷり日が暮れていました
今回は1泊でしたが中身の濃い旅でした。
電車なんぞ、まったく興味のなかった私ですが、こうして古い鉄道をたどってみるのも楽しくなり
(;・∀・ハッ? 気がつけば、すっかり飼いならされてしまった感じ・・・・の私でした。
チャンチャン!
総走行距離 600Km