2011年11月

伊香保温泉 と わ鉄 ③

             ―― ②からの続きです。 ――
 
   トンネルをくぐり歩いてくるとこの「眼鏡橋」の上に出ます。  (旧信越本線碓氷第3アーチ)
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    右上に、かすかに、ち~っちゃく、トンネル見えますか?橋の上です。
 
          今来た道を戻り、森林公園交流館 に立ち寄りランチです
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めがね橋を模したエントランスは道路側からみてもいい雰囲気だけど
内側から見ても~(・∀・)イィ♪

ここには、眺めの良い温泉露天風呂「峠の湯」が有りまして、寄りたいのは山々なれど今日はパス。
 
                坂本宿
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             坂本宿。知りませんでした。 
 
      古い旅籠が数件残ってますが、観光化は全くされていない様で
                                 知らなければ通り過ぎてしまいそうです
 
 
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坂本宿は、標高は465m。中山道の宿場町です

中山道の中でも規模の大きな宿場で、
  碓氷峠越えの旅人でにぎわったと言います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
小林一茶の定宿、「たかさごや」はその面影もなく建て替えられたのか?改築したのか?
 
          看板と屋号は「たかさごや」と書いてありました。   ↓は「かぎや」
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   高崎で寄ってみたのは 「少林寺 達磨寺
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音堂に納めてあった大洪水で流れて来た大木を使い、一了行者が達磨大師の座像を彫り上げ、
観音堂に祀ったのがこの寺のはじまりで
天明の大飢饉の後、この寺の和尚が農民の窮乏を救うために、張子のだるまを作らせたのが
                 高崎縁起だるまの起こりとか
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見上げるような階段。。。。 ( ´△`)ハァ~今回の旅は階段が多い。。。
 
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昇って来たと思ったら、「まだあるよ~」って (;´д` ハァハァ・・・
 
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上まで来たら、何てことない、 一段上の本堂の裏に、大きな駐車場があって
裏からぐるりと来れば、階段など まったく昇らずに来るられるんだ~!  〓■●バタッ
 
      ま、普段運動不足だから、これも仏さまの思し召しでしょう・・・(´∀`;
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両目が入った達磨さんが沢山納められている
 
 
 こ    の男の子三人何をお願いしているのでしょうか
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      世界的な建築家 ブルーノ・タウト がナチス政権を逃れ日本に亡命し
                              2年余り過ごした「洗心亭」が庭の片隅にあった。

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その洗心亭の前からの眺め。  前の山は何だろ?  赤城山?     では無いよね~
 
         この達磨寺。何故だか、とても気持ちの良いお寺でした。
 
今まで、通った時に立ち寄ろうとは思っていましたがわざわざ来る気はしなかったお寺でした
でもここに居ると、何故だかわからないけど、心穏やかに、とても落ち着くのです。 
再来を誓ったお寺でした。
 
  そのくせ、夫に  「ダルマ買って行く?」
             「また納めに来なきゃならないから今日はやめとく」。。。。(ノ∀`) ペチッ


少林寺の入り口で三脚を持ったお年を召した男性が、
        「徳明園の紅葉もそろそろいいかも知れませんよ」、と教えてくださったので
                                             行ってみることにしました

全く知らない「徳名園」。ウチのナビ「徳明園」では出ない。

                   それでも何とか到着。
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全く予備知識も無く行ったので、入場券を買う時に「洞窟観音」も行かれますか?と聞かれ???

よくよく見れば入場券売り場の右が「徳明園」

左には、なんだか怪しげ?な、暗~い入り口、あまり気は進まなかったけど・・・・
 
そばにいた植木職人さん達に、
        「せっかく来たんだから入ってみなさいよ二人で手ぇつないで行けば怖くないよ。。。」
 
え (゚Д゚≡゚Д゚)? 怖いとこなの??

       「いやいや大丈夫、日頃の行いが良ければ怖くないし、一本道だから迷うこと無いし」

え~~(≧◇≦)。。。ますます気が進まぬ

色々説得?された、というより、さんざからかわれて、「じゃ、両方」。という事で

           まずお目当ての、「徳明園」。
 
これは、故山田徳蔵翁によって大正8年着工され、昭和39年、翁が88才の生涯を閉じる迄の50年間
かけ掘られた、 全長約400mの洞窟に、40体ほどの観音像が安置されている「洞窟観音」の建設と
併行して造成が進められた庭園だそうですが、これは素晴らしい!
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北関東一の名園。とも言われるだけあって、池や石や樹木石灯籠などなどが 配置され、
その奥に「山徳記念館」が有りました。
 
「山徳記念館」と言うからには「山田徳蔵氏」の色々が収め展示してあるのかと思いきや
漫画家の田川水泡詩に関するものが多かったです。
 
出入り口のそばに小さな焼却炉が有り、何かを燃やしていましたが
私は、その、多分鉄製?の焼却炉に興味津津。何やら模様が彫ってありのぞき窓の洒落ている
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しばらく見とれてました(笑
 
    さて!気乗りがしない、洞窟観音、さっきのオッチャンまだお茶飲んでた
  
             又 言ってる・・・ 「手ぇ繋いで行っといでぇ~」  だと

             いいから(ノ∀`)σ 早よ仕事せぃ!ってぇの!(笑

         ササーっと見てまいりました。説明も読んでないし、よくわかりまへん。
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実は、σ(・"・;め こう云う風なもの、あまり好きでないのです
 
造った方は信念を持ち、こんなにたくさんの神様仏様像を造ったのですから
それはそれで価値が有るのかもしれませんが、
この山田徳蔵氏は何を思ってこんな大層のものを造ったのでしょうか?

よほどの事があり、何かを念じて造ったのだと思います
それはそれで敬意を表します
 
でも、知識もなく、彼の思いや造るきっかけや何も知らない、私にとっては
「穴倉に彫り物」以外の何物でもありませんでした。(山田さん<(_ _)>ゴメンナサイ)
 
            オッチャンに「どうだった?」と聞かれたので
                    「暗かったけど手ぇ繋いでいたからダイジョウブだった~」(笑

             期待に添わない感想で、笑ってましたけどね。

    「神仏を尊び(たっとび)神仏に頼る事なし」   宮本武蔵ですが、この精神が大好きです
              だが私の「神仏」とは、形のないものであります。ハイ。
 
 
       途中、踏切で夫の 「電車来る!」 の 叫びで、つぃシャッターを押しました。
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       なんだか、σ(・ω・。)、 鉄っちゃんに、飼いならされてしまったのか???
 
           帰りの高速に乗る時はとっぷり日が暮れていました
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          今回は1泊でしたが中身の濃い旅でした。
 
         電車なんぞ、まったく興味のなかった私ですが、こうして古い鉄道をたどってみるのも楽しくなり
         (;・∀・ハッ?  気がつけば、すっかり飼いならされてしまった感じ・・・・の私でした。  
                                                     チャンチャン!
                              総走行距離 600Km

伊香保温泉 と わ鉄 ②


      高津戸峡前にある、「眺め公園」の菊人形をチラリと横目で見て
        大間々駅  に寄ってみると、何だかヘンテコな人がいた (@0@)
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    周囲の人は 全員 見て見ぬふり・・・・を しながら しっかり見てました  |ェ・)
 
国道50号線を 通って 渋川――伊香保 着。
気がつけばσ(・.・)の為の 「伊香保温泉の旅」 は、夫の「鉄道の旅」 の付録っぽ (´-ω-`)
 
伊香保は 階段で有名な 温泉街です
宿は 急な坂道を登り、細い路地の先にありました
 
時間が早いので 伊香保温泉のシンボル 「石段 」に行くことに~
 
車で細い道を 旅館の駐車場 まで入って来たので  気がつかなかったけど
数メートル先に行くと もう石段が有り、すぐ上は 石段の頂上でした
 
その上には神社が有り、更に石段を登らなくてはなりませんので 降りることにします。
 
石段を はさんで、お土産物屋や 食べ物屋、由緒ありそうな 旅館が並びます

下を のぞけば、気が遠くなるような階段が続き、その数365段。
 
浴衣にはんてんの温泉客が 上を見上げて 昇ってきます
 
上に行っても 下に行っても 大したものは ないんですけどね^^;
 んzんとなく上り下り したくなるような 階段です
 
途中で、「大弓・射的」 の看板が有り、店をのぞくと若い男女が遊んでました
 
                       どれ! 挑戦してみるか~♪
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       私は射的。 一番軽いものを狙えばほぼ的中、難しいものに挑戦
 
おばさんが耳を狙え、とかココ、とか教えてくれるんだけどね、重すぎて当たっても倒れんのよ~
 
夫は弓に挑戦、結構難しそう   |ェ・)
ささやかな景品貰いました。  見てるよりやった方がはるかに楽しい!
 
こういう時は歳なんぞ忘れた方がいいですね。  周りは全員若者でした(笑
 
       帰り、昇ってて 気がついたのですが、石段に与謝野晶子の詩が刻まれていました
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     宿は 「横手館」です。
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    車で、狭い路地に 恐る恐る入ってゆくと、旅館の前に待ってましたとばかりに
 従業員らしき男性がいて誘導してくれましたし、 ここのフロントの女性従業員はプロでしたね

   外に行こうと思えば、名前や部屋番号を言わなくても、個人の履物をサっと出す
                                         (奥の下足にしまってある)

宿帳のかかりではありませんでしたが、チェックしたのでしょう、一発で部屋と名前を覚えていました。
 
旅館は古いけど掃除が行き届き気持ちいい
食事がちょっと。。。かな?  ま最初から期待してませんでしたけどね
お風呂はかけ流し、濁り湯でした。肌はつるつるすべすべ
無料で貸切風呂にも入れます
この日は満室で客が多く、時間に制限が有りましたが、30分で充分でした。
 
25日   この日も晴天 \(^▽^)/
 
        昨日とは反対側の石段です。 朝早いせいか人っ子ひとりいません。
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紅葉の名所、「河鹿橋」 の紅葉はすでに終わっていました
 
   「上毛パノラマライン」(県道33号)榛名湖方面に抜ける途中、の 高根展望台
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今出てきた温泉街が眼下に見え、  近くの山や、赤城山、遠くに谷川岳、白根山まで見えます

                      榛名神社
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貫禄あります。  樹木が覆い茂り、日陰でこの時間では あまりにも寒そうなので 入り口まで。
 
                   地蔵峠からの眺めは素晴らしい。
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    写真では良さが出ません><;残念!  鉄塔が行儀よく並んでいます。
 
                 横川駅
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広島県に同じ字の横川駅があるため、切符の券面には「(信)横川」と 表示して 区別されています
 
もう、ずいぶん前来た時とは、全く変わっていました
まだ線路がいっぱいあって、線路際に「おぎのや」が有ったのだったのか?

線路のそばに、釜めしの使用済み?の、釜が沢山積み上げてありましたが
                                          今はその面影もありません。
 
長野新幹線が開業した1997年10月以降、信越本線の高崎方面からの終着駅となっており、
                線路は構内のはずれで途切れていました
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    駅前には「おぎのや」がありましたが、ひっそりという感じで、こちらの店は小さいです
                街道沿いに大きな店が見えました
 

       かつての横川運転区が現在は「碓氷峠鉄道文化むら」となっています
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    碓氷峠の歴史や資料、碓氷峠で活躍した鉄道車両、
                            国鉄時代の貴重な車両などを展示・公開しており、

   信越本線の廃線跡を利用して、EF63形電気機関車の運転も出来ます(条件付き)
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           ミニ蒸気機関車は本当に石炭を燃やして走っています
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    その他、嘗て活躍したいろいろな形の列車があり、
                   鉄道ファンにはたまらない遊園地だろうと思います
 
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      夫の大好きな 「転車台」。  私は線路を曲げて有る電車止めの方が面白い。
 
 
        碓氷線の廃線を利用して、
 鉄道文化むら から、めがね橋 までの 4.7Km を 遊歩道、「アプトの道」 が整備されています
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     いくつものトンネルが有ります
 
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          暑くもなく寒くもなく紅葉も美しい。 沢山の人が歩いていました
 
            写真が容量いっぱいななりました (´Д`|||)クチョッ!
                                           つづく

伊香保温泉 と わ鉄駅めぐり

11月24日 晴れ
 
最近にしては珍しく朝から晴天に恵まれました♪\(*^▽^*)/ 
 
横浜を出て 首都高から東北自動車道に続く 湾岸線荒川沿いの景色 が好きです
 
この日は朝陽がスカイツリーに反射して、上の小さな展望台?の所に当たり
                                   スカイツリーが指輪をしているようでした
みるみる間に 周りのビルが ピンク色に染まって、、、往きから幸せな気分♪
 

今回は 「伊香保温泉」 に行って 温泉三昧をし、
                 σ(・Д・)の50肩を治そう!と聞いていました。。。後は何も聞いてない
 
       先ず到着したのが  わたらせ渓谷鉄道  間籐駅(まとうえき)
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  この駅は 鉄道ファンならば御存知だろうと思いますが
                       「時刻表2万キロ」の著者が国鉄完乗を達成した最終駅です
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この時はちょうど列車が停まっており、リュックを背負った男女が数人屈伸運動をしていました
 
「カモシカが見られるかもしれない駅」 と書いてありましたが、、、彼たちは何処へ行くんだろう?
 
夫は列車の運転手さんと何か話していました。と思ったら時刻表を貰ったみたい
その後、この時刻表が人さまのお役にも立ち、大活躍します

               足尾駅。1912年(大正元年)築の駅舎です
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       ここの駅にもリュックを背負った人々がいました

   先ほど藤間駅で停まっていた列車が到着。
       構内には多分現在はお役御免になったであろう車両が停まっていました
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   そのほか何やら大事そうにシートにくるまれた車両?があったり
                                             初めて知った終点の電車止め?の曲がったレールがあったり。
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       この駅は「鉄ちゃん」ならば喜びそうなものが詰まっているみたいな駅でした。
 
           通洞駅 は 足尾銅山観光 最寄りの駅
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  駅名の「通洞」はに鉱山用語の通洞坑から来たそうです。
 
  足尾銅山あとにも行ってきました
  1610年に発見されて以来、昭和48年までの400年近く続いた歴史のある銅山で
  採掘された銅は、東照宮や江戸城などの建造のさいに使われたれり、
          オランダや中国などへも輸出されたそうです

          坑道の総延長は1200Kmにもなる!!!(@0@)
 
トロッコに乗って通洞入口まで行きその先は徒歩で勝手に見学します
暗い所にリアルな炭鉱夫の人形が置いてあるので、ギックリ ヽ(゚□゚;)ノ
 
          沢入駅 (そうりえき)
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        ログハウス風の駅舎には郵便局も併設されていました
 
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   私は駅舎を通らずに裏からホームに出てウロチョロ

  駅舎の中から、しわがれた女性の大きな声がする
     郵便局(駅)の窓口の女性と、そのしわがれオバサンと、夫とが何か話している
 
        戻ってきて曰く。。。

   「せっかく窓口の綺麗なオネエサンと話ししているのに
             おしゃべりババアめ、横から口出しやがって」   だって ゚( ゚^口^゚)゚。ギャハハハ

   おしゃべりババサマ、私にまで話しかけて来た。 こういう時は長くなりそうなので退避
             さりげなく話を切って車へ
 
   オネエさん、というより、そのババアから情報収集してきたようです(笑
 
  草木湖にかかる橋を通ると三脚を立てたカメラおじさんがいっぱいいる

            何だろ~? とのぞけば「滝」でした。
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   まだ紅葉を撮るには早いもみじ、  それでも隠れた太陽が顔を出すのを待っているようです
             いい写真を撮るには根気、辛抱が要りますね~。
 
  渡良瀬川に建設された多目的ダム草木ダムを通り草木湖沿いに走り、神戸駅に出る
            神戸、と書いて「ごうど」。地名って面白いです。
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   時刻表を見ると15分くらいするとトロッコ列車が通るようだ
            それまで待つの~??嫌だなぁ・・・と思ったら。。。。 
 
          夫が「オイデオイデ」と手を振る
 
   列車食堂見たいのが有るからあそこで飯食おう~♪
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        気がつかなかったけどお昼過ぎてるじゃん!   
 
という事でランチ~♪
夫はキノコてんぷら定食。私はキノコ蕎麦。   セルフです。
お隣の方、「旨いの不味いの」・・・
こういうばやい、うまいまずいは問題外です。
 
            外も紅葉がきれいだし~♪楽しい~じゃない~♪
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          そうこうしているうちにトロッコ列車が入って来たようで

      夫は食事途中だというのに駆け足で出てホームへと行きました  (ノ∀`)
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  かなり長い停車時間でした。 
  同時に反対方向の列車も入って来た。 賑やかになりました。 人、人、人

  夫の持っている時刻表、大人気(笑
       駅弁売りもいましたよ。  このおじさんお話し好き、商売熱心な楽しい方でした
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   列車が出たホームはまた静かになりました
 
   そのあと中野駅、花輪駅、と寄り、
                                  水沼駅 に寄った時、駅舎の屋根の♨マークで思い出した!
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        そうだ!ここに前から気になっていた「かっぱの湯」があるんだった!
               寄って行こう。
 
       内湯は広く、浴室内からは山が見えて気持ちがええ~ (・‿・A
  露天も有ったので入ったけど、評判ほど眺めも良くないし、小さくて・・・ (ー`´ー)う~ん
  と思ったら~、 
        少し離れたところにあるのが大きな露天風呂の「河童の湯」だったみたい      
                   休業中でした。
 
それでも、この温泉は足の悪い人が多く、聞けば歩けないような痛みが治った。とか、で
杖をついて浴室を歩く人が多く、珍しい光景でした
                  よく温まりました~♪
 
      高津戸峡 は、紅葉はまだ少し早いかな?
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    川底のくぼみに落ち込んだ石が水流によって回転してできたポットホールがある
                やはりハイカーが多い。
 
                   写真容量いっぱいにったしまった><;
                                                 つづく

落ち葉が散るよ~♪

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秋も深くなり、我が家の前の桜の木も紅葉し 風が吹くと ひらひらと赤い葉っぱが舞い落ちます
遊歩道を歩いていると 黄色や 茶色や 赤く染まった枯葉が ひらひら舞い落ちてきます
落ち葉を受けながら、必ずくちずさむのが、この曲。  抒情歌や唱歌が好きです。

3歳上の姉が学校で習ってきた歌を歌っているのを聞いて好きになった曲が多いです
 
不思議な事に、同じ学校に通っていながら、「こんな歌習わなかった」 と思うのが結構あります
姉はどこで覚えてきたのでしょうか イメージ 2
 
 
♪ ~
ほろほろと 
なく山鳥の声聞けば
父かとぞ思い 母かとぞ思う
ほろほろと  ~♪
 
 
 
もしかしたら歌詞が違っているかも知れませんが、
   秋になると何となく口ずさむ歌です。
 
日本語の美しさ、表現の多彩なこと
   四季折々の美しさ、
        それとともに日本人の持つ つつましさ、とか 柔らかさとか 。。。
 
日本に生まれて良かった     (外国に生まれたらやはりそれなりに思うのでしょうけどね)

                最近つくづく思います  
                        
 
今日、カレンダーは日曜日、多くのお父さんは休日でしょう
                               
 我が家の 勤労カレンダーは 世間とはチト違い、本日は働く日です
 
   夫を送り出し、コーヒーを淹れ、窓の外を眺めながら、ふ、と思った事でした。  
 
 
           3月11日前の何気ない平和の日々が一日も早く訪れますように 。。。 _-)

【10歳の放浪記】上條さなえ

  
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2006年11月30日発行
2007年2月8日第3刷発行
 
講談社 単行本
221ページ 
1333円
 
図書館で借りる
 
 
 

衝動借りです。
図書館にって目当てにしていたものが無くて
同じ棚に合ったものを借りてきました
 
これは児童図書なのでしょうか、大きな活字で漢字にはすべてカナがふってあります。
 
 

著者の自伝です。
 
昭和35年、10歳だった著者は気位の高い母親や優しい異父姉とも別れ
父とふたり、池袋のドヤ街でその日暮らしをしていた。

彼女の支えとなったのは、食べるために彼女が思いつき、球拾いに行った、
パチンコ屋の店員のお兄さんや彼の知り合いのヤクザや、床屋のお姉さんたちだった。
 
父は学歴がなく、母は学歴があった。  戦死した母の初婚の夫は東大出、姉の父である。
学歴がないという事で父を馬鹿にする母。

事業に失敗した父は、
学歴から来る劣等感や、そんな母に対する怒りで酒を飲み暴力をふるう。酒乱である。
 
また、父は、前夫への屈折した感情から、姉は同じテーブルで食事をすることを許さなかった
 
病弱だった姉は体もどうにか治り、働きながら自活するため家を出る
「お父さんが暴れたら逃げてくればいい」と言って。
 
 
借金取りに追われ、初めは母親に連れられ、親せきの家や姉の所など転々とするが、
そのうち、母親は早苗に手紙を持たせ、父親に彼女を預けてしまう。
 
        それから放浪、ドヤ街暮らしが始まる

彼女は母親を恋しがりながらも、子供ながらの知恵でたくましく過ごす
パチンコやで知り合ったヤクザが彼女の事情を知り、学校だけは行った方がよい、と父親を呼び出し
学校に行かせるように話してくれたらしい
 
学校に行かせるためには、、、
 
5年生をもう一度やる、という約束で父親は養護施設に預けることを決意
彼女はショックを受けるが、食べる事にも事欠く生活は、これ以上どうしようもなく、父親の説得を受け
食べるには困らず、学校にも行ける養護施設に入る。
 
                  というお話。
 
これだけ書くと、すごくかわいそうで悲しくて哀れで・・

ところが、ホロリとはさせられるが、暗くジメジメとした感じはせず、文章はさばさばとしている 
子供ながらに知恵を働かせ、無料で映画館に入り洋画に夢中になったり
パチンコの球拾いをし、お金に換えてパンを買ったりと、結構チャッカリしている

彼女の父親は働かない。ただ、彼女にはひたすら優しい
だが食うにも困りドヤに住む金も無くなり、彼女をもてあますと、
「この子をもらってくれませんか?」 などと人に言う
母親はといへば、度々嘘をつき、稼ぎが無く、その日暮らしと解っている父親に彼女を押しつけ
彼女の前から姿を消してしまう。まことにこちらも勝手である。
 
飲んだくれの働かない父親はもちろん悪いが、気位ばかり高い、この母親も救い難い。
 
最初の夫が東大出。自分も女学校を出ている。親は金持だった。
そればかりを引きずり、二言目には子供にまでもそれを言って聞かせる
     借金をしまくっているのに、
 
その帰り道に、ウナギを二人で食べたり、その他、結構身の程知らずの金の使い方をする母親。
そんなことをしていれば安定した生活など出来るわけがない
     無ければ「借りる」。。。。有れば使う。働かない。 父母ともどっちもどっち
 
       それに子供は振り回されるのだ。
 
早苗の同じクラスの「家庭に事情」のある女の子のセリフ
あたい、早く大人になりたいな。子どもって、かなしいよね。
大人に決められたら逆らえないし、どんなにいやなことだって、 がまんしなくちゃならないんだもん。


あとがきに
いつの間にか、私は精神的に強くなっていて、いじめなんてなんでもない。
帰る家のない、明日泊まる所や食べることの心配をする生活のほうがどれだけ大変かと、
子ども心に思いました。
 

非嫡出子としてこの世に生を受け10歳の日々をホームレスとして過ごした日々
私は自分の子供にはこんな可哀想なことはしないと誓いましたが
結局こうして書いたことで追体験をさせてしまいました
子供には申し訳ないと思いますがこの試練を乗り越えてくれることと信じています
 



著者は中学生になり母親に引き取られ一緒に住むようになり

大学を卒業し、ボロボロの青春時代を経て、小学校の教師になるが、すぐやめる(理由は解らない)
結婚し、35歳の夏毎日新聞社主催の「小さな童話賞」に応募
「さんまのマーチ」で賞をもらい、37歳で児童書を出版。
その後児童館の非常勤館長を経、2002年埼玉県の教育委員長になる。
 

本書を書くように勧めたのは出版社の夫婦であるが、多分彼女は躊躇したと思う。
作家でありながら、これだけの経験をし、親が亡き後も「私小説」「自伝」が書けなかったのは、
自分の中で、過去がまだ消化できず、引きずっていた部分が有ったのだと思う。

これを発表したことにより、暗い穴から脱出できたのではなかろうか?
 
生きてきた中の辛い思いや、自分の傷口を他者に話せるようになったという事は
有る程度それらの事を受け止め、消化出来た、ということだろう
さもなければなかなか 自らそれらに触れることは出来ないと思う
 
それによって再噴火してしまうことだってあるだろうから。。。
 
傷の癒し方は色々あるけれど、自分自身の向き合い方だから。
 
もう一冊彼女の著書で、その後を書いた 「かなしみの詩」 も同時に借りているのでそれも読む。

カメムシ?

 
最近、写真のようなカメムシ?が洗濯物にたかる。
 
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             今までも見た事は有るけど、これほど多いのは初めて
 
                        異常発生なのかなぁ~?
 
    その代り、干し柿作成中でベランダに下げてあるけど、例年悩まされるハエは殆どいない
 
   なんだか嫌~なカンジ・・イメージ 2
 
    そう言えば、今年の夏は、蚊も少なかったような気がするなぁ

(318)【枯れ木灘】中上健次

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中上健次全集3(より)

1995年5月24日第1刷発行

1995年6月19日第2刷発行

集英社発行  単行本

前502ページ うち242ページ
 
 

 
紀州にある「路地」と呼ばれる狭い地域を舞台に、繰り広げられる血縁をめぐる物語
 
 ともかく人間関係がややこしく、読見始めた途中で主人公の家系図を作ってみたりした

 
          よく見れば巻末に家系図が貼ってあった(笑
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 主人公(26歳)の生みの父、育ての父、戸籍上の父がおり、 異父姉兄、弟異母姉弟…
 
 その他非常にややこしいが、 同じシーンや台詞度々出てくるので解りやすいものの、
 
 一方で、反復の多さに辟易もする
 
 登場人物のほとんどが主人公の親類縁者で、それぞれ強烈な個性の持ち主
 人間関係はややこしいが文章は至ってシンプル。
 
 
 これは私小説なのだろう。 そして主人公は著者自身なのだろう。
 読んでいて息苦しくなるくらいの血のしがらみ   血縁とは絆でもあるがしがらみでもある

 狭い世界で幾重にも少しづつ重なった血縁は始末が悪い
 ドロドロした中で生きてゆくという事は
 受け入れられないもの、切り捨てるべきものを切り捨てられるか、
 切り捨てられないのなら、受け入れ溶け込むのか、
 
 割り切ってすべて飲み込んだ上で折り合いながら流されて行くのか
 主人公は一見溶け込み流されて生きているようにも見えるが実際は実父の存在拘り、
 やさしく育て母子を受け入れ懐深く抱え込んでくれた現在の戸籍上の父育ての父を好きになれない
 
 事ある毎にに実父と、その子らを意識しかつて実父がしでかしたという噂をなぞる
 
 
 諸々胸に抱えていたものが、有るきっかけで、破裂してしまう。 自滅。
 
                物語の終わりは何ともあっけない
 

 読後・・・あれ?主人公はだれなんだ?    軸が時折ぶれるのである

 名作には違いないと思うが、「面白い」、と楽しめるものではない。
 
 
 
 中上健次は自分の出自を「岬」をかくことにより明かし、堰を切ったように「枯れ木灘」を発表した
 これらを書くことによって自分自身の呪縛から脱したいと思ったのだろうか?
 しかしその呪縛とは、「路地」なのか?自身が呪う「血」なのか?
 
  結局彼は書く事によって呪縛を解く事が出来たのだろうか?
 
 
 「岬」、「覇王の七日」。 皆、「枯れ木灘」と同じ話、同じ主人公、同じ言い回しシーン。。。

 私小説は重いものが多く、終結の仕方で救われる場合もあるが 
 「枯れ木灘」の終わり方、主人公が消えてしまう(登場しなくなる)
 
 あれほどこだわった話なのにこれで表面から消すの?という感じがしてならぬ


 もう少し内容に合った濃い終わり方をしてほしかったなぁと思う。
 
 本書は「名作」として名高く、多くの人が影響を受けた本だという事を聞く
 名作は何度も読まなければその良さが解らないのかもしれない
 
      何年後かにまた読んでみたい。
 
 
ほかに短編がいくつか入っていたが、ほとんどの話が「枯木灘」から抜けられないようで
似通った題材、言い回し、読んでいて気持ちの良い内容表現では無い所が多く
読む気が萎えてきて、遂に短編を数編読んだ所で読むのをやめてしまった。
 
 短編其々が「読書」と、楽しめない。
 
中上健次、「岬」以前の著書はやはり「路地」や「血族」にまつわる話なのだろうか?
 
    私小説で無い「自分、血族」から離れた、作品を読んでみたい。
 
                  中上健次は1946年生まれ。
 



          「枯れ木灘」と呼ばれる地域について、ネットで調べました
 
 
和歌山県が、昭和29年7月6日付で、『枯木灘海岸』の名称で、
周参見町と江住村の境界から、串本町有田の錆浦までの間を県立公園として指定した
 
昭和43年。  その区域も拡大され、紀伊半島の南西海岸、
白浜町の県道白浜温泉線に沿った白石地区から始まり、
富田河口を経て、国道42号線に沿う日置川町、すさみ町管内の海岸線を含み、
串本町潮岬西側の吉野熊野国立公園区域の境界線までの、
海岸線約70キロに及ぶ広大な地域が指定され、
 
         その名称も「熊野枯木灘海岸県立自然公園」となった
 

そんなことはつゆ知らず、昨年はこの海でダイビングもしたし
夏を惜しみ目いっぱい楽しんだところでした。
 
読みながら色々なシーンで土地の名前が出るたび、其の時其々の風景を思い出しました。

「大山」へリベンジの旅 ③

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「快適な気分」とは言えなかった昨日までのこの旅館だったけど
  朝食処の女性たちは感じがよく細かい所にまで行き届いて気分良く食事ができました
 
 
  本日は、ひたすら我が家目指す事になりました
 
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      気持ちの良い朝です。 朝もやがいい雰囲気であります
 
      川で鷺が水浴び?をしているのか、羽を広げてバタバタやっていました
 
    その傍では、多分鵜だと思うけど、逆立ちするようにしてえさでも取っているのでしょうか
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   自然の中で鵜を見たのは初めてです。 しばらく車を停めて見ていました。
 
   山陽自動車道の「和気」の手前あたりからだったか?凄い霧
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     太陽も真っ青! (@_@) 霧 霧 霧
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      少し山が見えてきた~♪  ┐(^-^;)┌ヤレヤレ
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    天王山トンネル  うん、 ここが天王山~   1720m結構長いんだ・・・
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       この近くに養老の滝が有るんですかねぇ?  トンネルの絵楽しめます♪
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        養老SAでお昼をとる事にしました。帰るとなると最近必ず晴天・・・・見よ!この青空
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  ここのメニューがまた面白い!  暫らく メニュー見て楽しんじゃいました(^▽^)
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「合戦勝つ丼」、「関ヶ原陣営プレート」、「三成御膳」。。。 o(^▽^)o
 
夫は「ひつまぶし」。うな丼しか食べた事無いです
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ウナギは、今ひとつでしたが、ウナギ茶漬けが気に入ったみたい~。
 
  自宅には夕方5時に到着。
 
今回の買い物
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ゆずは 「ゆず湯用」 安いんですよ~♪
 
みかんは有田でしたが、こちらで売っているのは甘いばかり、
                              これは酸っぱさが程良くて美味しかった
 
柿は関東には売っていない品種が多く、これは贈答用に良く使われるらしいです
 
お酒は倉吉の造り酒屋で買ったもの、コクあって美味しいそうです
 
蕎麦餅は、う~ん、、、いまひとつ、かな?
 
 
こんな買い物をして家で旅の話をしながら一杯飲んだり、柿を剥いたり、ゆず湯に入ったり
 
旅は家に帰ってから後々まで楽しめます
 
一粒で何度も美味しい~♪だから旅はやめられな~ぃ \(^▽^)/
 
総走行距離 1800km

「大山」へリベンジの旅②(河原城・宮本武蔵駅・芦津渓谷・大垪和西の棚田・湯迫温泉

 
11月11日(金)


鳥取 ― 国道53号線 ― 河原城 ― 流し雛の館 ― 智頭駅 ― 芦津渓谷 ― 三滝園 ― 西粟倉村 ― 宮本武蔵の里 ― 宮本武蔵駅 ― 美作 彩菜茶屋(道の駅) ― 亀甲駅 ― 三咲町・大垪和西の棚田 ― 岡山・湯迫温泉 白雲閣 泊                                                              


 
旅の朝はいつも気持ちがいい♪ 空気も澄んでいて、車も少なくて・・・・
ゴキゲンで 53号線を走っていると、、、、遠~くにお城???
 
「この辺にお城有る?」   「聞いたことないなぁ~」
 
      という事で 急遽行く先変更! お城目指して走る
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なんだか雰囲気が変・・・だと思ったら、入り口の案内板にこう書いてあった (ノ∀`)σ
 
お城山展望台(河原城)は、 
ふるさとづくり一億円事業「自ら考え自ら行う地域づくり」により
広く町民に提案募集の結果決定し、河原町のシンボルとして建築された。。。。。
 
「再建城ではない」、と書いて有る。  「お城」ではなく「お城展望台」。入場無料です。
 
しかし、かつて丸山城と呼ばれていた戦国時代の、出城砦 (でじろとりで) があり、
豊臣秀吉の鳥取城攻めで印旛地方にやってきた際に陣を張った山に建てられたもの。
だそうです。
 
                     ちょっとがっかり(苦笑
 
 
国道53号線と 因美線 が並行する区間が有り、駅が有ったので寄り道
「鷹狩駅」「ワンマン列車」と書いてあった。
  
 
用瀬(もちがせ)地区に入ると、「千代川」 (せんだいがわ) にかかる朱塗りの橋が眼を引き
「流し雛」という文字が目に飛び込み、川向うに何やら派手な建物が
鳥取には古くから「ひな流し」の風習があり、 そこ、「しびなの館」には、ひな流しの紹介と
江戸時代から現代までのひな人形やひな道具、竹田人形、など多くがが展示されているそうです。
 
まだ会館前でしたので通過。
 
 
さらに53号を津山方向に走り、 「板井原伝統的建造物保存地区」 の有る山へ入る
 
細いくねくねと曲がる山道を登ると、突然取って付けたようなコンクリートの立派?なトンネルがあり
そこを抜けると意外と広い駐車場が有った。
 
右へ行く道と左へ行く道に分かれる。  右へ行ってみる。
 
   まず有ったのが「町立小学校分校」。 伝統的保存建造物にしては、まだ綺麗です。
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     保存地区、と言うが、まるで映画のセットのよう。庭木もきれいに刈り込んである。
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  もっともっと古い建物が有るのかと思ったら、屋根などはきれいに張り替えられた家が多い
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こんなものが有ったけど、「実証ほ場」 σ(゚・゚?) ほ場??
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        また今来た狭い山道を下り 「智頭駅」 に寄り道。
 
 
「芦津渓谷」を目指す。 
芦津から三滝ダムまでの、「芦津渓谷」 は、国定公園の一部となっている。
 
      さすが 「杉の町、智頭」 と言われるだけあって
                      何処までもまっすぐ伸びる手入れされたスギ林は本当に美しい
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      その杉の中、山をさらに奥へ奥へと進み、約4kmに渡って続く美しい芦津渓谷へ
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紅葉はすでに終わってるとは言え、 陽のあたる所と山や雲が作る影とのコントラストが何とも美しい
 
水がすごくきれい!智頭町を走っているときから思っていたが、小さなどぶ川のような所までもが
この地は川の水が美しい。その上流だからなおさら美しいのは当たり前か~。
    
   そんな事を思いながらせせらぎを見ていたら、  トラに乗ってきたおじさんが
 
「その橋を渡って少し行くと、モモンガーの巣箱が有るよ。昼間だから出てこないけど見てきたら?」
 
   さっそく小さな橋を渡っていくと直ぐかわいい巣箱がいっぱいあった (´∀`)
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    凄い低い位置にまで・・・
 
  おじさんいわく、「高いところが好きなやつも低いところが好きなやつもいるからね~」 
 
                 モモンガー見たかったなぁ~。 
 
おじさんとても親切に、作業の手を休めて、いろいろ教えてくれた
「森林管理者」?だったかな?腕章をしてた
 
帰り、山の中で、見っけ~♪
あのホテルに活けてあった 「ツルウメモドキ」 !杉に絡みついて、実は赤くなってました
 
       こんなの見つけたけど、なんだろ???
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     右上の岩の間から細い管から水が流れています。
 
  それを、バケツが受け、バケツの正面に管が出て・・・左の方へ引いて有りました。???
  なんでバケツで受けてそこから管引いてんだ??(○'。'○)? 誰かいたら聞いてみたいけど
     だ~れもいませんでした。
 
 
  往時に気にかかっていた 「みたき園」 に寄ってみました。  料理屋さんみたいです。
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  団体が入って賑やか、、、そこに紛れて中に入ってみました
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  いいですねぇ~。情緒たっぷり、雰囲気あります。
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  右側奥に見えるのは鳥小屋らしく、庭には数羽の立派なニワトリが地面をつついていました
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  働く女性は皆、姉様被りに もんぺ。 良い演出です
 
  丁度お昼も近かったので、ここで食べていこうかと思ったけど
  夫が (・A・)ヤダ とぬかすのでやめますた。  川魚、山菜料理は嫌いなのです。
 
 
「粟倉」に抜け、「道の駅あわくらんど」によってみたけど、関東では見られない柿があったのでゲット
みかんもついでにゲット。これが甘味とすっぱ味が程良くて美味しかった!
 
入口に絵が描いてあるトンネルはいくつも越してきましたが、そのうちの一つ。気に入りました^^♪
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           いよいよσ(^-^)希望の 「宮本武蔵駅」 に行きます
 
宮本武蔵は、「美作国(岡山県)宮本村に生まれた」、という説も有れば、他の説も有り、謎ですが
ま、美作、という事にしておき、「武蔵誕生の地」「武蔵の墓」がある「宮本村」へ行きます
 
                          武蔵神社
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この辺には、武蔵と両親の墓、や、武蔵の生家や、武蔵生誕の地の碑、
 その横には吉川英治の碑があり、武蔵の資料館もあるし、
 「武蔵の里」エリアのシンボルとして、  「宮本武蔵顕彰 武蔵武道館」があり
 「宮本武蔵駅」もある。
 
駅は面白い作りで、待合室や、その周囲など、「お金かけてます」 と見え見えだけど、
ちょっとチグハグな感アリ。
 
駅だけではなく、折角、「宮本武蔵」、という日本中に名の知れた歴史上人物ゆかりの地、と
格好の名所なのに、なんだか、もうひとつ、冴えない
 
なんでだろうか?前から来てみたいところだったのに。
 
一か所一か所がみ~んなバラバラで、なんだか、宮本武蔵、の名前ばかりが浮いてる感じ
何とも中途半端で物足りなかったし、つまらない。
 
 
腹減ったコールが始まり、あまり気は進まなかったが、背に腹は代えられぬ、と
「道の駅彩采茶屋」に入ったら~♪ 
これが大当たり!!!!安い・早い・旨い!ものにもよるのだろうが、まず味噌汁が旨い! 
 
天丼のてんぷらが絶品。 こう云う所で有りがちなボテっとした厚い衣ではなく、
薄い衣でラリと揚げてあり、胸やけのするような脂の嫌な匂いが全くしない
 
こういう店が家の近くにあったらなぁ・・・
 
セルフなので丼を下げに行った時、「ホント、美味しかった!ごちそうさまでし(^▽^)♪」
   作ってたお兄さん「ありがとうございます」と言って
              頭に被っていた手拭いに手をかけてニコッッと笑った
 
                 いい顔でした。
  作るものと、それを食べるものとの気持ちが通じた一瞬でした。
 
とかく「慣れ」で、「作ればいい」「出せばいい」となってしまうが、味噌汁の味が一時が万事でしたね。
 
 
ここで、今夜の宿を決め、予約するが、夕飯は用意できないという。 まだ昼なのに・・・
他に探したが無いので仕方なしに決めたが、
 
「レストランは有りますか?」 と聞けば「無い」 というし、近くに食堂は?「なにも無い」
社持ち込みはいいですか?と聞けば 「原則禁止」だとさ (。◡ˇ‸◔)
 
             ま、近くに行って考えよう。
 
お抱えの運転手さんは、これからどこへ行くとも言わずにやたらと細い道に入ってゆき・・・・
結局引き返す・・・・その繰り返し    「ねぇ、どこに行きたいの?」
 
「たしか美咲町に棚田が有ったんだ~」って。。。。。 (ノ_< ;)また棚田かぃ、
「狭い道やめようよ、ハラハラするの もう(´・д・`)ヤダ 」
 
「いや広い道で一回りできるみたいだよ」
 
そんなこと話していたら、美咲町の町役場があったので、聞いてみると
ナント~、美咲町は合併しており、恐ろしく広い!まだまだまだま~~~~だ先らしい><;
 
    役場のちょっと先にあったJR津山線の「亀甲駅」 。眼が時計になっている。
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           どういう訳かこの街は「たまごかけごはん」が名物らしい?
 
   窓口の駅員さん(私服)に「ホームに入ってもいいですか?」 「どうぞ~^^」
 
  丁度岡山行きの電車が停まっていて、津山行きが来る所で、夫写真を撮りまくる(笑
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    駅のいたるところに、いろんな亀(作り物)がある
    駅近くに亀の甲羅のような岩(亀甲岩)があることから「亀甲駅」の名になったとか?
 
     ひろいひろ~い美咲町の「大垪和西の棚田」にやっと辿り着きました
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なるほど、見事ですが・・・田んぼは、やっぱり水を引いた時か田植えを終わったころがいいなぁ。
 
普通、棚田と云うと細い道をうろうろしなきゃならないんだけど、
 
ここは車でグルリと一周出来るようなコースの案内が有るので安心して車で回れるのがいい。
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           陽が傾き始め、西の空がピンクに染まり美しい
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   陽が暮れないうちに、国道に出たいので、夕日の落ちるのを待たず帰る。
 
国道53号をひたすら 小1時間程走り、目的の「湯迫温泉」(ゆばおんせん)「白雲閣」に到着
 
電話でいやな予感がしたんだ~ 。 当っちゃったよ(>へ<。)
番頭だかマネージャーだか知らないけど、電話に出た爺さんだ。 案内するのもその爺さん
 
結構立派な構えで大きなホテルなんだけど(客室55室)従業員の姿があまり見えない
ほんとにいやな感じ、客を客とも思わない横柄な態度と物言いには呆れたが
ま、泊まるだけと思えばいいや、と思い我慢。
 
私が (ー`´ー)ムッ!とした顔をしたら急に機嫌を取りり始めた。ホントにいやな奴、!
すーっと威張ってりゃぁいいのに、顔色見て媚びるくらいなら最初から威張り腐るなってんだ!
 
このホテル「健康村」と言って日帰り温泉もやっているみたいだ
 
夫が風呂で話した人が言うには、「夜、広間で芝居があり結構面白い」、と言うので
たまには見てみるか?と言ったが・・・・ ・((o(≧▽≦。)o ぷぷぷ・・・・ダメ、見てられまヘン
 
先ず、踊り、白塗りした男女が4人で踊ってるんだけどまったく揃ってないし
東京音頭みたいなもので5つぐらいの振りを繰り返すんだけどね・・・合わんのよバラバラ
真ん中に5歳くらいの子供を立たせて一緒に踊るんだけどね、踊ると言うより勝手に遊ばせてる、
 
という感じで時々気が向くと大人について歩く(踊るというには・・・)
 
「かわいぃ~」と思えばいいのかも知らないけど、
                        これ宿泊客は無料だけどお金払って見てる人もいる
 
舞台にあげるならある程度仕込んで覚えさせてから上げれば?と思う
子供を出しに使ってるとしか思えない
こう云うのを見る人は、可愛らしさ、という事でこれでいいのでしょうけどね
 
次に出てきた「梅沢富男?風」の女形 怖~ぃ~~!(爆)超!デカイ (本人も周囲も大真面目デス)
とてもとても見るに耐えられず、そそくさと出てきてしまった。
 
お風呂で夫と話した人、ベンツの○○型に乗ってるって言ってた、確かその車1千万位するはず。
 
「へ~~、趣味って面白いねぇ、あんな凄い高級車乗りまわして、 
 日帰り温泉に来て1日遊んで、学芸会みたいな(失礼<(_ _)>ゴメン)お芝居見て、 面白いってサぁ、 
 
                                   人さまざま好き好きってこの事だねぇ・・・・」
 
などと話しながら明日の予定を話しながらやすみました。
                                     ホント世の中おもしろいなぁ。(-o-)zzzz

(317)【漂蕩の自由】壇一雄

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2003年8月25日発行
中央公論社  
文庫本
222ページ 
762円
 
図書館で借りる。
 
 
 



家宅の人を若い頃読んで 壇一雄に呆れかえり、 それ以後 彼の著書は読まなかった。
 
 
「リツ子・その愛、その死」をちょっとしたきっかけで読み感動し、本書を読んでみた。。。
 
う~ん、家宅の人の続きみたいなもん カナ?
 
自由気ままに世界をまたにかけて遊び歩いた。という本

私にとっては、読んでも読まなくてもいい本で、暇つぶしの本。最後は飽きた。
 
やっぱり、エッセーみたいなものはあまり好きではない
 
勿論、面白いエッセーもあるし、満足感に浸れる物もいっぱいある
 
しかし、なかには
 
作家の殴り書きに思えてならないものもある
                      (本人にとっては決してそんな事は無いのかもしれないけどネ)
 
こういう類いの内容って、どこまで真実で、どこまで作ったものだかわからない
 
作りごとをちりばめるのならば、いっそのこと「小説」を読みたい。
 
 
裏表紙より
うろついてゆくその先が、自分の居場所である ――。
韓国へ、台湾へ、リスボンへ、パリへ、マラケシュではメジナの迷路をアテなくさまよい
ニューヨークの木賃宿ではコーンフレークをバーボンで流し込む。
世界をまたにかける「老ヒッピー」壇流放浪記
 
これだけ放浪し、あれだけの実力のある作家ならば
もう少し面白い読みごたえのあるものを書いてほしかった。
 
彼のものを読み、面白くないと、つい「家宅の人」の中のシーンを思い出す

家宅の人、が途中から書けなくなり行き詰った時
何でもいいから食い繋ぐため原稿料を稼ぐために繋ぎを書いた、というようなシーン。
 
ま、わかるけどね、本書を読みながらそんなことを思い出した
かる~く書いた。という感じがした。
 
その気になって書けば、多分もっともっと面白いものになったと思うけどなぁ
                                         表現力豊かな方だしねぇ。
 
この方は遊ぶため飲むため放浪するために原稿用紙を埋めたんだなぁ・・・
 
                   と思ってしまう。
 
 
彼の初期の小説が面白いかも・・・・売れてからは却って粗製乱雑??になったのかもね
遊ぶ金欲しさに~(*^艸^*)

           壇さん、想像で勝手な事を云ってごめんなさいましね<(_ _)>
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