2010年09月

夢に出てきた彼女

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恵美ちゃんに会った

仲間のお餞別を一緒に買いに行こうと誘われて、付いて行った

買うシーンは無い

恵美ちゃんの家に行き待たされた (その家は一緒に働いていた頃遊びに行ったことが有る)

なかなか来ないので覗くと誰かと話している

待つ事しばし ――



彼の女のお母さん(お会いした事が有る)に、アナタそんな所で何をしているの?と尋ねられ

「恵美ちゃんを待っています」

「恵美子はもう出かけて、ここには居ませんよ」

「・・・・・・・・」

あっけにとられ、慌てて後を追うが見当たらない


その後も長々続いた 「夢」 だったが、起きて家事をしているうちに忘れた


この夢は妙にリアルな夢だった


恵美ちゃんは私が社会に出て一番最初に知り合った人であり

仕事のイロハも、社会人としてのイロハも、その他沢山の事を彼女から教わった


大変可愛がっていただいたものの、あまりにも密な付き合いだったばかりに、争いもあった



そのうちに彼女も結婚した。お相手は私の上役でもあった方だった


彼女は町田、私は調布に住み、数度の行き来も会ったが

そのうち、徐々に距離が空き、疎遠になった



私が挫折し、人生の壁にぶつかり悶々としていた、ある年の正月、元旦

わざわざ御夫婦で尋ねて来てくれたのである


御主人は、私の落ち込んだ姿を顔を見るのがつらい、と言う事で、外で待っている。と言う事だった


重箱に、におせちを詰め、お餅と一緒に、短い手紙が添えてあった

几帳面な美しい文字で

「○ーちゃんおめでとう。

        黒豆を食べてマメに、数の子の数ほどの幸せを掴むのよ

                       早く元気になって、また笑顔を見せてね。えみこ 」


連絡の途絶えた彼女がおせち料理と一緒に届けてくれた、この時の手紙は、

未だに一字一句漏らさず覚えている



彼女御夫婦には、お子さんがなかなかできず、随分悩んでおり、怪しげな宗教にまで手を出し

あれほど賢明で、冷静な彼女が!?と、私を驚かせた

が、しかし、その後すぐ子供を授かった




そしてまた疎遠の時期が続いた数年後

突然彼女から電話が来た

「もしかしたら、私、死ぬかもしれない、もう一度、○ーちゃんの声が聞きたかった」


脳腫瘍が見つかり、その場所が手術しても取り除けない場所であるが

今、手術しないとどんどん機能がマヒしてしまうので、取りあえずの手術を受けるが、

場所が場所だけに・・・・。と言うものだった


それが手術の前日だったと思う




手術が終わり集中治療室から出た事を家族に確認し、見舞いに行ったが

4人部屋、部屋番号は間違えてないはずなのに、寝ている人の顔を覗き込んでも彼女は見当たらない


もう一度ネームプレートを確認・・・・

良く良く覗いて見ると、その人は、かすかに目を開け、「ムニャムニャ・・・~ちゃん」


恵美ちゃんだった!

歯は全部、抜け落ち、片目は完全に瞼が落ち、もう一方の目は、半眼、頭には包帯・・・


顔はむくんで、と言うより、腫れあがり、私の知っている恵美ちゃんの面影も無く、

いっぺんに老人のような容姿になってしまった

あまりのショックに、平静を装うのが難儀だった


いとまをし、病室を出てから電車に乗るまでの道を泣きながら歩いた。。。ショックだった



それから二度の手術を乗り越え、車いすになるのを必死のリハビリで乗り越え

ゆっくりだが歩けるようになり、入れ歯も入り、頭にはカツラを付けていた

半身は付随である


お見舞がてらに、遊びに行った時、

その不自由な体、何とか動く片手だけで、食事を作り、振舞ってくれた

私が手出しをすると、リハビリの一環だから、と決して手伝わせようとはしなかった



彼女と会ったのはそれが最後であった。



てっきり元の生活を取り戻したと思ったが

後々聞けば、夫婦仲はあまりうまくいっていなかったらしい

御主人にも肝臓ガンが見つかり、持病の糖尿も酷くなったが、

本人は治す気も無く開き直っており、喧嘩が絶えなかったらしい





そして次に彼女と出会ったのは白木の棺の中だった。

電話で連絡を貰った時、てっきり手術で?と思ったが

不自由な体で、マンションの階段を降りようとして転げ落ちたのだった



急いで尋ねたら彼女の家はとても賑やかだった

近所の人や友達が来て炊事をしていた

其の時出されたのが近所の人の作った「五目ずし」・・・・

え?!と思ったが、彼はそれを美味しそうにパクパクと喰らい「○~ちゃんも食べて、美味しいよ~♪」


妻を事故で突然亡くした夫とは思えないようなあっけんからんとした、ふるまいだった

「自分の妻が亡くなったと言うのに、よくそんなにパクパク食べられるわね

                            よくそんなに豪快に笑えるわね」

 悪たれをついてしまった

「だって死んじゃったもん、仕方無いだろ?

      彼女もきっと皆に(って誰だ?!)迷惑かけたくなくってサッサと逝ったんだよ、きっと」

「・・・・・・・・」

ここにはもう用は無い、と思い、彼女と最後のお別れをし、そそくさと引き上げてきた

電車に乗っても涙が止まらなかった

通夜、葬儀には事情が有り出席はしなかった



そして納骨も済んだ頃、電話でお墓参りがしたいからと、電話をしたが

「遠いぞ~、」八王子の方と聞きいたが、途中邪魔が入り電話を切り、そのままになってしまった。


それっきり。。。。


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そして夢に彼女が出てきた

数えてみたら丁度、17回忌であり、それも、彼岸の中日だった


古い年賀状を探し、電話をしたら

                「使われていません」。。。。



彼はどうしたのだろう?もうかなりの年になっているはず

肝臓がんや糖尿が悪化して死んじゃったのだろうか?



それとも、あのマンションを売り払って老人施設にでもいるのだろうか

一人娘さんはもう子供がいてもいい年だけど・・・・



亡くなって直ぐ、お悔やみに行った時、娘さんに

「何か、困った事があったら私の事、思い出してね

 お母様にはお世話になったのに、何のお返しもしないうちに、逝ってしまった

 其の分貴方が困った時に力になりたいの。何かあったら私を思い出してね。必ずね。」


といって別れたが。。。。


娘さんはどうしているのだろうか?



どんよりした空を眺めながら思い出を手繰っている。


17回忌のお彼岸に、彼女が、「私の事、忘れてるでしょ~ |‿◔。)・・・」

そう言って夢に出て来たのかも知れない。



ごめんね、恵美ちゃん、忘れてた!

お墓参りに行かなくても思い出したら手を合わせるからね

時々は、思い出すから。

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感動

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子供の頃からも、成人し、勤めに出るようにってからも、悲しいことや嬉しい事、色々体験したけれど

「感動」した事は無かったし、「感動」を知らなかった


「感動初体験」、は 「蛍」 を生まれて初めてみた時。

それも半ば人口的に造られた庭に人工的に放たれた蛍だった



それは、私の誕生祝いに、と、義父母が椿山荘の「蛍の夕べ」に招待してくれた時のこと

お目当てのローストビーフをたらふく食べ、メイエベントの蛍観賞へ

暗闇の中を、黄色い光がふわりふわりと飛んでいるの見た時

      「きれい・・・・」言葉にならず絶句。  涙が出てきた

《 その時、絶縁状態の母に「見せてやりたい」と思ったのが未だにどうしても不思議でなりません。》


夫も義父母も宮城県の奥に何年か住んでいた事が有るので、蛍なんぞはさんざ見ていたせいか

私が感動し、固まっているのが以外に思えたらしい

大体、σ(-ω-;)めは、何が有ってもビクともしない、可愛げのない嫁だったから・・・

ウルウルしてるのを、気付かれるのが恥ずかしくて先頭に立ってサッサと先を歩いたのを覚えている

その後暫く立ってから、「あぁ、『感動する』とはあの事なのだ。」 と知ったのであります


2回目の感動は、

やはり義弟と義父母と富士山5合目へ御来光を見に行った時。

御来光も感動ものだが、それよりも、朝陽に染まる雲海を下に見た時、

やはり感動と寒さで身体がと心が震えた。



このように、生まれて初めて感動体験をし、3回目までの感動はハッキリと覚えている。



段々感動しやすくなってきた、と言おうか、歳のせいと言おうか、

最近ちょっとした事で直ぐ感動するようになった

心が素直になったのだ。と自分では思っている。

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  前置きが長くなったが・・・・   (オィオィ!これ前置きかよ~><;)一人突っ込みッス^^;


お彼岸はお墓参りの梯子をする

3か所目のお墓は横浜に有り、義母の母親の墓。

その隣には彼女の従姉妹の墓もあるので、ここはいつも来ると2軒分。


車を降りると、手桶を持った女性と、夫が「暫くです」と挨拶を交わしている

????

長い結婚生活で、彼の知人は、学生時代と職場以外の人は全部知っているはず

誰だろう?

と思っていたら後ろからお線香の煙をたなびかせながら

太ってメガネをかけた初老の女性が「あら~!」

・・・・σ(゚∀゚)あら~!



    とても複雑な関係な人で、

義母の従姉妹の義弟の別れた母娘だった。親戚との血縁関係は全くない。



私が前の家にいた時、義母の従姉妹夫婦と御近所さんだった

その御夫婦の、旦那の、弟が(国夫としておく)再婚した相手だった。

仮に和子さん。としておく。


和子さんは双子の女の子を抱えた母子家庭であり、

彼女が蕎麦屋で働きながら生計を立てていた時に、国夫さんと知り合い、再婚し、茨城に住んでいた


最初会った時は双子の女の子はまだ小学生くらいだったろうか?

反抗期でも有り、母親が再婚した事も有って親戚の集まりの席でもシラケており

全く愛嬌も無く、可愛げのない子供たちだった


和子さんは、と言えば、太った体をデンとそっくり返し、ズケズケと物をいい

初対面でもタメ言葉で話しかけ、馴れ馴れしく、ちょっとずうずうしい所もあり

あまりい良い印象では無かった


私は義母の従姉妹の事をを「依子おばちゃん、依子おじちゃん」と呼んでいた

おじちゃんには、立派な名前が有るのだけれど、何故かそう呼んでいた


おばちゃんの家と我が家はすぐ近くなので頻繁に行き来をしていた

おせっかいで、何かと言うとしゃしゃり出てきて最初のうちは鬱陶しいい存在だった


義母は自分の目の届かない所で、依子おばちゃんが、私に余計な事をしないよう

釘を刺していたのを見ている。それほど当時は「うるさがた」だった


しかしその分、面倒見もいいし、良く気の回る人で色々な事を教えてもらった


優しくて人が良いおばちゃんは、其の双子の事も多分可愛がっていたのだろう

依子おばちゃんの義弟の再婚相手の連れ子。と言う事になる



そうこうしているうちに義弟夫婦は「別れた」と聞いた

確か別れた時は双子の女の子は高校生くらいだったのかな?

そのあたりは定かではない


それからかなりの月日が経って、

依子おばちゃんの義弟、和子さんの、元亭主の「国夫さん」が亡くなった

だから別れた「和子さんの娘さん」とも血縁も無いのだから、全くの他人となる


所が、依子おじちゃんが亡くなった時の葬儀に来たのである


法事にも顔を出した


私は良くそのあたりは聞かなかったので判らなかったが

その頃は二人の娘さんは立派に成人し、美しい娘になっていて

必ず一緒に顔を出し、香典も別に其々の娘も持って来ていたようだ


そして依子おばちゃんも亡くなった

和子さんの別れた亭主が亡くなってから10年?もっと経つ


依子おばちゃんの葬儀は変わっていて、いろいろ大変なことが有り

私も忙しかったのであまり記憶にないのだが、「和子さん母娘」と挨拶をしたのは覚えている


とっくの昔に離婚し、その別れた国男さんも亡くなり、国男さんのお兄さんも亡くなり

全く、まっ赤っ赤の他人だった。と言う事はその時はすっかり忘れていたのである。


そして依子おばちゃんの49日と1周忌の法事は、極々身近な者だけで営んだ

そこに「和子さん母娘」が姿を現したのである

依子おばちゃんの息子が呼んだんだのかとも思うが、彼氏は、そんな気の効いた事をする人では無い


「依子さんには本当に娘共々お世話になったので
                     お線香だけでも挙げさせて貰いたい」と

強引に電話をして出席したのだと言う事だった



この時初めてこの母娘とゆっくり話をした

彼女を良く良く知れば、駆け引きやら、お世辞やら、社交辞令など

人とうまく関わってゆこうと言う、潤滑油的なものを一切持ち合わせていない人らしく、

ありのままなの人なのだ。と言う事がうっすらと見えてきて、

薄い壁が取り払われ、話が盛り上がったのを覚えている

或る意味とても強い人でもある


その母娘と、今度は依子おばちゃん夫婦の墓で会ったのだ

和子さんにしてみれば、依子おばちゃん夫婦は、真っ赤っ赤の他人であるはず。


依子おばちゃんには1人息子がいるが、何時行っても、墓には花も無かったし

誰かが来たような形跡は全くなかった、家は墓から30分くらいの所である


和子さんから「Sちゃん(より子おばの息子)は元気かしら?年賀状も来ないし・・

   年賀状なんてどーだっていいんだけどネ、元気でやっているのかな?って思ってネ」


σ(・ω・)「さぁ~、おばちゃん亡くなってからあまり彼とは行き来無いから・・・家も遠くなっちゃたしね」


「元気ならいいんだけどね、依子さんSちゃんのこと心配してたから」(Sは独身)




依子おばちゃんはとても良い人で、お付き合いも多く義理堅い人だったから

彼女が生きてる間は賑やかだったけど、S君の、おばちゃんの葬儀での、あまりの非常識さに

皆があっけにとられ、おじちゃん側の親戚一同、全部が引いてしまったようである。


おばちゃんが亡くなればもうあとは関係無い。と思っている親戚ばかりらしい。

その中で、和子さんは茨木からわざわざ横浜まで悪い足を引きずって出てきたのである


おばちゃんがやっていた通りの墓参りの仕方、

カップ酒の封を切り、好きだった和菓子やら季節の果物を備えている

娘は墓を洗っている。


見ていて感動してしまった。


人間の「中味」「心」。強く考えた。

私達との関係も

夫の母親の従姉妹、の連れ合い、の弟、の再婚し、別れてしまった人。 だから微妙である。


和子さんは義母の心配もしてくれる

「最後に有ったのが依子さんの法事だった。元気だったのにね、具合どう?娘たちが良くしてもらったから」

ずり下がった大きな眼鏡を指で上げながら私の顔を覗き込む。。。。

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我々の墓参りはアッサリしたもので時間もかからない

ここの墓は、私たち夫婦以外来る人も無いのだが、大勢の人が入っている

義母が親戚内で、入る墓が無い人を一手に引き受け、この墓に入れたのである。

だから刻んである名前を見ると名字もバラバラだ。


墓に線香と花を供え、挨拶を交わして別れたが、その後、ずーっと彼女の事を考えてしまった

夫も多分同じことを思っているのだろう、無言。

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帰宅後、しみじみと和子さんの話をした

「人って深く入ってみないと判らないもんよね・・・」

    「うん、そうだな・・・」

「あの娘さんいい子だわね~、外見は多分お父さん似なのね、見た事無いけど^^;」

    「うんうん、そうだな」


          と言う訳で、感動しきりな私でした


人に感動与える事など滅多にあるものでは無いけれど

さりげなく、それをくれた和子さん。尊敬します。


          ―――――  更に夫婦の会話は続き ――――

しかし和子さん立派だなぁ。

普通出来ないよね、いくら世話になったってったって

ずーっと前に別れた人の義姉だもの。ホント感心しちゃう。


依子おばちゃんってサ、おせっかいな所もあって、

うるさいなぁと思ったりしたけど、考えてみると、本当にいい人だったよね。

あの息子、わかってるんかねぇ。

おばちゃんは義理堅い人だったのに、親戚中に義理欠いちゃって、

せめて葬式が終わるまではちゃんとすれば良かったのに

彼女、何のために、あんなに、お金残したんだろうねぇ。

良く茶飲み話に「お葬式代くらいは残すわよ~」って言ってたんだけどね


お墓を継ぐ人、バカ息子しかいないし、花が有るの見た事無いし

なんだかかわいそう

  (この墓は、義母の母親を慕っていた依り子おばちゃんが

     わざわざ義母の母親の墓の隣に建てた墓で、まだ10年経っていないと思う)





私たちも『あのバカ息子夫婦が』って言われないようにしなくちゃね」


      「もう言われてるだろ」     (´Д`|||) ドヨーン 



                                チャンチャン! 

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(216)【太宰治 集 】 太宰治

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日本文学全集70巻
昭和42年9月12日発行
集英社
全428ページ  ¥290円


図書館で借りる


先月、青森の「離れ座敷」「斜陽館」を見学し、俄然太宰に興味が湧き、

全集で 「走れメロス」「人間失格」が載っているものを借りた



斜陽。人間失格。思い出。地球図。道化の華。ダズ・下マイネ。皮膚と心。
畜犬談。駆け込み訴え。走れメロス。待つ。お伽草紙。父。桜桃。     以上14編。



【人間失格】

「恥に多い人生を送ってきました」

あまりにも有名なこの一節で始まる


子供の頃、一番苦痛な時間は食事の時間で有ると言い

自分の幸福の観念と世の全ての人たちの幸福の観念とが、まるで喰い違っているような不安が有り、

何が欲しい?と聞かれると、何も欲しくなくなり、

どうでもいい、どうせ自分を楽しくさせてくれるものなんかないんだ。

と思う


では「自分」を楽しくさせてくれるものはなんだったのだろうか?

この年の子共にしては醒めている

その一方皆の前でおどけて見せる「おちゃめ」でもある
「お道化」によって人間を欺いており
修身教科書的な正義とか何とかいう道徳にはあまり関心を持てず
表面欺き合っていながら清く明るく朗らかに生きている、あるいは生きうる人間が難解だ
と言いながら、人を笑わせることが得意だ。と言う

自然に自分の行っている事ややっている事を人が面白がるのではなく

意識的に笑わせるのだ

大家族で、上下の兄弟に挟まれ、疎外感を感じていたのだろうか

無意識の内に、常に注意を自分に引き付けておきたかったのだろうか
実家にいる時は何不自由ない生活をしていたのに
高等学校に入学し、下宿生活を始めると送金だけでは間に合わなくなる
部屋にひとりでじっとしているのがひどく苦痛であり
政治運動に傾いたり、友と酒を飲み歩いたりし、学業は放棄していた
高等学校2年(20歳)の時に第1回目の心中未遂事件を起こす

相手の人妻だけが死に、太宰は生き残る


2回目は、妻の不貞を見てしまい、そのショックが尾を引いたのか、

衝動的に、ジアール(催眠剤)を一箱一気に飲み3昼夜眠る

医者は過失とみなしているのであまり人には知られずに済んだ


間もなく最初の喀血をする
世の中の不幸の人達は世間に対して堂々と抗議が出来
また「世間」も、その人たちの抗議を容易に理解し同情します

しかし、自分の不幸は、全て自分の罪悪からなので誰にも抗議しようがないし
また一言でも抗議しようものなら世間の人たち全部
よくもまあそんな口がきけたものだとあきれるに違いないし
自分はいったい「我がままもの」なのか、又はその反対に気が弱すぎるのか
自分でもわけがわからないけれども、とにかく罪悪のかたまりらしいので、
何処までもおのずからどんどん不幸になるばかりで防ぎ止める具体策などないのです
やがてモルヒネ中毒になり、薬代は嵩みいくら仕事をしても間に合わなくなる
地獄
この地獄から逃れるための最後の手段
これが失敗したら後は首をくくるばかりだ。という、
神の存在を賭けるほどの決意を持って故郷の父あてに長い手紙を書いて
実情のいっさい(さすがに女のことは書けなかった)を告白することにした

しかし待てど暮らせど何の返事も無く、その焦燥のためかえって薬の量を増やしてしまう

そんな時、友人が来て「お前喀血したんだってな」、そう言って、とにかく入院しなければ、
と言われ、付いていったのが、結局サナトリウムだと思っていたら精神病院でした

断じて自分は狂ってなどいなかったのです。一瞬なりとも狂ったことはないんです

神に問う。無抵抗は罪なりや?
人間失格。
もはや、自分は完全に人間でなくなりました。
実際は彼の父親は彼が14歳の高校入学直前に死去しており、この時は兄が引き取りに来る
「もう、お前の過去は問わぬ、生活の心配もかけないつもり、何もしなくていい
直ぐ東京を離れ田舎で療養生活を始めてくれ、
お前が東京で、しでかしたことの後始末は、大体、○○がやってくれた筈だから、それは気にしなくていい

故郷の山河が見えるような気がしてきて、自分はかすかにうなずきました
まさに廃人。

父親が死んだことにより更に一層腑抜けたようになる
自分の苦悩の壷が、やけけに重かったのも、あの父のせいだったのではなかろうか?とさえ思う
それから3年
いま自分には、幸福も不幸も有りません
ただ、一切は過ぎてゆきます
自分がいままで「阿鼻叫喚」で生きてきたいわゆる「人間」の世界において
たったひとつ、真理らしく思われたのは、それだけでした
ただ、一切過ぎてゆきます
自分は今年27になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から40以上にみられます。
これでこの小説は終わり、あとがきがある

「人間失格」を書きあげた後、玉川上水に入水自殺する。



小説の中の最後に「自分は27歳」と言っているが、実際は39歳であった


あとがきで、

登場人物に「お父さんが悪いのいですよ。私たちの知っている葉ちゃん(太宰)は、とても素直で

      良く気が利いて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、・・・・

                                神様みたいないい子でした」

                と語らせている。



「人間失格」は小説であるから、彼の年表と見比べると年齢などチグハグなところがあるものの

 ほぼノンフィクションに近いのでなかろうかと思う



家庭環境の影響もあるのだろうが、太宰自信、非常に繊細で線が細い


長い人生、生きることに悩み苦しむことは多くの人が経験する事であろうと思うし

信じていた者に裏切られ、人間不信になることだってあるだろう

だが突き詰めて考えてしまう人でも、それを自分なりに消化出来る人と

消化出来ず、いつまでも引きずって雪だるま式に増やし深みに嵌ってしまう人がいるのだろう


そして、物書きという才能に恵まれたばかりに、書いてゆくうちに自分自身を「不幸」と思いこみ

自分の文章で自分を呪縛し、益々、不幸のド壷に嵌ったのではないだろうか


もっとも自殺する前は頻繁に喀血していたので、捨てばちになっていたとも思える

かれの一人の子は「障害」が有り、それも悩みの種だったと言う



しかし、彼は死のうとする時、何故人を道連れにするのだろうか?

お互いの家族はたまったものではない、太宰の家族は、いつも振り回される

自分以外の人を思う余裕があれば、このような事件は起こさなかっただろうけれど・・・


太宰は頭が抜きんでて良く、成績は常にトップクラスだった

絵を描く事も好きだったらしい

もし、「書く」才能がなければ、これほど自分の事を掘り下げ、それを継続出来たただろうか?

もし、小説家になっていなければ、死なずに済んだのだろうか?

芸術家肌であって、どっちにしても屈折し繊細すぎる神経の持ち主であった事は確かだと思う



「太宰治」は、彼を取り巻く環境によって作り上げられた作家なのだろうか?

彼は家族の中で常に疎外感を感じていた

顔が美しいかそうでないか、に拘る家族

その家族に、美しくないと言われて傷つく彼


母親を母だと知ったのは6歳ころではなかっただろうか

母と離れて暮らしていた訳ではない、同じ屋根の下で暮らしいたが

叔母が「治」の母親的な役目をやっていたようだ

それ程母親は彼に対して「母」としての立ち位置にいなかった。ということだろう

産んで乳母に預けてしまい、子守に育てさせ、自分の姉に「治」を委ねていた

ソリに乗って叔母の家に連れられてゆくとき、自分は貰われてゆくのだ、と思ったと言う


人間失格を読みながら「檀一雄」の「火宅の人」を思い出した

太宰もまた「火宅の人」であった

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年表を見ると、

昭和23年6月、「人間失格」の「あとがき」以外を、雑誌『展望』に連載

8月に「あとがき」を載せ簡結。

6月13日深夜、女性と玉川上水で入水自殺。


年表では、

昭和4年に思想的な悩みからカルモチン自殺を図ったが失敗

5年 銀座のカフェーの女給と江の島出心中するが太宰だけ助かる

10年新聞社の入社試験に落ち、鎌倉山で縊死を図るが失敗

12年水上温泉で心中するが未遂に終わる

太宰は合計4回自殺未遂を図り

5回目で本当に死ぬ。





【走れメロス】

自分が自分を何処まで信じる事が出来るか。自分を試した。

私は、この話は、それに尽きると思う



この話は親友であった「檀一雄」との出来事を基に書いたと伝えられる

本書の中に、このエピソードが出てくる話しが、確か有ったと思ったけれど、どれだったか覚えていない

巻末の「奥野健男」氏の解説の中だったろうか?・・・

それはこんなに美しい話ではなく、

   太宰のエゴ丸出しの話で、檀が怒り出そうとすると自分流の屁理屈をつけて黙らせた。

と言う逸話だったと思う。



そ~か!そうだとすれば、

私の思う、「友の信頼に足る自分」などを描いたのでは無いのかもしれない(-w-)



                              


8月の津軽旅行で

五所川原から「走れメロス号」に乗った当時は、全く「物語」の内容を知らずに乗ったが、

もし、これを読んで乗っていれば、ただボーっと、どこまでもまっすぐな線路を眺めるだけではなく

何かを思い浮かべて乗ったかもしれない。


       たったひと月しかたっていないのに、また津軽へ行きたくなった。

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能登半島へ③ 輪島~片山津

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249号線沿いの、曾々木口を脇道に入ると「時国家」がある
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時国家とは、
平大納言時忠の流れをひく能登一の名家。
源平・壇ノ浦の戦いで敗れた平家一門の平大納言時忠は、能登(珠洲)に流されることになった
その後この地に移り時国家の祖、平時国が生まれたとされる。 
時国は平家であることを捨て、時国を姓として時国家を興し、現在の輪島に移り住んだ。

困窮していた近隣の農村の救済を図り、この地を支配する豪農として長きにわたり繁栄し、
江戸時代には天領、大庄屋として名字帯刀を許された。 

時国家は1831年から28年の歳月を掛けて建てられたもので、国指定重要文化財に指定されている。
この先には、もう一軒の「上時国家」が有るがそちらはパス

看板には「大きな上時国家」と書いてある、ちょっと笑える

下に有る(我々が立ち寄った)時国家を「下時国家」と言っている

下時国家は、確かに小さい(苦笑)
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下時国家の前の稲はすっかり色づき、頭を垂れていた、刈り入れ間近。


249号に戻り左へ折れるともう輪島市に入り、また塩田が広がる
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車を降りて塩田を見ていると作務衣を着た男性が現れた

   砂に撒いた海水を、どうやって塩と砂に別けるのか不思議だったので聞くと
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海水をまいて見せてくれ、それから一段階づつの作業を見せてくれ、説明してくれた
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きれいな塩が出来るまでに何回もの工程を経、白く、まろやかな塩が出来るのだ


    「珠洲の塩」と、「輪島の塩」、別けて、こだわっていました^^;


お店に入ると「塩ソフト」が有った。前回、味をしめていたのでまた買う

 ゚Д゚)! 今回は普通のソフトクリームに塩をかけた ・・・・・・チョットガックリ




名船漁港を過ぎると、国の名勝「白米の千枚田」がある
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海に面した急斜面に、千枚とも二千枚とも!?(゚Д゚≡゚Д゚)?!言われる

小さな田圃が海に向かって段々に敷き詰められており

海の青さと、稲の黄金色、まわりの樹木の深い緑とのコントラストが美しい



昨日組み立ててる所を見た「キリコ」を思い出し、「キリコ会館」にも立ち寄ってみる
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能登地方の夏秋の祭礼には各町内から「キリコ」と呼ぶ巨大な御神灯をかつぎだす習慣があります
神輿の夜道の灯りとして、前衛後衛をつとめるキリコは「切子燈籠」のことで「切籠=キリコ」と略された
そのキリコに工芸的装飾が施され、現在のような豪華なものになった。
能登全域でキリコの本数は大小あわせおよそ~700~800基あり夏には毎日能登のどこかでキリコ祭りが行われている
キリコ会館には20本基以上のキリコが、陳列されています。

会館内の色々な写真を見ていると、鮮やかな「赤」が目に留まる
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「禊ぎのために海に入る巫女さんの一群」の写真でした。 何と華やかな事!
  あ!(*^m^*) 袴の裾まくり過ぎな人が約一名。そんなに上げてはいけませぬ(*^m^*)


輪島の朝市、立派な駐車場が出来てる!
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以前来た時とはかなり雰囲気が違う気がする

素朴さなどは全く消え、観光市になりきっていて面白くもなんともない

暑い事もありサッサと引き上げる



暑さに少々辟易しながら「曾洞宗大本山総持寺祖院」を見学
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明治の大火で多くを焼失し、本山は横浜市の鶴見へと移された。

法堂は修理中で見られず、柵やら三角コーンがありこの渋い寺には似合わない
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山門。
こういうお寺、大昔も設計図と言うものが有ってそれを見ながらやったのだろうか?

何と芸術的な事か、といつも思う

山門から出ると、若いお坊さんが背中を丸め、墨染の衣をなびかせ、チャリに乗って疾走~!

その楽しそうな、嬉しそうな笑顔!次々に三人。其の三人とも嬉しげ

何処へ行くんだろ?



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鳴砂の浜として知られる能登半島の琴ヶ浜ですが浜には下りず上から見る事にしました

とてもとても暑そうで^^;

それに、最近ここの砂は鳴かなくなったと聞いてますし~


この辺りは「能登半島国定公園」にもなっています

サーファーの間でも人気のポイント。この日もいい波が来ていました


能登金剛あたりは能登観光のハイライトであり、前回来た時は観光客で賑わっていました
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ところが、この日は人影もまばらで、寂しいくらいでした
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私が見たかったのは、前回行った時、腹ばいになって見下ろした「ヤセの断崖」

松本清張の「ゼロの焦点」で有名になった、あのダイナミックな景観です

ところが、矢印の案内に沿って行っても、それらしき崖が無い!
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「ここじゃない!」でも他に有るんだろうか?と思えど、大体が、その近辺の風景が全く違ってるのです

綺麗に道は舗装され柵が有り柵の外は草が生い茂っている

ガッカリして引き返そうとすると、看板が有りました
2007年3月、マグニチュード6.9の能登半島地震が発生し、「ヤセの断崖」の、海に大きく突き出た岩場の30mの部分は、崩落してしまいました
そうだったんだ!惜しいなぁ、絶景だったのに
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20年くらい前に行った当時の写真です
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覗きこんだスリルだけは未だに覚えてます

地震の震源は、目の前の沖合で直撃だったようです

昔の風景と、今見た、無残な何のヘンテツもない岩?崖?の落差を思いながら引き返そうとすると・・・
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○印の所、拡大すると、(*゚Д゚)エッ!
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そんなとこ、入ってはダメだと思う~と話しながら駐車場に戻ると・・・

何やら変な格好したオッサン達と目が有ってしまった

「σ(・.・).....??」

苦笑いしながら何となく会釈  (とても不思議な雰囲気だったのです)

すると、何も聞いて無いのに、

「いやぁ~、能登金剛で、新種の蝶が発見された、という報告が有りましてネ、採取に来たんですよ_(^^;)ゞ

  なんだかこんな恰好して恥ずかしいんですけどね~、(^^;)ゞ」

「そうなんですか!さっき、柵のず―っと先まで行っている人見て変だなと思いました

          お仲間なんだ!(^▽^)oハハハ~、見つかるといいですね~頑張ってください」
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どこかの、なんじゃら研究の関係者なんだろうね

お三人共、膝まで長靴、デッカイ虫網、腰に籠下げて断崖の方に消えてゆきました

仕事、楽しそう~♪(爆



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千里浜渚ドライブウェイを走ります。ここは私の希望

以前来た時は人影もまばら、車も少なかったけど

この日は海水浴客もまだまだ夏の名残りの海に入ってました


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波打ち際を走れる珍しいロングサンドビーチが8km続いてます

砂浜を走ると、ボディに受ける感覚がいつもとは違う

窓全開!潮風が気持ちい~ぃ♪


国道249号線に出て、―能登有料道路―北陸自動車道・金沢IC―片山津ICで降り、今夜の宿泊先を探す

当初の予定は山代温泉だったのに、何故か片山津になっちゃった・・・

観光案内が有ったけど、私は雰囲気的にどうも気が進まぬ

夫の後に付いて入ったけど、案の定、あまり希望には添わぬところだった

「安い所・・・」と言うと「安い所は有りますが私どもはそういう所は案内しておりません」

私は夫のシャツの裾を引っ張り(山代まで行こうよの合図)目配せ

だが通じず、予定オーバーの旅館?ホテルを紹介される

ま、仕方ないか (-ˇ_ˇ-。)

ホテルに荷物を置いて近くを散策

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浮御堂
弁財天と竜神を祀る片山津温泉の新名所で、夜にはライトアップされる

陽が沈むころになると三々五々に人が集まり夕陽を眺めるポイントになっている

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柴山潟大噴水
霊峰白山を映す柴山潟のほぼ中心に、拭き上がる噴水は、高さが70mにもなる

15分だか30分だかに、一回噴き出すらしい
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そうこうしているうちに、恋人同士の間を割って夕陽が落ちて行った



4日目

ホテルの部屋から、柴山潟に浮かぶ浮御堂が見える
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6時前、朝陽はもう昇っていた


朝風呂に入り、朝食をしっかり食べ、横浜に向けて出発!

昼過ぎには無事帰宅しました。

                          走行距離1460km





昔は海辺に行くと都会では食べられないような新鮮なお魚、や変わったもの、

刺身なんかも、ダイナミックな切り方で、産地らしさが有ったけど

今は、全国大して変わらない



旅して変わったもの美味しいものを食べようと思うとアテが外れるようです

景観や空気、土地の人との交わりを楽しむつもりの方がいいようです



   青森と能登を回って感じた事は「人の良さ」、本当に人々は、皆親切でした。
 

能登半島へ② 見附島~禄剛崎燈台

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能登に入ってから、ずーーっと思っていた事、

この地方の屋根は95%、 いや、もっとかもしれない。艶のある黒瓦です
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どんな粗末な建物でも「屋根」が付いていれば光った黒瓦です

たとえ物置でもそうです。何か理由が有るのでしょうか?



この地方でたまに見かける「ぼら待ち櫓」
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ボラの習性を利用した独特の漁法で、海に4本の丸太を四角錐に組み、その上に人が座り、

仕掛けた網にボラの群れが入るのを待つ漁法

現在の、櫓は観光用に当時のものを再現し、数か所に設置してあるそうです



海岸沿いの国道249号線を通り九十九湾目指します

何かやってる!  車を降りてみよう
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今日の夕方かキリコ祭りが有り、その準備ですって
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キリコと呼ばれる山車の飾り付けを若者がやっていた



九十九湾遊覧船に乗船。夫希望

私は腰が引ける(´A`;)が付き合う

静かな湾内をゆっくり進み、途中で餌をまき魚を集めるけど・・・

なんだか黒っぽい魚がワサワサ寄って来て、餌食べて散った

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蓬莱島。九十九湾のシンボル

乗船客は女の子3人連れと2人連れ、それに私たち7人だけ。実に風通しが良いです^^;

餌付をするときは、船長さんが「ハイ皆さん右に寄って!」「ハイ左に」「船底に降りて」

ぶっきらぼうであります

その度に、「(*゚∀゚)ノ゙は~ぃ」と皆で良いお返事♪


でも!ガラス越しに海底を覗いても、ぼんやりと海藻が揺れるのが見えるだけ

濁りがひどく魚影無し(´Д`|||) ドヨーン

「上に上がってください」  おお~「ください」がついた(*^艸^*)


船を下りる頃は船長さん、最初とはうって変わって友好的でございまして、

「ありがとね、また来てね」ありがとね。何回も行ってました(苦笑

40分間の遊覧でした。



夫に、この遊覧っていくらなの?

「(-o-)1500円」。 

(魚o魚) !・・・・>┼○ バタッ



恋路海岸を通り見附島へ(軍艦島)

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夫が言う事にゃ、

前回来た時やっぱり夏で、(新婚当時?か?)

泳いでいた人を、私が見て、「とてもうらやましそうだった」そうな。

私は軍艦島に来た事は覚えているけど、他の事は全く覚えていない


だから今回は「泳がせてやりたい」そうなんすスけどね

汚いんです(>へ<。)。

ここで泳ぐなら青森の海の方が百倍綺麗でした

それに泳ぐ雰囲気では無いッス

一応「夏は海水浴客で賑わう。」とは書いて有りましたけどネ




若山川の下流にかかる「吾妻橋」の欄干には「大黒様」と、後ろ姿は多分「恵比寿様」
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何だろうな・・・変わってるよな~、何か意味でも有るのだろうか?




住宅街を走っていると煙を吐いてる古そうな煙突が見え
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道路際には、石川五右衛門が出てきそうなデッカイお釜が置いてある
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「焜炉(コンロ)」などを作っている工場だとか、チト気になるけど先を急ぐ



「道の駅狼煙(のろし)」に車を止め、急な坂を登る、登り切れば、燈台が有る筈です。息が切れます

後ろを振り向けば、
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例の「艶のある黒瓦屋根」が密集している狼煙集落が見える

昇りきると広々とした芝生に出、丸っこくて可愛い燈台が有った

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ここからは「日の出と日の入が両方見られる」と書いてある

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今来た道を引き返す

登って来る人の荒い息遣いと上目遣いに先を見る姿は、先刻の私を見るよう

「道の駅狼煙」をのぞく

焜炉が陳列してあった
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先ほどの煙突が有った工場ではこういうものが作られているらしい

子供の頃このコンロを使って母が煮物をしていたのを思い出す

それにしても今やコンロは「高級品」なんですね~ |m・)


今夜のホテルは珠洲ビーチホテル、今来た道を戻らなければならないが

下る細い道路が有ったので「行って見る?」と興味半分でGO~♪


5分も走るとどん詰まりの駐車場に付いた

見ればなんだか櫓のようなものが有る
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なんだろ?

車を降りたら、

黒いはっぴを着、白い手袋の男性が揉み手をしながら笑顔でやってきた 

「お泊りですか?」

    ((○'。'○)ん?・・・・それらしきもの(旅館)、何も見えないけど??)

     「あの、ちょっと見学したいんですけど?」


「(⌒ー⌒)ノどぅぞどぅぞ!宜しかったらあちらもご覧ください」と、黒い櫓を指さす

チラ、と崖下を見れば
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おお~素晴らしい!

足元を見れば小さな「らんぷの宿」と言う木札が有った

櫓の下に行くと「見学料300円」空中展望台「スカイバード」と書いてある


(○'。'○)ん?先ほどの人はもう背中をみせて反対方向に歩いて行っちゃった

・・・・こっちを見ていないし

・・・・周りには人っ子一人おらず券売機が有るだけで入口が有る訳でもなく

・・・・入ろうと思えば無料で入れる

が!私はそういう事は致しませんのでアリマス(`・ω・´)キッパリ

@300円払い、櫓に昇ってみると!「ランプ」の宿の全景が見えました~♪

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突き出てる突先まで行ってみたけど櫓の上からの景色とさほど変わらない

ランプの宿の評判は聞いていたけど、こんな所に!偶然でした^^



確かに上から見ると、宿全体はとてもいい景色で絵に描いたよう

でも!「ランプの宿」と言うには、何か、、、何か、違和感が有るのはなぜだろうか???

素朴さが全くない。いいんですけどね^^;奥の別棟の方には煌々と電気が点いている

「ランプ」、とは「ウリ」であって、電気は通っているけど「ランプの仄かな光を楽しむ宿」ってことか


上から見ればちゃんと舗装して車が通れる道もある。ランプである必要は全くない

取ってつけたような水色のペンキが場違いな、「プール」もチラと見える

            なんだかなぁ~夢が破れちゃったよ


駐車場に戻って白手袋男に「ハイ」って入場券を渡すと

「どうぞ記念にお持ちください。今度はぜひお泊りにお出でください」。だって!

「とてもとても私ら来られません。噂は聞いてますから(お高いと言う事ネ)」

「いえいえ~」とか言っちゃって「どうですか?お写真撮りましょうか?」

実に如才ないのでありました


見ていると、外国客が多いようでした。(ランプの宿





さてさて現実に戻って今来た道を20分くらい戻ると

われらの今夜の宿泊先「珠洲ビーチホテル」が見えてきました

このホテルにも大浴場は有りますが

ホテルのサービスで、目と鼻の先に有る「鉢が崎温泉鈴の湯」のチケットをいただきました

即!荷物を部屋に置き、温泉、温泉~♪

そしてから夕食ですが、「釜飯」と書いてあったので全く期待をしていませんでした

が、お値段の割には質・量共に満足できました



3日目
ホテルのお風呂に入って無いので大浴場に朝一で行ってみました

温泉では無いので何となく物足りない

窓の外は松林でその向こうには海が見える

朝食までにまだ時間が有るので松林をそぞろ歩き、海に出てみました陽はもう昇っています 
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朝食も美味しく頂き、いつもに比べればゆっくりの出発

12号線を少し行くと「道の駅すずなり」が有りました
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2005年まで運行されていた能登線の珠洲駅跡地で
ホームだけが残されており、
今日はそのホームで朝市が有るそうでその準備をしていました

大谷峠の手前にさしかかると風力発電の風車が見えてくる
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何基あるんだろう?アチコチで見るこの風車、どのくらいの電力が賄えるんだろう?


少し走ると、工事中らしく旗を振って「ストップ」の合図
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前後の車も無く、の~んびりストップ。。旗のおじさんに夫が色々聞いている
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道路ってこうやって作って行くんだ!へ~!
邪魔にならない所に車を止め写真を撮っていると「そうだよ、こうやって作っていくんだよ」
おしさん、親切に丁寧に説明してくれた
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お仕事中なのに有難うございますた



249号線は、海に出る

少し右に行けば「ゴジラ岩」が有るらしいが、パス。

左へ進むと砂場みたいなものが見える。
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「塩田」だ、

ここからは塩田が多い

中を覗くと、味見用の塩が置いてあったのでなめてみる

まろやかで、精製塩のような鋭いしょっぱさでは無い

塩アイスが有ったので、一つ買ってみる
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¥300円なり

ちょっと高いな、と思ったけど、んまい!(゜▽゜=o)程良い塩加減と甘さがこれぞ絶妙!高くないわ、コレ



曾々木海岸に差し掛かる辺りにトンネルが二つ見えてくる

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小さい方は「八世乃洞門」2007年の能登半島地震で被害を受け今は通行止めになっており

危険な岩塊群を迂回して造られた大きなトンネル「八世乃洞門新トンネル」が2009年に完成した
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小さなトンネルの上からは「垂水の滝」が35m下の海岸めがけて流れ落ちています

このような海へ直接流れ込む滝は珍しいそうです

この暑さので雨も少ないせいなのか、滝の量は少なく迫力に欠けていました


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蛙に見えますか^^;

「窓岩」
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名前の通り、空いた穴から向こうの海が見えます。

近くには「ポケットパーク」が有り車が停められるのがいい



      次は海をちょっとだけ離れお、屋敷?を見にゆきます

                                 つづく

能登半島へ①魚津~能登島

夜明け間近北の海は波も荒く

          心細い旅の女泣かせるよう

                 夏から秋への~能登半島~♪

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夏から秋へ、休みが、たんまり有ります。

喜んでいいのか?(・∀・)イイ (・A・)イクナイ (・∀・)イイイ (・A・)イクナイって、どっちゃでもええわ


連休が有ればじっとしている夫じゃぁないんであります

夫の帰り次第、即!出発

練馬IC・関越自動車道―藤岡JCT・上信越―上越JCT・北陸自動車道―魚津



途中、今夜のホテルを確保するため、横川SAから魚津のホテルを予約したけど

大浴場の有るホテルが満室で取れなかった

数件当たって、ようやく取れたのが、ビジネスホテル「ベストイン魚津」



横川を出ると妙義山のギザギザとした岩山が見え

   群馬と長野の県境のトンネルを出ると、浅間山が、右手から正面へと移動する


浅間、好きだなぁ~、少し雪が有った方が情緒が有っていいんだけどネ


妙高高原で新潟に入ると、急に鼠色の雲が垂れこめて来た





ホテルの狭いユニットバスでシャワー浴びるのは嫌なので、温泉か、スーパー銭湯を探そう♪


魚津の手前の黒部で一般道に降る。黒部ならどこかあるだろう


   キョロ(・ェ・^)) ((^・ェ・)キョロ・・・


右には魚津の海。 夕陽がどんどん赤みを増して海に向かって下りてゆく


そう言えば、以前この辺りの「金太郎温泉」に泊まったこと有るよね

                   日帰り温泉もあったような気がする・・・



ガソリンスタンドがあったので給油ついでに情報収集

スーパー銭湯があると言う。ホテルの近くだ

金太郎温泉も近くだったが、スーパー銭湯「満点の湯」に行って見る

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新しく綺麗、広くて気持ちい~ぃ♪¥700円なり

ホテルが安かったので、これでもおつりがくるかもネ

ツインで、¥8000円です (*´∀`*)


受付を済ませる

何と!我々が最後の予約客で満室だった!アブナイアブナイ。

宿泊客はサラリーマン風の人や仕事着のオッちゃんばかり。 まぁビジネスHだからネ

難点はレストランが無く、近くには焼肉屋とラーメン屋しかない

車で少し走れば賑やかなところに出るけどそうすると飲めないし

すぐ傍のラーメン屋「はじめ家」に入りました


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この店は、横浜にある「吉村家」の流れをくむ『「四天王」の一人の店』。。という看板があった

吉村家さんは、勤先のすぐ近くに有ったので、何度か食べた事がある

味は吉村家より、かなり濃厚でした

この店、店主の客への気遣いがホッとさせる。 吉村やさん雰囲気硬いから(苦笑


                             本日の走行距離 400km


2日目
ホテルは朝食が付いているが食べずに6時出発

右に富山湾が見える。魚津は蜃気楼の街

4月から6月の早朝の無風で肌寒く、急に気温の上昇がある日に良く見え、

夏でも条件がそろえば見えることもあるらしい



左には霞みがかかった山並みの、稜線が美しく

手前には黄金色に実ってきた田んぼが朝陽に反射して、またこれも美しい


    魚津・北陸自動車道―小杉IC―高岡―七尾 


港に公園があり、能登食祭市場が有ったので寄ってみる
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まだ開店間際で客はおらず、店は開店の準備で忙しそう
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イメージ 6店頭にこんな、お猿さんがいました
「いやなこと」??思い当たらないけれど、一応ナデナデして来ました

夫は?と見ると、また見知らぬおっちゃんと話してる^^;、情報収集かな?
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今夜 逗留する「珠洲」の事を色々聞いてきた

おじさんさすが船乗りで

「こっちは天気悪いけど軍艦島辺りに付く頃は晴れてるから泳げるよ

             でも、珠洲に泊まるって?!何にも無い所だよ、」って(;^ー^)

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和倉温泉を通過し、能登島大橋を渡り能登島に入ると
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通過してきた和倉温泉街が見える

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史跡名勝天然記念物にも指定されており、国指定史跡「須曽蝦夷穴古墳(すそえぞあなこふん)」は

「一風変わった古墳として有名」だそうです

面白いと思ったのは、2基一対の「雄、雌 墓室」となっています
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雄穴は、主を葬ったと推測され、平面T字形に設計されており

雌穴は、雄穴より規模が一回り小さく、平面逆L字形に出来ています


古墳の中は、屈むと入れるほど高さで奥は意外と広い
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まわれ右、をして出ようとすると、七尾湾の景色が見えます
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島を回ってみると、思ったより広く走りでがあります
目指すは
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「のとじま水族館」でした

ここに、ジンベエザメがいると知り、夫が希望。
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脇目も振らずジンベイザメ館に直行!
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ん~・・・

会えて嬉しかったけど、、なんだかかわいそうな気がしました


あんな際限のない広い深い海で悠々と泳いでいたデッカイ奴が

こんな狭い水槽に入れられちゃって・・・



沖縄でも水槽で泳ぐジンベエ見たけど、もっともっと広くて、のびのび泳いでいたし

ジンベイが泳ぐ海域に生息する魚も、一緒にいっぱい入っていた


ここは丸い水槽で、大して大きくも無い、そのなかをグルグル泳いでいる

ちょっと、なぁ・・・

ま、仕方ないかもしれないけど気分は下向き (_ _*)シュン


ハンマーヘッドには自然界では、会っていない
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伊豆沖にいると聞いたけど、流れが速く私には無理だと思い行っていない

随分小さいハンマーヘッド、子供なんだろか?(゚・゚*)迫力に欠けるなぁ

随分とパワフルなカメや
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笑うカメや
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イルカや
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を見ていたら
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なにか、頭上に視線を感じた
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ペンギンでした^^
ここは水槽がトンネルになっていて頭上を魚が右から左と往き来自由
でも殆どペンギンしか通らない

一番可愛くて気に入ったのがこ奴(^▽^)σ
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少しの間もじっとしていない
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いたずらっ子、と言う感じでヒョッコリ水面から顔を出すしぐさがメッチャ可愛い (´∀`人)

ウチに連れて帰りたいくらいだわ~ん

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帰り路を急いだら ペンギンがお散歩していました *^‐^)

毛の抜け変わる時期とかで毛並みあまり美しくないけどヨチヨチ歩く姿がかわゆぃ
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何故かこのペンギンを見て姑を思い出してしまいました^^;

もっと見ていたいけれど先が有るので水族館はこれでお終い

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来たときとは違う橋の、ツインブリッジを渡って島を後にします


                           つづく

(215)【風待ちの人】伊吹有喜

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2009年6月23日第1刷発行
2010年6月8日第3刷発行
ポプラ社 単行本
351ページ ¥1400円
図書館で借りる

第3回ポプラ社小説大賞特別賞受賞作




東大卒で銀行に勤めるエリートの哲司は、39歳

仕事に疲れ、妻との関係に疲れ、鬱一歩手前だった


会社に6週間の休暇届を出し、亡き母の住んでいた岬の家を訪れる途中

トイレに行くためドライブインによると

「幸せを運ぶ」と言う伝説のペコちゃんを行きがかりで車に乗せることになってしまった



彼女の名は喜美子。哲司と同じ齢だった


自らをおばちゃんと呼び、遠慮が無く、ずけずけ物を言う


哲司はそんな彼女が煩わしく鬱陶しい



だが彼女も実は心に傷を持っていた


そんな二人がチグハグながらだんだん理解し合い惹かれてゆき

お互いに傷をなめ合いながら再生してゆく。

                        と言うお話。



だが彼には、妻子がいたのよね~

そのあたりが物語を作り上げていきます



気になったのは、其の奥さまを一方的に「悪者」に仕上げちゃった

もう少し何とか描き方が無かったものかと思います

その方がこのストーリーには似合うような気がしますけど・・・・



綺麗なラブストーリーです

登場人物が少なくて分かりやすく皆魅力的な人ばかりです



最近やたらとややこしい話、登場人物が多い話

時間軸がズレズレになる話が多い中で、こんな本に出会うと、凝った頭が揉みほぐされるような気がします



本書の著者、伊吹有紀さんの「49日間のレシピ」も読ませていただいきましたが

やはり優しい話で、ジーンと来るものが有り、何度か鼻がクスンクスンとしました

刺激の少ない優しい物語、たまにはいいです

1日で読んでしまいました。後味スッキリでした。

旅の費用

竜飛岬

ガソリン代         約150L@130円=19500円
高速道路代         約          20000円


8・18日。ルートイン北上駅前          10800円

8・19日。サンルート五所川原          13860円

8・20日。浅虫温泉秋田や            22000円

8・21日。むつグランドホテル          25000円(うち、ビール1600円)

8・22日。ダイワロイネットホテル仙台      13300円(うち、駐車料金1000円)

見学入場料                     7000円(位)

駐車、電車、船                   5700円(位)

車陸送料                      2350円(

こまごま食べ物                  10000円(位)ソフトクリームおにぎり他

竜飛ウニ丼、大間マグロ丼、種差ウニ丼他      15000円(位)

土産                        1000円(位)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
           合計           約 178650円

(214)【海賊モア船長の遍歴】 多島斗志之

イメージ 1 ,
1998年7月7日初版発行
中央公論社 単行本
2段組み 389ページ
¥2300円

図書館で借りる

本を読むきっかけになったのは「テラさん」の書評を読んで。



海賊の話と言うと

片目に黒い眼帯をかけナポレオンが被るみたいな帽子をかぶり

その帽子には髑髏のマークがついてサーベル?を振りかざしている

勿論日本人では無い。

こんな図が私の頭に刷り込まれている。


なんでだろ?子供の頃読んだマンガだろうか?
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これは、17世紀から18世紀にかけてインド洋周辺を舞台にした海賊のお話です
東インド会社の航海士だったジェームズ・モアは、会社からあらぬ疑いを掛けられ職を失い
新婚の妻が変死して投獄され(後に嫌疑不十分で釈放される)失意のうちにすさんだ人生を送っていたが、知り合いの水夫長が見かねて自分が乗り組んでいた船に連れてくる。

これこそキッド船長指揮するアドヴェンチャー・ギャレー号で国王から海賊討伐のお墨付きをもらった船なのだった。

「海賊討伐のお墨付きをもらった。」と言えどもただそれだけで、給料が支払われるわけではなく

「海賊から没収した資産」を我が物にし、それでやりくりをしなければならない

挙句に、資金を貴族から出資者を募るので、航海後に戦利品を分配しなければならない


故に、海賊に出会えなければ、だんだん資金も無くなってゆき、食料や水を買うお金も無くなる

航海を続ける事も、手ぶらで帰港する事も出来ない

「前門の虎後門の狼」状態であるのであります
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結局は、「海賊討伐船」が自ら「海賊」になり追われる身になる

その辺の、出だしから面白い


キッド船長は強奪した船に乗り換え、アドベンチャー・ギャレー号を沈めてしまおうとするが

キッド船長のやりかたに疑問を持つモアは、アドヴェンチャー・ギャレー号を譲り受け、

モアに続く数名の仲間と共に新しい掟の下、新しい航海が始まる

ここで船長をだれにするか決めなくてはならない
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これがまた面白く、実に民主的で、全員が意見を出し合って決める

更に船長になったからと言って全権がある訳ではなく、決定事項がある場合、皆の意見を聞き決定する

強奪品の分配の割合もキチンと決めておく
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海賊船のマーク、髑髏の旗をいつあげるか、と言うのも面白い

一般の船を装って航海をするが、獲物を見つけ、接近すると「揚げるか?!揚げろ!」と髑髏の旗を揚げる

この旗を揚げると、元気が出る。雄叫びを上げ自らを奮い立たせ、戦闘態勢に入るのだ

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相手は主には金品の積み荷が多い商船、他、追ってくる軍艦とも戦い、海賊同士の駆け引きなどもある



モア船長肝心な所でアッサリ騙される

読んでて「あぁ・・・話に乗ってはならぬぞぃ」と思うが乗っちゃうんだなぁ(><;




登場人物はそれぞれ個性的で分かりやすい

戦う船との比較も面白いし、戦闘の描写もいい

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「薔薇十字団」が出て来た時は、その名前が妙にマンガチックで

本書からは浮くのでは?と思ったがこの「薔薇十字団」がこの物語の進行の大きな役目を担っている



クライマックスはモアの復讐場面。盛り上がります



恋愛御法度の海賊船、なのに

人質の姫やお付きの女性とのほのぼのとしたシーンも有るのですよ~(。◔‿◔。)ウフ



2段組で分厚くボリュームは有るが退屈する事無く、楽しめました

海賊船もの、何故かワクワクします。

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最北端へ⑥【蕪島~帰宅】

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港から赤い鳥居が見える
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蕪島の頂上に有る「蕪島神社」は

”ウミネコの繁殖地として国の天然記念物に指定されている”

と言うけれど、ウミネコはあまり見なかったなぁ~
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「かぶあがりひょうたん御守」を見るや、」夫は即買い! (*^艸^*)
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お守りの始まりは、東京から来た参拝客に

「”蕪島”なんだから株にちなんだお守りはないの?」と言われたのをきっかけに、

蕪島の「蕪」と「株」をかけ、持ち主の株を上げるお守りを考案したところ、

評判が評判を呼び、神にもすがりたい人が続出したそうです。

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蕪島から八戸線に並行して走る「うみねこライン」の眺めは素晴らしい

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所々ある海水浴場や展望台に寄り道しながらクーラーを切り、ウィンドウを開け放して走る

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青森を離れる前にもう一度「うに」が食べたい!ので、お昼は種市まで我慢する事に

夫が事前調査したらしくお店はすんなり決まりました


でも、「レストラン」って書いてあるしねぇ、喫茶店と言う外観

消防車が停ってるけど大丈夫かな~
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テーブル席が、七席位、奥に座敷が二間有る

注文も取りに来ないし、注文しても待てど暮らせど来ない


二つの座敷からは、人の出入りがかなり頻繁だ

上がりはなには、埃まみれのよれよれの同じブーツがキチンと揃えて脱いである
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そこから出てきた人は・・・|Д゚) !消防署員!

時間を見れば、1時半。。。
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座敷からぞろぞろ署員が出てきて消防車に乗って帰って行ったけど

制服で消防車で飯食いに来ていいのか????



食事がなかなか来ないのでトイレに行ったら奥の座敷の手前で仁王立ちの男かいる

どかない。。。「スンマセン通してください」と言ったら、どいた (。・ˇ_ˇ・。╬

なんじゃこいつ?!と思いつつ、嫌でも開け放たれた座敷が目に入る

厚化粧のギャルがいて撮影していた

これ隠したかったの?だったら襖閉めればいいじゃんねぇー (-`ω´-。)


私は「うに丼」
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夫は刺身定食
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やっと来た。この二つの座敷でゴタゴタしてたんだ

時間をかなりロスしちゃった、

軽米ICから八戸自動車道―安代JCT―東北自動車道
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岩手山、雲が多いなぁ
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宮城県栗原市は、夫の故郷。小学生時代を過ごしました
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米どころ宮城。借り入れはもう間近でしょうか

生まれて数年しか過ごしてない宮城県で、生家も親戚も有りませんが夫はこの地が大好きです

義父は九州、義母は東京の人ですが、戦争で食糧難になった時

義父が「お米がいっぱい食べられる所」と言う事で宮城を選び職についたそうで、宮城に居つき、

新婚の良き時代を過ごしたそうです

結局、学校の問題で東京に帰る事になり、宮城で暮らしたのはほんの少しですが

義父母も夫も宮城県の栗原には特別な思い入れが有るようです

こちらに来ると必ず魚釣りをした川に行き、魚がいるのを確かめ、童心に帰り喜んでいます

そんな夫を見るのが好きで数年に一度はこの地にやってきます

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夕焼けに映える栗駒山を後に今夜は仙台泊まりになります

仙台駅前に出来た新しいビジネスホテルです
同じビルの居酒屋で夕食に有りつきました
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「こちら丸特漁業部」ネーミング一度聞いたら忘れません
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食後仙台の街をそぞろ歩きました

この日は楽天イーグルスが大勝した日で、

駅近辺はイーグルスのユニフォームを着た観戦帰りのファンで溢れ返っていました
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鼻息の荒い事、元気な事、まだ興奮冷めやらぬ。様です。
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仙台に行く途中で、球場はこの近くだと思うから見に行こうか?!と一瞬思ったものの、

気がつくのが少し遅く、行っても8回位だからと思い諦めました
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もう少し早く気付けば私の好きな「マーくん」が投げてたのになぁ~(´・ω・`。)ショボーン
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5日目
6時前に出発予定が駐車場のトラブルで。と言うより早朝は立体駐車場の係の人がおらず

ホテルの人が操作の仕方が判らず、手間取り、結局駐車場の係が出勤してきてようやく出せた



新しいホテルなのでフロントは立体駐車場の操作も慣れて無い


だから!昨夜のうちに「明朝は6時出発するけど駐車場は大丈夫か」と聞いたのに!

言わんこっちゃない (>へ<)

良く有るんです、こういう事


必ず早朝出発の時は、ホテルでも、旅館でも断っておきます

旅館の場合は、殆どが、宿泊代は前払いになりますし、

夕食時の飲み物代などは夜のうちの支払いになります



30分のロス。ま、こんなこともあるサ~(TεT)


今日は一路横浜目指します
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(〃∇〃)

安達太良では自衛隊団体に会いました
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このクソ暑いのに・・・幌付きトラック?の荷台に揺られて行きました

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珍しくソフトクリームなんぞ食べてしまいました

帰りは姑の病院によってご機嫌伺いをして帰宅しました


走行距離 2350km

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5泊6日天気にも恵まれ充実した旅でした

体調を崩す事も無く、事故も無く、温泉三昧のおかげで

この所、胃の調子が悪く、あまり食べられず、体重がガタっと減ったのが、

帰ってきたら食欲も戻り、体重もほぼ元に戻りつつあります

健康に感謝、温泉に感謝、夫に感謝感謝の旅でした

青森、大好きになりました。
                                                                               次の旅へ続く (^ー^* )
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