2009年04月

【でっかいタンコブ!】

イメージ 3

姑は、眠っていた。

声をかけても起きない。

何か・・・・いつもと人相が違うし、、、、、入れ歯も外れかけている

揺り動かしても起きない、どうしたんだろう?

ん?Σ(゜Д゜;?!、、、姑のオデコにでっかいタンコブ!!

唇も切れている。どしたんだ?!・・・・・・う~~ん。。。多分車いすから落ちたんだろう



ナースセンターで名前を記入して、いつものように挨拶したけど誰も何も言わなかった


おでこを見て???と思っていたら、ちょうどナースが覗きにきた。

あまり見たことのない人、新人だろうか?


「このおでこ、どうしたんでしょうか?」と聞き終わらないうちに

「あ、ちょっと待って下さい」逃げるように行ってしまった  ̄ェ ̄)ん?



副看護師長のY看護師が来て言うには

「お母さんは保菌者なので前のようにナースセンターに座らせておく事は出来ないので

 ベッドサイドで車椅子に座ってていただいていました。

 看護師が15分位目を離したら転んでました。本当に申し訳ありません」


「・・・・・・・・」

イメージ 1



昨日、看護師に

「かなり動きが激しくなってきたので、鼻の管を何かの拍子に取っちゃわないか心配です」

と言ったばかりだった

このところ上体と手がかなり動くようになり、「拒否」を示す時や「イライラ」すると

上体を大きく左右にくねらせたり両手を大きく「ツイスト」(古っ!)をするように振ったりする

それが 反動 でするのでかなり強力なのだ

良くなってきたらなってきたで心配も増える、と贅沢な事を言っていたばかりだった

イメージ 1


車いすに座らせる場合、

いい加減な看護師は、ただ座らせる、というだけなので体が大きく傾いたりしている時が多い

酷い時は姑が前のめりになって新米看護師が支えきれず途方に暮れている光景を目撃したことが有った

ナースセンターなので入って手伝うわけにはいかず、ハラハラしたのを覚えている


姑は自分で座りなおすこと、体勢を直すことが出来ない。

座らせれたら、そのまま1時間でも2時間でもそのままである


だから車いすは嫌いで、行くと「助けて~><;」と言うように「クスンクスン」とべそをかく。


そうかと言ってベッドに長く寝かせるのは好ましくない

また、そうかと言って姑を私の力で座りなおさせる事はかなり難しい

車いすは狭いので腰回りに手を入れて持ち上げることが困難なのだ

患者自身が手を使える人や、少しでも立ち上がろうとできる人ならさほど難しいことではないけれど

姑の場合、手に触ると非常に嫌がる、だらりとしていて脇の下に手を回すのも結構技術がいる

要するに「つきたての柔らかいおもちを抱えるようなものなのだ」


椅子からベッド、ベッドから椅子に移す時なども、看護師二人係りでも結構大変だ

だから忙しい時、「ベッドに戻してください」と言うのにも気を使う

イメージ 1


多分新人看護師が二人掛かりでやっといすに座らせ、中途半端な体勢のまま座らせていったのだと思う


前に体が傾き、そのまま前のめり・・・・頭から落ちて。。。だったのだろう


看護師が来てみたらうつ伏せに倒れ、おでこをワゴン台の足についてる車にぶつけていたと言う

手を使えないからもろ顔から突っ込んだんだ。。。

良く骨折もしなかったと思う

イメージ 1


私が絶句していると、A看護師

「これでコブも出来なければ心配ですがコブが出来たので心配するようなことにはならないと思いますよ、冷やしていますから」

「・・・・・・・」

冷やしていると言ったって氷嚢?を乗っけたのだろうがそんなもん乗るわけがない

私がいくら乗せたって手を話せば即!落ちてしまう。

看護師はそれを承知で(落したままで)行ってしまったのだろう


Y看護師、落ちてる氷嚢も見ないで(いやでも目に入るが・・)クールニング?してますから。とおっしゃる。


「念のためにCTとっておきましょうかね、、、、そうしまししょうね。

   こういう場合1時間ごとに経過観察していますので大丈夫だとは思いますが、

                     ご家族は心配ですよね~CT撮りますね(^^;)」


ナースセンターでCTを取ってもらうべくそちらの医師に連絡している

その後、責任者(多分)にも電話を入れている、

事故が起こった経緯、を報告しているようだ。


聞いていると転倒に気づいたのが13時半ころ。

私たちが来たのが16時半ころ。

3時間も経って、この対処。


電話で「忙しかった、食事時間が重なって…」などなど直ぐ報告しなかったことを言い訳をしていた。


私がいつものような笑顔を返さず聞いていたので慌てたのだろうか?



CTを撮るとなるとそれなりの手続きがいるので上司にも黙ってるわけにはいかないし・・・・

イメージ 1


 この間、昼と夜の看護師の交代時間になり、

入院当初から姑の担当だった看護師が、丁度今日の夜担当だった

「大変だったらしいですね~本当にスミマセンごめんなさいね~><;」

姑は周囲の騒がしさをよそに、こんこんと眠っている

「このあまりにも良く寝ちゃってるのがチョット心配です」

と言ってるうちにCTを取る準備ができて連れて行かれた


その後、合った事のない医師が来て

「今のところ心配するような変化は見られません。
            こういう場合は24時間経過観察です、後から出る場合もありますから」

と言う事だった。

イメージ 1


このY副看護師長、次の日あった時は満面の笑顔で

「お母様今日はご機嫌ですよ~???って声出しましたよ('▽^*)ニパッ!」・・・やたらとテンションが高い

しかし次の日からは「ツーン」と言う態度だった

いつもはお互いに「笑顔の挨拶」だった


私が直ぐ「いいんですよ~たいしたことなさそうですから~('▽^*)ニパッ!」とでも言うと思ったのだろうか

いまだに顔を合わせると以前のように普通の笑顔の挨拶は返ってこなくなったのでありました

イメージ 1


起きた事事態は仕方がない事で、看護師の忙しさもわかっているし、私はそれを責めたりはしない

ただ、こちらが聞くまで黙っていて「どってことないですよ、ただ転んだだけです」的な態度に呆れ

こちらの顔色をうかがいながらの対処の仕方が面白くはなかった。

イメージ 1


その三日後、急に担当医から電話が入り、

「『胃ろう造設』が明日の16時半に決まりましたけど、いかがでしょうか?」



夫が先日、なるべく早く、とお願いしたばかりだった

最近発熱もなく落ち着いていおり、転院先が決まりそうなのでタイミングを逸しないように、と思ったものの

先日の「MRSA」菌が痰から出て「保菌者」になった、と言う事を聞いて不安になっていたところだった

医師に聞いたら「MRSA は手術には全く影響ない」と言う事だった

 
う~~ん、、、、医師が言うんだからそうなんだろうけどねぇ、抗生物質も効かないんでしょ~?


このところ、姑の左右の手に、頻繁に「水ぶくれ」が出来ては治り出来ては治りを激しく繰り返している

今でも常に2、3か所出来ている

別に皮膚科に見せるわけでもなし、薬を塗るわけでもなし、

ピッタリフィルムを張り付けて、治るまでそのまんま。。。。


今の傷の治療の仕方はそうなのだろうが、この場合もそんなのでいいのか???


私は水ぶくれが出来る前兆が現れると直ぐわかるが、

看護師は水ぶくれが出来て、私が言ってからは初めてペタンコと張ってゆく

ガーゼを紙テープでちょこんと張ってゆく看護師もいる

後でテープに張り替えるのかな?と思うとずーーーっとそのまんま



はぁ~~~。。。この大事な時に、もし、MRSAの症状だとしたら非常にまずいことになる

転院先が決まりかけている矢先なのに、、、、

神様どうぞ何事もないよう、お願いします (;´Д`)オネガイシマス・・・・

イメージ 2

【施設色々σ(゚・゚*)・・・ウ~ン】

イメージ 1

姑の転院先探しをしました

私としては最初姑に約束した「絶対R(姑のマンション)に連れて帰るから!頑張れ!!」が果たせないまま

このような結果になってしまった事が無念で有り、また申し訳なく可哀そうだと思っています

ですから、すこしでも姑の居心地の良い、住みやすい所を捜したいと思い、このところ片っぱしから

施設見学をしてきました


その中で、印象に残った施設を書きとめたいと思います

イメージ 1


先ず最初に行ったのが「1番希望」であった

【EK病院】(療養型病院)

家から一番近く、乗換え一回で行け、駅から5分の所にある

ここは建設中、良く車で前を通り「何ができるんだろうね~?」と見ていたことも有って何となく親しみを感じた
それでも建設から10年位経っている。駐車場は地下で狭く、切り返さなければ入れられず台数も少ない
面接をしてくれたのは男性ソーシャルワーカー氏。
「S病院(姑入院)のAソーシャルワーカーさんから大体の事情はお聞きしています
 まだ何も知らず未経験な方なので良く教えてあげて欲しい。
 との電話が有りましたので説明しますね」

語り口はソフトで優しく丁寧
だがその内容は
「あんたたち、ここに入れたらラッキーと思いなさいよ、なかなか今どき施設はどこもいっぱいで順番待ちがすごいんですよ。
ここは入ったら、他の施設へは転院はできません。病気になっても前向きな処置はいたしませんし、ほかの病院へは行きません。」

要するに「死ぬのを待つだけです」的な言い方。そしてかなりの上から目線。

調べてきたので大よそのことは承知している
言い方を変えれば、確かにそうなのだが。。。

病棟内を見学したが、掃除は行き届き綺麗、だが暗い感じがした。

費用は想像した標準程度。

【T病院】
療養型病床と一般病床を備えている。 駐車場は沢山あるので問題なし。

距離的には近いが電車利用となるとかなり面倒な上に最後病院まではバス利用となる
 面接は若い女性のソーシャルワーカーさん

料金の事まで事細かに説明してくれる。標準より少しだけお高い。

施設内見学。かなり古い建物だ^^;;

病棟内で働いている人の人数はやたらと多い

掃除の人?荷物を運んでる人?雑用係?介護士?看護師?

ともかくユニホームがそれぞれ違う人がわんさかいて、皆きびきび働いている

しか~し、、、、だらしない^^;

それぞれのベッドの足元に封を切ってはみ出しているおむつの包みが置いて有り、至る所に、タオル、ヤカン、氷嚢、病衣、薬、などの乗った台車が所狭しと置かれており、そこを縫って歩く。

見学した後、お礼を言ったら
「もし、うちの施設が気に入るようでしたら、またAさんを通して話を進めましょう。。お母様に合った所がみつかるといいですね (*^‐^)」と言ってくれた。

この一言がどれほど今の気持ちに温かく響いたことか。
ホンワカした気分でT病院を後にする

【AS病院】療養型と一般病棟を併せ持っている

療養型病院は「内科。リハビリテーション科」等と看板に掲げてはいるが、一般患者は受けていないところが殆どだが、ここは普通に一般患者も来ている。

「人気が有る病院で少し高めです。」と事前にこちらのソーシャルワーカーさんから聞いていた

電車では…不便乗継してバス便になる

駐車場は有料(T∇T)
受付で15分ほど待つと、紹介されていたソーシャルワーカーの女性が現れ、部屋へ案内され更に15分ほど待つ

今度は男性が出てきた。語り口はソフト。。。眼鏡が個性的で気になる (*'_') ジーーー。。。

「今お住まいのマンションはどういうところですか?」に始まり

  一時入居金が幾らだったか、月々の家賃は?システムがどうなっているのか?

  今、退去すると、退去金が支払われるのか???

分からないところが有ったので「分からない」と言ったら、傍で控えていた最初の女性に調べさせコピーを取ってきた。。。。。

ん?????財産調べか?

次に病院のシステム、料金、かなり高めだ。

今までどこか見学されましたか?に「E病院とか・・・・」と言うや

「E病院もうちと同じシステムでいい病院ですよ、お宅からも近いし。
 有料の介護付き施設もこの近所に沢山あります。
 料金は入居金を300万とか500万とか払えば、E病院等と大して変わりませんよ。。。」

延々と他所の施設の説明をする。

・・・シラケル(ーдー)・・・・ここの事を見たくて、知りたくて来たんで余所はこっちで調べるワイ!」

病棟内見学すると、パートと思われる若い女性が多い。が!あちこちで2人3人、とかたまってヒソヒソ・・・

そばを通って聞き耳を立てると。。。。仲間や上司の悪口だった

看護師や介護士もいるが、お構いなし。

ベッドの柵に腰をかけてボーっとしてたり。。。働いている人が少ない。

従業員の質は今までの行った中では最悪だ。


お礼を言ってそそくさと別れを告げる。ここはペケ印を付けた。

まぁ、そちらも採らないだろうがウチの方もお断りだわ(。・ˇoˇ・)
【YD病院】療養型と介護型を併せ持つ

これまでの中で一番遠く、電車で乗り換え1回 4、50分、徒歩15分。

だが日に4本、病院の送迎バスが近くのJR駅より出ている。親切。

環境は抜群。少し高台にあって、桜の頃は病棟全体が桜に覆われる
周りは広々としている
ソーシャルワーカーの女性は50歳位だろうか、事務的で無駄のない「ヤルナ」と言う感じの方

話が早い。
姑は「療養型の審査を通るのは無理」かもしれないと言う事で、介護型なら妥協点を捜せばパスするかも知れない。と言う事だった

話の中で「こういう所でも入所できる方は恵まれている方です。ほとんどの方は自宅介護しながら「特養」を申し込み、気の遠くなるような順番を待ってます
           ここに入所しながら『特養待ち』をしてもいいんですよ」と言ってくれた

施設見学
最初見た目は洒落ていて綺麗な作りに見えたが前面だけが新しい建物で、後ろ半分は昭和の頃の古い建物だと言う

だから病棟と病棟を継ぎ足している。しかしどこからが旧建物でどこからが新しい建物なのか?まったくわからない

廊下はピッカピカ、鏡みたいだ
「きれいですね~」と言うと
「菌の感染は埃を介して散らばることが多く、誇りは大敵なんです。
建物が古い分だけ掃除だけはガンバロウヤ!と言う事で掃除には命かけてます(´∀`;)」
もう、拍手喝采!!!

すれ違う従業員、看護師は皆、軽く会釈をしてゆく
患者までもが、こちらで会釈すると「ん?」と言う顔で、ぎこち無いが会釈を返してくれる人が多い
それに、患者が皆明るい顔をしている、元気!
大きなテレビが2か所にあって車椅子の男性が真下に行って首を直角近くに曲げて見上げている
「テレビのチャンネル争いにならないんですか?」と聞けば
「自分で自由にチャンネル変えられる程元気な人はあの二人だけですから、
                             他の人は興味示しません(・∀・)」
広間では比較的症状の軽い人は「塗り絵」や手芸???を楽しんだりしている

帰りエレベーターの中での話
「入口に普通の病院のように内科、とか書いて有りますが、一般の人はほとんどきません、
             来るとしても血圧を測りに来るくらいで、あとは皆従業員が利用してます
  社員検診用みたいなもんですね^ω^)アハハハ~」

気になった事を聞いてみた
姑の場合、今差し当たって手当をしなきゃならない程悪化しているところは無し、とすると「療養型病床」は審査を通らない
介護型とすれば介護5で、胃ろう、ストマ車いすにどうにか座ってられる状態で手も足も使えない、
となるとこちらも難しく、その上、長期間入所は出来ない、となれば、どこへ行ったらいいんでしょう?

「心配いりませんよ、ネックが一つ二つありますが本格的な審査をして、そこはそちらのソーシャルワー カーさんと擦り合わせをして何とかできると思います。
 ただ、タイミングがあるので審査をパスしてもこちらの空きとそちらの退院が合わないと、
 また「待ち」がながくなりますけど」
と言う事だった

あくまでも親切でこちらの気持ちを深く汲んでくれている
事務的な方だと思ったが話すほどに、温かさが伝わって来る方だった
【YG病院】医療型と介護型を併せ持つ。駐車場は見晴らしが良く晴れていれば我が家の方まで見える

家からは電車で30分乗り換え1回徒歩25分バス10分位
良く前を通っていたので存在は知っており、あまりいい感じのする外見では無かったので、何となく重い気持ちで入ったが
思っていたより綺麗で職員の挨拶もキチンとしていて意外だった

ただ、現場の介護士やヘルパーみたいな人が少ない割に事務関係の制服を着た人が多いのに驚いた

その人達、みな礼儀正しい!わざわざ立ち止まって深々とお辞儀をしてゆく

玄関前のソファーで待つこと10分、
若い女性がやってきた。
「どんなことがお知りになりたいのですか?」
前もってこちらの病院から連絡がしてあり、施設内見学を申し込んである
「・・・料金とか・・・」
う~~~ん、、、、宙をにらんで、、、、大体の概算で○○円くらいですかね~~、、、、
「、、、、、見学させていただけますか?」
建物は中の方がきれいだし広々している、患者の表情も明るいし介護士達も元気で明るい

ただし彼女の料金の概算。。。かなり高め^^;
ソーシャルワーカーは入所しても何かとお世話になる、少々頼りなく、不親切の感アリ。

其々良いところ気になる点も有ったが、贅沢を言えば【YD病院】がいいなぁ

姑としては「施設入り」など誠に不本意、

せめて少しでも明るく、小奇麗な良い環境で過ごしてもらいたいと思う。

早速帰ってAソーシャルワーカーさんに報告する。

(139)【院内感染】富塚恵美子

イメージ 3
1990年1月30日初版発行
1992年5月20日19版発行

河内出書房新社 発行
1600円   229ページ
ブックオフで購入


この本を、病院の帰りに立ち寄ったブックオフで目にし、即購入しました

と言うのも、その日看護師から、姑が 「MRSA 」に感染していることを知らされたからです

私の中で「MRSA」菌は、入院患者にとっては非常に恐ろしい菌で、これに感染すると言う事は

これからもうひとつ手術を控えてる姑にとって、「絶望的」に思えたからです


しかし、いろいろ調べてみると

最近「MRSA菌」に関してはひと昔前の感覚とは少し違うようです

看護師は
「お姑さんの痰からMRSA菌が出ましたから、今後はカーテン内から出る事はしないでください

               出たと言っても我々みんな持っている菌ですから心配ないですよ

                    リハビリの時はマスクをさせて連れて行きますからネ。。」

・・・いとも簡単に言ってのけた

う~~ん・・・

世の中動いているんだ、、「MRSA菌」に対しての感覚や対処の仕方や怖さも変っきているんだな~~

丁度そんな事を思っていた矢先に出会った本でした


本書の初版は1990年1月30日発行ですから、20年くらい前の出来事です。

イメージ 1



帯封に

その悪魔の名は 
“耐性の黄色ブドウ球菌”ハイテク医療の裏でひそかに野火のように広がる現代のペスト
抗生物質漬けの病院の中にしかいない現代医学の不吉な鬼っ子・・・・

平凡な女性が、夫の死の意味を調べるうちに出会った驚くべき事実とは・・・・

最初のページをめくると、
闘病の末に亡くなった夫の葬儀に参列した人たちへ出した手紙から始まっている
イメージ 2


・・・・手紙を書く時に思い浮かぶのは・・・・

病院の痛ましいベッドの中で無念のうちに、その死を受け入れなけらばならなかった夫の顔が、
                                   いつも二重写しになっていた

医師にとっては、沢山並んでいる「樹木」のうちのたった一本だけが倒されただけであったかも知れないが

その一本がどんなに貴いものであったかを、私はしっかり受け止めて欲しかった


彼が受けた手術は「食道静脈瘤の手術」

これは非常にポピュラーなものであり、普通ならばひと月もすれば退院、普通の生活に戻れる筈であった

ICUからリカバリールームに移されてもなかなか捗捗しい回復が見られず

段々体調が思わしくくなり、本人も「死」を意識した時、

「なんでボクは今し死ななければならないの?何が起きたの?こんちくしょうめ、」と言った

「怖い感染症が起きて、薬も効かなくて困っているのよ」とはとても言えない。


 このときの「なんでボクは今死ななければならないのか」と言う夫の疑問を 

「きっと私が突き止めてあげるわね」と心に決めた

そして紆余曲折が有りこの本を出版した

彼が入院していたのは天下の東大病院

今はどうか知らないがこの本が出版された頃は建物は古く、風が吹き抜けるような処にリカバリールームが有り、それはそれは酷い環境だったらしい


今、私はこの本を読んでいちいち頷けた


病院とは、本来 清潔 だと思い込んでいだが、そこは呆れるくらい「清潔」には程遠いいところである

私も姑に付き添い4か月余り通っているが、看護師たちの「衛生管理」のズサンさには驚く


確かに「言うのは易し、行うは難し」の感も有る

私も長年仕事をし、種々雑多な問題を経験してきたから 物事理屈通りにはいかない、 と言う事は痛いほどわかる

それにしても。の話だ。

看護師や医師は毎日の事でそちらの方には「鈍感」になっているのだと思う



カーテンの外に出るなと言ったって、カーテンそのものが既に菌だらけなのだ

必ずカーテンを開けて入り、閉め、また開けて出て行き閉めてゆく。


ここは消化器科でストマ(人工肛門)手術が多く、

従ってストマ交換はどこかのベッドで頻繁に行われている

明らかに「便」と思われるシミ汚れが、カーテンにもタオルケットにもクッションにも付いている

最近それが富に酷い。
(四月で新入看護師が入り、指導で忙しい事、看護師長が交代したことにも原因が有ると思う)


カーテン1枚隔てた隣には、手術を終えICUから戻ってきた患者がいる

自分でトイレに行くことも食べることも出来ず、管につながれた「菌」の好みそうな免疫力が弱っている患者だ


何かの統計を取るので、病院中の色々な「菌」の検査をした結果

医師と看護師が使う電話、携帯、のほとんどから「MRSA」菌が検出されたと言う

この本は20年前に書かれた本だから、その頃と今とでは「MRSA」に対しての考え方がかなり変わっている

今はそのころと比べれば「MRSA」をそれほど恐ろしく思っていないらしい

何故だかわからない




この方は手術から57日目に亡くなった

新聞の死亡広告欄に載った位の人だから、何か社会的な仕事をやっていた人なのだろう

その欄には「肝不全」と発表された

だがしかし、、、、


本文より
「食道静脈瘤離断手術後の耐性黄色ぶどう球菌感染による多臓器不全」が正確な死亡原因だ。

そして「このような経過を辿った原因について新しい知見が得られるかも知れないので解剖させて欲しい」
との医師団から申し出が有り

承諾した

解剖する事は可哀そうだと思った。


今、ここにあるのは夫の抜け殻なのだ、

内臓の他に、感染の元になった菌もみんな一緒に東大病院に置いてゆこう

そのかわり科学的な真実を得よう、真実は人を苦しみから解放する


医師は解剖結果を教えてくれると言った


その後8か月経って送られてきた解剖記録は

B5の用紙1枚半に、ぎっしり英文タイプされた物のコピーであった

1988年2月の日付の書類で有りすでに4か月も経過していた

辞書を首っ引きで調べたレポート内容は

資料として見たカルテの最後の方にメモ書きしてあったことを超える情報は無かった 



病院で亡くなった時「解剖した」と言う話をよく聞くが、

その結果はこんな形で英文でポンと送られてくるのが一般的なのだろうか


あんなかわいそうな思いをさせたのに・・・・

こんな1枚半の英文レポートとは、全身の力が抜けてしまった

そう言えば、解剖をして2、3日後に、主治医から解剖のお花料として5千円が現金封筒で送られてきた

著者は「こんな事だったら体が温かいうちはゆっくりお別れをしたかった」と悔いていた

この本を読んで驚いたのは、「担当医が3カ月ごとに替わる」と言う事だ

それは、「医師は色々な患者を見た方が勉強になる」と言う理由かららしい。。。。。そんなバカな。

大学病院と言うところは「医師を育てる所だから、患者は二の次」なのだろうか?

著者の夫は手術前に、親しい医師に「なるべくなら最期まで同じ医師に担当してもらった方が良い」とのアドバイスを受けていた

多分このシステムを知っていて「その不都合さ」が良く解っていた人のアドバイスだったのだと思う



著者は
「簡単な手術でひと月もすれば元気な夫に戻る」と思って送り出した筈が
内臓を全部出され(解剖のため)ペッチャンコになって帰ってきた夫を見て悲しかったが、これも医学の役に立つならば、と思った。と言う

だが時がたつにつれて夫に申し訳ない事をしたと書いている



私も自分が死んだら「人の役に立つことならば」目だろうが心臓だろうがなんなりと持って行って構わない。
と思っていたが、これを読むと、「う~~ん。。。。」と考えてしまった

イメージ 2


姑のベッドの足もとには

看護師が処置の時に使用した手袋と前掛け、おむつ(ビニール袋にいれてあるが)を捨ててある大きな段ボール箱が置いてある

何かの空き箱利用で50㎝四方くらいの蓋も無いものでその中身は毎日捨てるわけでは無い

ゴム手袋やビニールエプロンが放り投げ捨てて行ったまま、と言う感じで段ボールからはみ出し垂れ下がっていたりする

向かいのベッドに出入りする看護師や医師がこの脇を風を切って歩いてゆく。。。。。



あまりにもずさんだと思う

いくら姑が「保菌者」であったとしても、これでは「はき溜め」と一緒に寝ているようなものではないか

保菌者だから菌がうようよしている中に寝かせておいても良いというのだろうか?



それとも、私が、最近の「MRSA」に対しての認識が不足しているからなのだろうか?


このところ行くたびに????が頭の中で渦巻いている。

(138)【桂美容室別室】山崎ナオコーラ

イメージ 1
.
(o^-^o)


山崎ナオコーラ、「人のセックスを笑うな」の著者だったと思います
         もしこれもあったら借りたと思いますが、有りませんでした (ノ∇≦*)キャハ

イメージ 2


高円寺にある「桂美容室別室」は店長と、若い女性スタッフが2人いる小さな美容室



カツラをかぶった美容師の店が桂美容室。。。おもろそうだわ~。。。

ということで、図書館で衝動借り^^;

だが中身を見て  〓■●ドテッ

おもろ~ないわ  (;´Д`)


イメージ 2



主人公が彼女と煮え切らない付き合いの最中につぶやいたせりふ

「疲れる女といるよりも、アパートで牛乳を温める方がいい」

「んだんだ!(´ww`) 」と思った


あとは取り立てて言う事無し。



つまらない小説を読むより、牛乳でも温めて飲もう~♪



さっさと返す。

イメージ 3

(137)【砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない 】 桜庭一樹

イメージ 1 .
(o^-^o)(o^-^o)(o^-^
図書館で借りる

自分を取り巻く環境に対して、対処する考え方の正反対な13歳の2人の少女の1か月間の話

イメージ 4



主人公「なぎさ」は、

母子家庭で兄は引きこもり、中学校を卒業したら、自衛隊に入隊して「実弾」を手に入れたいと思い



父親から虐待を受けている「藻屑」は

自分が人魚だと信じることで危うい精神の均衡を妄想や嘘で塗り固めた砂糖菓子の弾丸を撃ち続けている




そんな正反対な二人が奇妙な友情でつながりつつある時に事件は起きた


イメージ 4


私は図書館で普通の単行本のものを借りましたので表紙も目立たないごく普通のものでした

初版はライトノベルだったらしく少女向けのもので出版されたみたいです


多感な頃を思い出し、今の時代背景を感じつつ、読みました




イメージ 2



いつも思う事に

スーパー等で目にする光景で


両親に愛情を注がれている子供、

明らかに、日常にあるであろう、言葉の虐待やちょっとしたことで殴られている子供



対照的な親子を見ますと、生まれてきた時既に其の子の運命って決まっちゃってるんだなぁ・・・

と複雑な思いで見ています



ただ、彼らが将来必ずしもそのまま幸せであったり、不幸であったり、は分からず

どこかで、幸、不幸が変わることが必ずあると思います



小学校、中学校、高校・・・・この中で彼らが学ぶことは机の上の勉強と同じに感性を磨き

どれだけ視野を広げた目を持つかによって変わってくるのではないかと思います



家から一歩出る事の意味を感じます。



何だか支離滅裂ですね

最近自分の思いをまとめて文章を書く事が出来なくなってきました、いけませんね~(反省)

イメージ 3

(136)【漂流】吉村昭

イメージ 1 .
(o^-^o)(o^-^o)(o^-^o)(o^-^o

新潮文庫 740円
図書館で借りる



1785年、土佐の千石船が折からの暴風雨で遭難し、長平たち4人の船乗りは無人島に漂着する

水も無く、食べられるような直物も生えていない絶海の孤島

時折降る雨水、僅かな海で獲れる貝や魚とアホウドリだけが食料

島で生きるための壮絶な生活が始まる




次々と死んでゆく仲間

絶望と孤独で自殺も試みた長平だが、

その仲間の死にも学んだ長平の姿勢が後々生き残って祖国に帰ることが出来た基盤にもなる



何も無い、無人島である限りの知恵を絞る

最初は雨が降った時には空に向かって口をけて雨水で乾きをしのいでいたが、渇きを潤すまでには至らず・・・

アホウドリの卵を食べ終わった殻をいくつも並べて雨水を蓄えるようになり、飲み水の心配はクリアする



長平と同じように嵐に合い、

時こそ違え漂流しこの無人島に流されてきた他の二組の漂流者達と一緒に

漂流してくる木材を数年かけて拾い集め力と知恵を合せ船を造り

奇跡的に帰還するまで12年余

イメージ 2


船で島を離れる時、長平が船上から島に向って叫ぶシーン

「源右衛門おやじ、音吉、勘兵衛、おれは島を離れる。霊魂よ舟に乗れ!共に故郷へ帰ろう!!」

亡くなった仲間へ呼び掛けたこのシーンにはジーンと来た



人の怖さを知らないアホウドリは初めの頃は、長平達が近づいても逃げる事をしなかったが

島を離れる頃は彼らが近付くと逃げるようになったと言う



当時の資料を基にした実存の小説なので迫力が有りその壮絶さがひしひしと迫ってくる

丁寧に書かれた本は文句なく面白い。

【白熊 Hクン (*^艸^*) 】

イメージ 1


姑は

脳の前頭葉の血流を良くする薬「A」を使い始めて、波は有るものの、かなり反応は良くなってきました

今まで、ピクリとも動かなかった手が、かすかに動くこともあります

看護師が口腔ケアの為に「口を開けて」と言うと、なんとか開けるようになりました

「A薬」の効き目が表れているのだと思います

イメージ 2


唇をかすかに動かし、目で盛んに何か訴えているのだがわからない???

どこか痛いの? 足? 手? お尻? 背中? ここで頷くので、背中が痛いの?と聞くと首を振る??

   そして「キーーーーッ!ヽ( `□′)ノ 」と激しく 上体を左右に揺らす ????


       !!!へっ?!(*゚∀゚)ずいぶん動くようになったんだ


 姑はじれったそうに「キーーーーッ!ヽ( `□′)ノ 」


・・・困ったねぇ・・・なんだろ???ああでもないこぅでもない、、、、


 姑は今度は泣き出しそうな顔で訴える

ごめんお姑さん、何だか分かんないよ~~、、、じゃ立っちゃう (*T∇T*)?!


コックリ、、、(゚Д゚#)エエッ!ほんとかよ??、、、聞いちゃった以上、仕方ない・・・



沢山のクッションやバスタオルを取り払って夫と状態を支え、先ずベッドに上半身を起こそうとしたものの

   ☆\(><;;><)ヘ☆ イヤイヤ!!首を振る


寝かせなおして、腕組みして考える、、、、、、その間私と姑はジーーーっと見つめ合う、、、、


・・・・ん???もしかしたらヾ(゜、゜*) 背中がかゆいの?

~~(*゚ー゚)(*。_。)コックリ~♪


 体を反転させて背中を掻いてあげる

汗をかいた背中にバスタオルがぐちゃぐちゃになって皮膚に後になって付いている

  ごめんごめん、かゆいわよね~~これでいいの?


 満足そうに(*゚ー゚)(*。_。)コックリ~♪


これがわかるまで30分以上


考えてみたら痛い事よりもかゆいことの方が我慢出来ないかも知れないものねぇ



寝かせてからも盛んに唇を動かして何かを訴える

   う~~ん・・・(-ˇ_ˇ-。)今度はなんだべ・・・


わかんないよぉ~、おっかさん ┐(^-^;)┌、早くしゃべれってばさぁ

こちらが汗びっしょり、額の汗をぬぐいながら、考える???・・・???


暫く様子を見ていた夫が「オマエにありがとう」って言ってるんじゃないのか?

えぇ~~、そーかなー?違うと思うよぉ~~、ねぇおっかさん~~???


へっ!?おっかさん、寝ちゃった   


    
                    はぁ~~~(´A`;)チカレタ・・・
イメージ 2



 「胃ろう造設」は決まったものの、何故か一向に手術の話が具体化していません

それなのに、、もう転院先探しです


普通の病院は、病気の「急性期」を過ぎたら否応なしに退院となります


退院後は、一時的にでも私の家に連れ帰りたいと話しましたが

医師と看護師が言うには「家での介護は、到底無理であろう」という事でした

色々話し合った結果

看護師、医師、ソーシャルワーカーの勧めで施設に入所する事になりました



その間の話は沢山ありますが、そのうちにまた書くいてゆきたいと思います




ソーシャルワーカーさんと面談し、私が調べてきた施設一覧を見てもらいましたが

その中の4か所はソーシャルワーカーどうし、連絡を取り合っている所らしいので

早速「見学したい」旨を伝えていただきました


いよいよ転院先探しが始まります

イメージ 2

教授回診が有りました。

2月初めころ「神の手」と言われた教授回診が有りましたが、その時は回診15分も前から

患者は前を開け、スタンバイOK、の体制で待っています。

気の利かない看護婦は布団もはいだままです

大名行列でゾロゾロゾロゾロお供を従えてきます

まごまごすると家族も締め出しを喰います

やっと来てもお付きの医師の説明を黙って聞きチラ見して手も触れませんでした

(何人もいっちょ前の医師がくっついてきてるんだから

               せめて患者に一言「お大事に」とでもいってみな!(。・ˇ_ˇ・。╬ ピキッ! )



今回もまたそんなもんだろうと思っていましたが

違う教授でした「神の手」の次に名を連ねている中年過ぎた教授です

ずんぐりしてメガネをかけ白髪交じりの天パ、

思わず成金趣味のド派手な馬主の「関口社長」(だったかな?)を連想しちゃいました~(*^m^*)



お付きの医師の説明を受け、
             「入院した時は歩いていたんですよね?・・・ふ~~ん、、、」

私に向って
      「もう少し時間がかかりますね、チームでいろいろ考えてやっていますから・・・」



そして姑の担当医を見て、

「アレ?今日はクマちゃん抱いてないの? 白クマHクン はどーしたのかな?」と笑って出て行きました



姑の嫌いな、あのぬいぐるみの白クマは

手と手を(皮膚と皮膚)を接触すると炎症を起こし、

なかなか治らないので皮膚同士の接触防止のために、嫌いなあの白クマを抱かされています(苦笑


その白クマの縫いぐるみ、

いつの日からか、看護師の間でH先生の名前を付けて「Hクン」と呼んでいます


姑はHクンの顔をよけるようにいつもそっぽを向いています。


嫌だよね~お姑さん、そのうちもっと気に入るようなの見つけてくるから、

取り敢えずHクン我慢して抱いててよね(>▽<)


さぁ施設探しに精を出しま~す!(* ̄0 ̄*)ノオー!

イメージ 3

(135)【天使の梯子】村山由香

イメージ 1 .
2004年10月31日  第1刷発行
.
2005年 2月 15日  第5刷発行
.
集英社。 284ページ。 ¥1400円。

ブックオフで購入

イメージ 2


「天使の卵」の続編

春姫が亡くなってから10年。大学生だった「歩太」は29歳になっていました


今度は妹の「夏姫」が8歳下の主人公「慎一」を愛してしまいます


図らずも姉と同じ道を歩む事になります


イメージ 2



慎一の育ての親の「ばぁちゃん」との会話がいいです

そのばあちゃんが突然死んでしまいます

ばあちゃんが死ぬ朝、

彼は思いっきりばぁちゃんに憎まれ口を利いて激しく八つ当たりをしてしまったのです

言ってはいけない事も口走ってしまいました・・・・


もう、取り返しがつかない。。。。

その悲しみを夏姫が癒します。

イメージ 2


誰しも亡くなる事を予期してお別れができるわけでありません


まさか、あのまま死んでしまうなんて!
「あんまりだと思わねぇ?」
「ん?」
「死ぬなら死ぬって先に言っといてくれりゃあさ」
「・・・」
「俺だってその前に言っておきたいことだってあったのにさ」
泣きたいのを悟られたくない慎一に夏姫は、童話の「死神とロウソク」の話を聞かせる

イメージ 2


俺を育ててくれたばあちゃんは、せっかちな人だった。

公園の桜はまだなのに・・・・
今年もまた、嫌がる俺に弁当を持たせて一緒に花見にいくのをあれほど楽しみにしていたくせに、
あとほんの半月が待てなかった。

とうとう最後まで、せっかちな人だった。
 
葬式の日の夜、テレビをつけると、アナウンサーがえらく嬉しそうに声を張りあげて

どこだか西のほうで最初の桜がほころびはじめたと言っていた。

 つけたばかりのテレビを消した俺が、

「・・・遅ぇよ」。。。。「知ってる?」と、夏姫さんが言った。
「うん?」。。。。。「あの世ってね。西の果てにあるんですって」
「へえ」。。。。。。。

 少したって、だから? と俺が訊き返すと、

「だから・・・遅くはなかったわよ、きっと」。。。。。「え?」

「おばあちゃま、行きのついでに、西のほうで咲いたばかりの桜を見てからいらしたわよ」

 俺は、なんとか笑ってみせた。

「そっか。・・・そうかもな、あのバアサン、そのへんちゃっかりしてそうだし

イメージ 2


亡くなった者へに対して、遺された者の心の葛藤や未練や後悔や・・・

その月日の流れの中で現実に毎日を生きてゆく者の想い

そんな内容の本です。


「天使の梯子」とは

雲間から射し降ろす太陽の光の事をヨーロッパの方ではこう言うらしいです

やさしい内容の本でサクサク読めます

ですが、やはり1作目の「天使の卵」の方が好き。

イメージ 3

プロフィール

kinako

最新コメント
メッセージ

名前
メール
本文
読者登録
LINE読者登録QRコード
RSS
アーカイブ
ギャラリー
  • (1134)【ひとたびバイクに】山田深夜
  • (1133)【用事のない旅】森まゆみ
  • (1132)【里山っ子が行く】斎藤道子
  • (1131)【頭の旅】外山滋比古
  • ヨーグルトナッツとソルティライチ
  • ヨーグルトナッツとソルティライチ
  • ヨーグルトナッツとソルティライチ
  • 西方寺の曼殊沙華
  • 西方寺の曼殊沙華
  • ライブドアブログ